なんというか…ねっちょり、というか。
テレビの「高校教師」を見た時に感じたあの不快感とよく似た手触り。
くら~~い、淀んだ井戸の中を覗き込むような。
それにしても「私の彼」と表現すると何かどこか明るい、さわやかさを感じるのに「私の男」と表現するとそこにあるのはもう肉欲というか男と女のドロドロ感しかなくて。
たった一文字、それも同じような対象物を指すのに全くニュアンスが違うことに気づく。
「私の夫」「私の父」「私の兄」全部違う。
さて、構成的には2008年、2005年、2000年…と言った風に年代をさかのぼり、さかのぼることにより「何かが起こった」かを明らかにしていく手法。
でも、2008年と最初に出会った1993年では何となく主人公の「気持ち」というかニュアンスがなんか違う。
むしろ初めて出会った時の方が「懐かしさ&安心感」を抱いて接しているような…
まあ、それだけ最後の方はこの「男」をどう扱っていいのか困っている、ともとれるのだが…
「花」の母親は誰?とか
「淳悟」はどうなったのか?とか
「田岡の死体」はどうしたのかとか後から疑問はたくさん出て来るのですが。
それにしても「腐野(くさりの)」という名字も何んとなく全体を象徴するようなネーミング。
「腐野 花」という名前になるのも。
何となく全体的に退廃的でそれでいて形はどうあれ「純愛」なのかもしれない。
この本を読んで例えどんだけ駆け引きしてドロドロしようが、「他人同士」の男女の恋愛話の方がどこか「救い」があるし、「さわやか」でもある気がした。
近親相姦はやっぱり「大塩老人」が言うように
「人間には超えてはいけない一線があるんだ!」と言う意見に私は賛成。
テレビの「高校教師」を見た時に感じたあの不快感とよく似た手触り。
くら~~い、淀んだ井戸の中を覗き込むような。
それにしても「私の彼」と表現すると何かどこか明るい、さわやかさを感じるのに「私の男」と表現するとそこにあるのはもう肉欲というか男と女のドロドロ感しかなくて。
たった一文字、それも同じような対象物を指すのに全くニュアンスが違うことに気づく。
「私の夫」「私の父」「私の兄」全部違う。
さて、構成的には2008年、2005年、2000年…と言った風に年代をさかのぼり、さかのぼることにより「何かが起こった」かを明らかにしていく手法。
でも、2008年と最初に出会った1993年では何となく主人公の「気持ち」というかニュアンスがなんか違う。
むしろ初めて出会った時の方が「懐かしさ&安心感」を抱いて接しているような…
まあ、それだけ最後の方はこの「男」をどう扱っていいのか困っている、ともとれるのだが…
「花」の母親は誰?とか
「淳悟」はどうなったのか?とか
「田岡の死体」はどうしたのかとか後から疑問はたくさん出て来るのですが。
それにしても「腐野(くさりの)」という名字も何んとなく全体を象徴するようなネーミング。
「腐野 花」という名前になるのも。
何となく全体的に退廃的でそれでいて形はどうあれ「純愛」なのかもしれない。
この本を読んで例えどんだけ駆け引きしてドロドロしようが、「他人同士」の男女の恋愛話の方がどこか「救い」があるし、「さわやか」でもある気がした。
近親相姦はやっぱり「大塩老人」が言うように
「人間には超えてはいけない一線があるんだ!」と言う意見に私は賛成。
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