「自分」を浄化する坐禅入門 小池龍之介著
2010年7月15日 読書
著者はこんな人
http://iede.cc/
本にはCDが付いておりまして、読む前に聞いてみましたら 声が私の初恋のY先生や婦人科のS先生に似ている。
そう言えばお二人とも髪型が、出家スタイルだなあ…(笑)
特に喋り方がY先生の朴訥な、全く洗練されていなくて全く流暢な都会的とは言えないのだけれど、「この人を信じてついて行けば、私も光の道に進めるかもしれない」と
思わせてくれるようなそんな感じに似ていた。
本当に「とつとつと」という喋り方の表現がぴったりなほど。(声だけ聞いているから余計に先生とイメージが重なるんだろうなあ…)
で、聞きながら「呼吸」をするわけですよ。
ただの「呼吸」でも、意識してすると呼吸すらもこんなにしんどくて、神経使って疲労するものだとは…
正直、酸欠に近い状態になってしまった。
例えば鼻から吸います。吸った酸素は今鼻先から鼻の頂点へそして折れ曲がり、肺を通り抜け、胃へと向かいます…と言った調子で「常に吸った息が どこにあるか を意識」するわけで。で、入った息は今度でますよね…ええ、
また同じように意識しながら出していくわけで。
ここに書かれていて初めて気が付いたのは息を吐くときに一瞬、息が止まると言うか力むんですよ。
「へえええ~~」って感じ。
今まで呼吸について意識してなかったから。
働き者の脳が全て無意識にスムーズにやってくれていたおかげで。素晴らしい!
と、これってまだまだ「集中力のお稽古」の初歩も初歩なのに「疲労」してしまい、断念。
寝る時にちょっと意識するぐらいかな?
日常生活のほんのひと時に胡坐を組んで瞑想にふけるってのはある意味ものすご~~く贅沢な時間の使い方かもしれない。
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本にはCDが付いておりまして、読む前に聞いてみましたら 声が私の初恋のY先生や婦人科のS先生に似ている。
そう言えばお二人とも髪型が、出家スタイルだなあ…(笑)
特に喋り方がY先生の朴訥な、全く洗練されていなくて全く流暢な都会的とは言えないのだけれど、「この人を信じてついて行けば、私も光の道に進めるかもしれない」と
思わせてくれるようなそんな感じに似ていた。
本当に「とつとつと」という喋り方の表現がぴったりなほど。(声だけ聞いているから余計に先生とイメージが重なるんだろうなあ…)
で、聞きながら「呼吸」をするわけですよ。
ただの「呼吸」でも、意識してすると呼吸すらもこんなにしんどくて、神経使って疲労するものだとは…
正直、酸欠に近い状態になってしまった。
例えば鼻から吸います。吸った酸素は今鼻先から鼻の頂点へそして折れ曲がり、肺を通り抜け、胃へと向かいます…と言った調子で「常に吸った息が どこにあるか を意識」するわけで。で、入った息は今度でますよね…ええ、
また同じように意識しながら出していくわけで。
ここに書かれていて初めて気が付いたのは息を吐くときに一瞬、息が止まると言うか力むんですよ。
「へえええ~~」って感じ。
今まで呼吸について意識してなかったから。
働き者の脳が全て無意識にスムーズにやってくれていたおかげで。素晴らしい!
と、これってまだまだ「集中力のお稽古」の初歩も初歩なのに「疲労」してしまい、断念。
寝る時にちょっと意識するぐらいかな?
日常生活のほんのひと時に胡坐を組んで瞑想にふけるってのはある意味ものすご~~く贅沢な時間の使い方かもしれない。
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