路地裏に綴るこえ―神戸・長田スケッチ
2010年8月23日 読書
佐野由美著
この方が不慮の事故で亡くなった時、そのニュースと共にこの本が書評で紹介された時「あ、もしかして…」と思っていたら、思ったとおりでした。
作者については、こちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E7%94%B1%E7%BE%8E
読後感想と言うと、「やっぱり同じ土壌で育った者は、共感できる部分がある」そしてそのような素晴らしい土壌が、あの地震で一瞬にして無くなってしまった。
確かに町は復興したのかもしれない。
きれいな、つるんとした顔をして。
でも、自分が知っているあの泥臭い、その一方で温かく、人間味にあふれたあの街こそが自分を育ててくれた町だと、今ははっきり思える。
著者が書いてある通り
震災後、実家周辺を散策に子どもを連れて行きました。
そこにはもう、友人の家は無く、違う人の表札に全て変わっていました。
この階段を登れば、この坂を登り切れば、そんな思いで道を歩いて行くのですが、そこに広がるのはただ、更地ばかり…ぽっかりと切り取られた空間。その情景を見た時の喪失感。「ああ、ここも、何もなくなっちゃんたんだなあ…」。
本当なら、誰かの家があり、そこに誰かが住んでいて、出会えるはずだったのに…
病院の待合においてあった雑誌に、商店街の紹介があった。ういろ、アイス、ケーキ…「ああ、私はこんなにおいしいものもが売っている商店街からこんなに何もない街に来てしまったんだなあてん」と。
今住んでいる町はそんなに震災の被害は受けていない。
でも、町が枯れているので活気がない。
もし、あのまま結婚せずに暮らしていたら、この商店街の温かさを懐かしくもありがたくも感じずに終わっていたのだろう。
被害を受けていないのに死んでいる町。
壊滅的ダメージと言われながら不屈の精神で、そして協力の下町根性で今なお活気づいている故郷。
10年近く訪れていなけれど、もう少し涼しくなったらお団子やういろうを買いに行ってみたい…
この方が不慮の事故で亡くなった時、そのニュースと共にこの本が書評で紹介された時「あ、もしかして…」と思っていたら、思ったとおりでした。
作者については、こちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E7%94%B1%E7%BE%8E
読後感想と言うと、「やっぱり同じ土壌で育った者は、共感できる部分がある」そしてそのような素晴らしい土壌が、あの地震で一瞬にして無くなってしまった。
確かに町は復興したのかもしれない。
きれいな、つるんとした顔をして。
でも、自分が知っているあの泥臭い、その一方で温かく、人間味にあふれたあの街こそが自分を育ててくれた町だと、今ははっきり思える。
著者が書いてある通り
震災により懐かしいあの壁もあの家も無くなった。そして先日、ふと通学路のわきにのぼったことがあるのかないのかわからない石の階段を見つけた。
そこには、亀裂があり、震災後も修復されず放置されていることを物語っていた。
震災後、実家周辺を散策に子どもを連れて行きました。
そこにはもう、友人の家は無く、違う人の表札に全て変わっていました。
この階段を登れば、この坂を登り切れば、そんな思いで道を歩いて行くのですが、そこに広がるのはただ、更地ばかり…ぽっかりと切り取られた空間。その情景を見た時の喪失感。「ああ、ここも、何もなくなっちゃんたんだなあ…」。
本当なら、誰かの家があり、そこに誰かが住んでいて、出会えるはずだったのに…
病院の待合においてあった雑誌に、商店街の紹介があった。ういろ、アイス、ケーキ…「ああ、私はこんなにおいしいものもが売っている商店街からこんなに何もない街に来てしまったんだなあてん」と。
今住んでいる町はそんなに震災の被害は受けていない。
でも、町が枯れているので活気がない。
もし、あのまま結婚せずに暮らしていたら、この商店街の温かさを懐かしくもありがたくも感じずに終わっていたのだろう。
被害を受けていないのに死んでいる町。
壊滅的ダメージと言われながら不屈の精神で、そして協力の下町根性で今なお活気づいている故郷。
10年近く訪れていなけれど、もう少し涼しくなったらお団子やういろうを買いに行ってみたい…
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