リアルタイムな本を読んだ。
作者は塾で子供を教えているからこそ、現場で子供の変化を肌で感じることができるのかも。その一方でやっぱり今の「勉強」に疑問を抱いているのかも。

あらすじ的には
数学学者の権威、教育界でも名の知れた高木源一郎が戦後最悪のテロリストになってしまった。
事の起こりはある心理学の権威が少年犯罪の急増の理由を義務教育の内容と関連付けた論文を発表したことにより「こころを伸ばす教科」の比重が大きくなった。
その結果従来「勉強」と呼ばれていた科目の内容は次々と削減。特に理系科目は「物事を数値化し、数理現象・物理現象などの事実だけを重んじる科目は、心を尊重し他人をいつくしむ人間性を否定しうる」という理由の為、数学理科は週一にしかも休日になることがおおい月曜日にしてされ、内容も希薄になりもはや「科目」と呼べない状況になってしまった。
これに対して怒ったのがテロリストとなった高木で
「私が開発したソフトにある種の信号をプログラムをしてきた。日本国内の高校に通っていたことのある人間は皆、そのソフトを通じて私の信号を受け取っている。呼び催眠と受け取ってもらっていい。
私はその信号を使って、君たちの脳に直接語りかけることができる。すなわち私の命令で日本国民のだれもが…殺人者になれるのだ。」

ということで対策本部に数学オンチの捜査員(39歳以上)が集められるも、心もとない。
そこに急きょ助っ人として採用されたのがソフトを使用していない中学生の女の子だった…

あらゆる学校で採用される教育ソフトに予備催眠を仕込んでいると言う設定ってある意味怖い。現実化しそうだから。逆にこの発想で数学の勉強をしながら、「人に優しく」「嘘はつかない」「シャブは怖いぜ」「セックスは自分で金を稼いでからヤレ」「人を殺すな」っていうメッセージを思いっきりインプットしておけば日本国における道徳は万全では?????

数学的思考で生活したら全てが「白か黒」なので味気ないと言えば味気ない。特に日本人の生活って「灰色」が大半だから。とはいえ、車社会に置いて数学的思考ができる人が大半なら事故の起こる確率は低いと思う。
法規という公式に乗っ取り、相手の速度、自分の速度、距離感を判断するのだから。とはいえ、一瞬で判断できるかな?あれこれ余計に「計算」してから、言いかえれば「証明」してからじゃないと動かないのであれば、後続車はイライラしっぱなしになりそうだが…

法規を無視した「感情」ばかりで運転している人間が多いと思う。また、譲ったことによる事故ってのも後味悪過ぎ。譲った側は自分が譲ったと思った車が来ると思っていたら全く周りを見ていない別の車が突っ込んでくることも多々あるし。この全く周りを見ていないってのも感情が優先しているんだろうなあ…
状況判断ということをするにあたって周囲の状況と言った判断材料を一切視野に入れていない。
年寄りの運転も、40の道を20で走っても平気。
確かに20でも指定速度いないなんだけどね。
後続車の精神衛生に悪すぎるという思考は無い。

学生時代数学が苦手だったから数学という教科が無くなっても痛くもかゆくも無い反面、答えは一つ!というきっぱり感も捨てがたい。数学が美しい、とは絶対に思わないけれど、理数、文系共にバランスのとれた人間が一番!と思うのである。

数学は「パズルのようでありクイズの様である」と数学の楽しさを教えてくれる先生を育成するのが先決では?
どの教科に拘わらず、教育ってその教科の「楽しさ、面白さ」をいかに子どもに伝えるかが一番大切なのでは?

子供を健やかに育成する場である学校が一番危ない場所になってしまった。
「やめて」「静かにして」と言えない何ともゆがんだ場になってしまったのだなあ…
学校は疲れる場所であり気を使う場所になっているんだよな…
「数学が好き!」と自分の好きな事を堂々と口にすると「あいつ変わっているよな…」とハブされてしまうのは人の心を正直に表すことの難しい今の世の中を表している。

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