「良書」読後、気持ちが軽くなると思う。

マイペースな高校生、「モー」君。給食が食べるのが遅いから家で練習しようとするけれどお父さんに「別に、そんなことしなくても味わって食べたらいいじゃない」の一言で特訓中止。で、相変わらずのマイペース気味でクラスからは居るかいないか認識されない存在(でも、いじめとかシカトではなく)。
マラソン大会でも最後まで走りぬいたことも無く、走ろうと思うのだけれどゴール直前で海に向かって走ったり、寄り道したり…
クラスに居たら「イラ!」とさせられそうな男子なのだけれど…

でも、この作品に置いてこの「スローな性格」がものすご~~~く重要なものになる。
高速道路で法定速度80キロの道を10~20で走るようなタイプなので「じゃ、高速使わずに下、走れよ」ってかんじだなんだけど、これ、日本の社会に置き換えれる。
「ここは最低でも80はださなきゃだめなんだ。そうしないと流れが乱れる。人の輪が乱れる。どうにかして80をキープしなければならない。遅れることは迷惑なんだ!!」とはじき出す。学校であれば「嫌なら辞めてもいいんですよ」てな具合に。
でも、このスローな10や20のスピードで走るからこそ道に物が落ちていても避けれるし、景色も見れる(実際の高速道路でそれしたら、殺すけどね)。
80に必死にこだわっているのがバカにすら思えてくるのがこの作品の魅力の一つ。


「別にみんなと一緒の速さの流れに身を任せなくてもいいじゃない」みたいな。

この考えに至った時になんか「救われる」気がした。
実際にこんだけスローだと迷惑なんだよ。
でもね、スロー故の心のゆとり、欲の無さって大事だと思う。すべて、フィルターを通さなくても全てが見える、みたいな。

モーのお母さんは日本人だけれど小さな頃から東南アジアの国々で生活していて、お父さんと恋に落ちて日本に住むようになった。初めは好奇心いっぱいで楽しかった。
でも、子どもができて公園デビュー、自治会と言ったいかにも「日本独自の文化」に一生懸命慣れようと努力したのだけれど、最後はあっけなく風邪で無くなってしまう。
お父さん曰く「お母さんは、生きる気力を無くしてしまったから、ただの風邪にさえも打ち勝つことができなかった」と。
これ、作者がニューヨーク在住だからもしかしたら「どっちでもいいことに必死になって皆平等みたいな人の和を乱すことを悪とする日本人を揶揄しているのでは?」と。
目立つことを悪、個性を悪、人と違うことを悪、と捉える日本人に「出来ることは出来る人がする」というのがお約束の国で過ごしてきた人にはかなりの努力を強いる。

だから、「自分のペースで自分の思うように行動したらいいんだよ(ただし、責任を持って)」って言われている気が読後感にあった。

このブログを読む前に中学生が書いた一口コメントを読むと「カチューシャの性格が嫌い」だとか「表紙のイラストが嫌い。これでは中学生を引き付けれない」とかなんかものすご~~く低レベルな書き込みがあって、情けなかった。中学生にはもったいない本だと思うんですが。

私が私学出身で公立出身の親が大半の公立中学に子どもをやったから「なんか息苦しい」って感じているからこそ、こんな風に「私は私、あなたはあなた。自分んの思うようにやってみたら」っていうメッセージに勇気づけられるのかもしれない。

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