写真は関係ありません。
ただ、少女マンガって事で…

市川拓司作品を2冊読みましたが
風呂の中でツラツラ考えた結果、

王道少女マンガの逆バージョン
であることに気づきました。
(もしかしたら、読者間では有名かもしれないけど、
あくまでも私個人が行き着いた考えです)

王道少女マンガ…性格だけがとりえの
可愛くもなけりゃ、成績もいいわけでなく、
いたって平均少女なのにスポーツマンの男の子
(大体男前&性格いい&勉強できる)が好きになる。
変形パターンとして女の友人がこの男子に惚れて
友人の為に身を引くが、最終的にハッピーエンド。
  平均値な女に「夢と希望」を持たせるために
この手のバージョンが発達したであろうが
現代において、ブス容姿に恵まれない子は
性格もそれなりにひねくれ、可愛い子は妬まれないように
三枚目を演じ続けているうちに、本当に性格が
良くなる子が多い。

で、市川作品。
主人公の男、2作品とも容姿も恵まれず
性格も明るくもなく、要領悪い、ただ
性格だけがとりあえず良い。
で、なぜか女の子に片思いされるという。
「今、あい…」なんか嫌われるような態度を
とるだけで、はっきりと自分はこんな体質だから
君を幸せに出来ない、ごめん。と説明もしないという
女々しさ。
この話は超ありえない状況(澪がタイムスリップする)
があって未来を見た上で「大丈夫」と男の背中を押して
未来に繋げるという「女側の犠牲」があってこそ
成り立つ話であって、この犠牲こそが
「母性」であり、ぶっちゃけ世の男どもが幻想する
「母親像」にほかならない。
てか、コイツの作品の女達は「慈悲」の目と言うか
「母親」の目で包んでいる感じがするから。

こんな鈍感なありえない発展途上の
とっちゃん坊や、あんたらどこがええねん!って
腹立ってきたわ!!!!!

案外「男」のファン多いかも。
未成熟の。
自分では動こうとしない、女にリード
されてる方が楽!って真剣に思ってそうなヤツ
ほど「いい!」って言うかもしれない。

だから、現実味がないというか透明感を
感じる文体なのかもしれない。
「男の願望恋愛小説」として。

こうなりゃ、
「せかちゅー」も読んでみよ。

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