悪意/善意 たましいの素顔
2010年5月20日 読書何の苦労も体験もさせず無菌状態で純粋培養していては、心は育ちません。
様々な人とふれあい、この世に生きる人の痛み、苦しみ、哀しみを知ることが子どもの心の肥やしになるのです。
表面的に人を判断したりせず、相手の背景にある事情まで想像できる力が育つのです。
想像力があれば、 人に優しくなれます。
人の愛というのは、想像力の賜物です。
想像力がないと、人を思いやれないし、自分をも思いやれません。
想像力がないと、人生そのものにつまずいてしまうのです。
全ての私の怒りの原因は「相手が想像力のない人だから」と言うので片が付くのがわかった。
例えば
○歩道に無数の自転車やバイクを止めている→歩行者の邪魔になると言うことが想像できない人が多いから
○公園内でフルスピードで疾走している自転車→幼児が歩いているかもという想像ができないから
○レジで並んでいる人の横入りをする→人が嫌な気持ちになるっていうことを想像できない人だから
こんな感じで「ああ、この人は想像できない人なんだな。かわいそうだな。私はこんな人になりたくないな」と思って自分の心を慰めるしかないんだけどね。
怒ってみても「ああ、この人は想像力ない人だから、それに腹立てる人がいるってことすらも分かんないんだろうな。
じゃ、怒って胃が痛くなる方がバカだよね」って。
実際、ババアやその他大勢に「死ねや!」と毒吐いていたらしっかり胃痛に悩まされ寝込む羽目に。
怒りで自分の内臓を痛めるほどばかばかしい物は無い。
どうせ怒ってもどうなるわけじゃなし。
その人たちは「想像力がない」ということで来期もこのカルマを背負って「落第」することになるとか。
勉強熱心なんだな=想像力がない人 何回もこの世で悟りをひらくまで何回も輪廻転生するって。
これがわかっただけでも少し自分の「格」が上がって、透明な魂に近づいただけ良かった。
今まで自分より年上の人って絶対的に「自分よりいろんな意味で上」って思っていたけど、この考えで行くと70だろうが80だろうが全然魂を磨いていない人って「ざら」にいるみたいなので「年上のくせに、こんなこともわからんのか!」と怒るよりは「もうすぐ落第して、やり直すんだろうなあ…がんばってね。次はもう少しステップアップしてね」と思えるようになったらそれでいい。
一方で10歳前後で死んじゃう子はそれはそれで残された者に「あの子の死を無駄にしたくない」と言った行動を起こさせる「きっかけ」となる場合があるので、その子の短い人生は無駄にはならない。
そんな風にこの世に生きている間、何らかの「目的」があって「課題」があって、少しでも及第点に近づくように毎日を生きていかなきゃいかんのだよな、と少しだけ悟りを開いたオイラでした。
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