イケズの構造

2010年8月29日 読書
昨日この本の感想を書く為に本文を引用用に打ちながら論文的にまとめたのに、それも結構長く、バックスペース押したらなぜか全文消去の憂き目に…
これはもう、京都のイケズがパソコンに憑依したとしか思えない!「こういうのを、イケズっていうんどすえ~」。

もう、書く気も失せたので適当に感想を描くけど(投げやり)、読んでもちいいいいいっともわかりゃしません。
先の大戦を「応仁の乱」である、と認識している人種に「第二次世界大戦では?」と教えられている人間が何を言っても通じるわけがない。もう、日本人じゃない、と思えばこの人達の思考回路を「京都人のイケズは、意地悪、陰険、皮肉、イヤミ、毒舌、天邪鬼、ではない」と言われたところで「全部あてはまるやん!」としか思えない。
これらをひっくるめた「技」が「イケズ」として昇華され、文化として息づいている…
うんなわけ、ねーだろ!!(怒)

根性が曲がってるねん!
素直じゃないねん!
自分らが一番で上やと思ってるねん!
うちら京都人が一番すぐれてると思ってるねん!
としか、この文章を読んで
本全体にイケズがちりばめられている 。どや、このイケズ気がつきました?って陰でせせら笑われている感じしかしないんだけど。


京都、なんかツンとすましている感じは漂っていたけど、商売しても「アンタにこの商品はふさわしくないから売ってあげない」とさりげなく拒否するところなんか、神社仏閣の恩恵がなければ商売として成り立たないと思うけど。
また、その拒否の言いまわしの「イヤらしい」こと。
ホントはこんな意味で言ってるんですよ、って解説されたのを読んだ時は…

はんなりした物の言い方(喋り方)がこれだけの「毒」を上手く隠すためにあるのかと。
言っていることと本当の意味が全く逆であること。
でもね、なんかそんな風に遠回しな言い方せんとはっきり言ったらどうよ!卑怯者!と言いたくなるんだよな…
いくら外部の時の権力者に翻弄された経験から「直接非難しない」習慣を身に付けたとはいえ、「よそさん」の私から見たら「グダグダと何をいいたのかさっぱりわからん、要領を得ない喋り方しやがって。あたま、めっちゃ悪いねんな!京都の人間は! 」てなもんですが。

京都に遊びに行っても京都の人間とは極力喋らないようにし~~~よおっと!

でも、京都外で「毒舌家」とか「口悪い」と言われて疎外感を感じる人間は「楽しい」と思う。
なんぼぼろくそに人を貶めるような事を口にしてもどっこいどっこいの人たちが(でも、京都人にしたらこれはイケズと違う。下品や)とかなんとか言っちゃって自分らを正当化するんだろうけど。


「ああ言われた」「こう言われた」「次はこう言ってやろう」と喋るのに考える必要があるので脳の老化防止には役立っているのかも。

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