後藤久美子、神田うのといわゆる「セレブ」と言われる二人の本を同時に読んでみたが、このお二人全く違う人生(あたりまえだけど)を歩んでいる。

久美子は「小さな頃からかわいいとかきれいと言われると不機嫌さ(居心地の悪さ)から泣きだした」し
うのは「小さな頃から可愛いと言われて育ったので、言われないと悔しくて泣いてしまう」とか。
互いの「容姿」にまつわるエピソードからして真逆。
「きれい」と言われることに全く興味も無く、ましてや人を陥れることに忙しい芸能界よりも家庭を選んで、のんびりと家族の時間に邪魔にならない程度に「雑誌モデル」程度の仕事のペースであくまでも「家」中心の久美子、
片や芸能人だけでは飽き足らずクリエイターと言う名の実業家になっているうの。
本文でも「幼少から『姫』と呼ばれてきたが、最近は『殿』と言われる…」とあるように、ただの可愛い着せ替え人形が遊びで書いたような本かと思えばしっかりとビジネス本としての意味合いもある本になっている。

『殿』が彼女の本質だろう。
なので、この本が2005年出版でその後に結婚はしたけれど、彼女が子どもを産むところは想像しにくい。
後継ぎ問題で産むことになっても産んだ翌日には体形戻しに必死になり、へたすりゃ仕事の会議にも行きかねない。
「私、産んだから、育てるのは別の人でもいいよね」とさらっと言いそう。
もっと割り切って「私、後継ぎ産めないからあなた(旦那さん)、側室を娶ってその人に産んでもらって。」とか言いそう。

仕事が楽しい。自分の頭の中にあるアイデアをいかに形にするのかが楽しい。そんな感じ。

久美子もうのも旦那さんがいろんな意味で「大きい」のだろう。
「君の好きなようにしたらいい」と。
このあふれ出る才能を潰すことなく、世に出すことによって妻の世界が(特に精神面)が安定かつ自由になることを
許してくれている。
それを許してくれる男、特に日本人は少ない。
むしろ、妬み、潰す男すらいる。

さて、彼女のゴシップの中に「妊娠」は存在することになるのだろうか?????

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