最初はあまりにもネガティブな生き方をする主人公にそしてその何とも言えない気の強さ(でも、本人は自分のこと弱虫だと表現している矛盾)に正直ついて行きにくかったけど、最後、特に大好きな奈々美おばさんとの別れには鬼の目にも涙状態。
以外に良かったと言う評価の一冊。
13歳で両親と弟を事故で亡くした主人公。
その後一緒に生活した奈々美おばまでを20歳で亡くす…とどこまでも身内に不幸感が漂い、あの世とこちらではもうほとんどあちら側に行っている。
自分とよく似た境遇を持つ自転車屋さんから「モナミ1号」と言う自転車をもらったら、この自転車「魔法の自転車」のごとく「あの世で暮らす家族」の元に連れて行ってくれる。この世よりあの世に、みんなと一緒にいたい!!
そんな思いが強くなるにつれ、あの世の3人は主人公が心残りで次のステージ(あの世のセカンドステージ)に進めない。と言うことはいつまでも輪廻転生できない。
奈々美おばが「自転車を持ち主に返し、あんたは自分の力でこっちにこれるようにしろ」と。
その約束が40キロを一定の条件でクリアできたらあの世とこの世を自由に行き来できるようになる=みんなにいつでも会えるという、走りだした理由が「あの世に行く為手段」とネガティブ。
ここで普通の小説なら「私は自分の為に、生きていくわ!」てな感じでポジティブな思考と共に走りだすのだが、これはあくまでも「あの世に行く為の」が大前提。
…とまあ、理由がちょっとね…なんだけど、最後はちゃんと自分の中で心の整理をして「一歩踏み出す為の」フルマラソン出場…という展開に落ち着くのだけれど。
初めの主人公の心の壁をこんなふうに描写している。
クリーニング屋のオバハンが主人公に
これ、22歳で言えるセリフ!!!って感じでした。
見知らぬ他人にさっと切り返す、というか。
不幸に大きいも小さいもないと思ってましたが。
まあ、このクリーニング屋のおばはんも「あ、しまった。言いすぎた」と反省するでもなく「不幸を自慢するな」と言うところもスゴイ。
でも、実際この手のオバハン多いから。
ちなみに本書ではこのオバハン、主人公に別の形で関わって来て、面白い展開になるんですけどね。
以外に良かったと言う評価の一冊。
13歳で両親と弟を事故で亡くした主人公。
その後一緒に生活した奈々美おばまでを20歳で亡くす…とどこまでも身内に不幸感が漂い、あの世とこちらではもうほとんどあちら側に行っている。
自分とよく似た境遇を持つ自転車屋さんから「モナミ1号」と言う自転車をもらったら、この自転車「魔法の自転車」のごとく「あの世で暮らす家族」の元に連れて行ってくれる。この世よりあの世に、みんなと一緒にいたい!!
そんな思いが強くなるにつれ、あの世の3人は主人公が心残りで次のステージ(あの世のセカンドステージ)に進めない。と言うことはいつまでも輪廻転生できない。
奈々美おばが「自転車を持ち主に返し、あんたは自分の力でこっちにこれるようにしろ」と。
その約束が40キロを一定の条件でクリアできたらあの世とこの世を自由に行き来できるようになる=みんなにいつでも会えるという、走りだした理由が「あの世に行く為手段」とネガティブ。
ここで普通の小説なら「私は自分の為に、生きていくわ!」てな感じでポジティブな思考と共に走りだすのだが、これはあくまでも「あの世に行く為の」が大前提。
…とまあ、理由がちょっとね…なんだけど、最後はちゃんと自分の中で心の整理をして「一歩踏み出す為の」フルマラソン出場…という展開に落ち着くのだけれど。
初めの主人公の心の壁をこんなふうに描写している。
クリーニング屋のオバハンが主人公に
「ねえ、あなたよく紺野さんのところにいるのを見かけるけど、気をつけた方がいいわよ。あそこの家だけ昔から不幸が続くのよ。こういう言い方ってアレだけど、祟られているって噂でね。」
「どういう意味ですか?」
「もともと短命の家系なのかしらね?あんまり近づくとあなたまで祟られるわよ。不幸って感染(うつ)るんだから」
いかにもあなたの為を思って、というそぶりで余計な世話を焼く。無邪気で無神経な人たち。どこの町にも、どこの学校にも、どこのバイト先にもいた。
「私も9年前に家族全員を亡くしています。これって私も祟られているってことですか」
時々こんな風になる。いつもは極力距離を置いているのに、何かあると私は三段階くらいすっ飛ばしていきなり他人に牙をむく。
「私のシャツを洗ったら、あなたにも不幸が感染するんですか」
彼女は表情を曇らせ、出過ぎた口を恥入り、半永久的に私から目を伏せる。
と思ったら甘く「やれやれ」とでもいうふうに落ち着き払って嘆息し、いかにも年配者が若輩を諭すように言ってのけた。
「そんな風に、自分の不幸をひけらかすもんじゃないわよ」
「は?」
「あなたにしても紺野さんにしてもね、そんな風に、自分だけが特別みたいに不幸をひけらかして生きているから、悪いものにたたられちゃうんじゃないの」
「私たちが不幸をひけらかしている?」
「あら、きがついてない?」
「じゃああなたは、自分がそれに感染らない程度の遠くから、他人の不幸をつまみ食いして生きていることにきがついていますか」
「つまみ食い?」
「蜜の味って言うじゃない。あなた、紺野さんを哀れむふりをしながら、蜜にたかっているのよ」
「なんですって」
「自分が十把一絡げのちゃちな不幸しかもっていないからって、他人の不幸に寄生しないで」
これ、22歳で言えるセリフ!!!って感じでした。
見知らぬ他人にさっと切り返す、というか。
不幸に大きいも小さいもないと思ってましたが。
まあ、このクリーニング屋のおばはんも「あ、しまった。言いすぎた」と反省するでもなく「不幸を自慢するな」と言うところもスゴイ。
でも、実際この手のオバハン多いから。
ちなみに本書ではこのオバハン、主人公に別の形で関わって来て、面白い展開になるんですけどね。
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