夜回り先生

2010年3月6日 読書
読んでいて途中で「水谷先生自身がさみしいから、夜回りしてるんだな…」と思っていたら後半にやっぱり御本人自身が書いてあった。
先生自身もいわゆる「幸せな家庭」でも「恵まれた人」でもなく物ごころついた時には父親はなく、母親とも別居し祖父母と同居。しかも全く裕福ではなく1956年生まれと言う旦那と7歳しか違わないのに、弁当に事欠く状態。
私と一回り違うだけでこんなに「貧困」な状態で育っていたんだ…と昭和一ケタ生まれの人の話かと思うぐらい貧富というものを感じた。
先生が痛みを知っているから、傷ついた子供の気持ちに添えるのはこういう背景があるからだろう。
先生自身、一度は夜の世界に行って落ちかけたけど、それを救ってくれたのは大学の秀先生。
やはりここでもたった1人の先生が1人の人生に影響を与えている。
ただ一言「大学に戻ってらっしゃい。とりあえず寝ましょう」と。
人の人生を180度返るのに大げさな事はいらない。
ただ1人の人がその人を信じてくれるかどうか。
水谷先生も1人の人に助けられたから、これ以上自分と同じような気持ちを抱えた子どもを1人でも減らしたいから今日も夜回りをする。

石田衣良の話に出て来る「ガーディアン」の話と重なる。
自分たちのできる小さなことをコツコツと。
誰も褒めてくれるわけじゃないけど、それでも少しでも良くなったら良い。自分たちの街だから。

水谷先生の顔写真には眉間に大きなしわが縦によっている。
苦しんで辛い思いをしている人の顔だ。
本人が傷ついている。
自分がやっていることが正しいか間違っているかは分からない、でも、せずにはいられない…そんな顔。

行政でも国家でもなく、たった一人の個人がここまで体をはっている。(子どもを守るために指の一部を失っている)
この行為がたくさんのメディアに扱われ、世間に認知されつつあるのに現状は変わらない。
病んでいるのは大人である。



☆☆☆
私が着付け教室に行くのを精神的に嫌になっているのも講師の「バカボ×みたい…」という一言でいたくプライドを傷つけられたからに他ならない。
大人ですらたった一言で嫌になるのに、これが子どもであればその影響は計り知れない。
1人の人間を真っ直ぐにするのも曲げてしまうのも「センセイ」という立場の人間の一言かもしれない。
「センセイ」と言う立場に立つ人間はその「言葉の影響力」(=言霊)をもっと慎重に扱って欲しい。
それは大人も子供も同じ。

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