新婚の話の次は出産…と狙ったわけでもないのですが、たまたまそんな流れになる本を借りてしまった。
題名は「誰が産んでやるもんか!」って少し怒りが混じった女の気持を表している模様。
5人の未婚既婚問わず「出産」に対しての各自の立場に応じた気持ちを「ライターの光理(ひかり)」が全編に出て来てまとめている。言い変えたら作者の「橋口いくよ」が光理に置き換えて取材したものを小説化したものかな?と思えるような内容。

それにしてもそんなに「出産」に対して色々な意見、気持ちがあるとは思わなかった。
自分がノリで結婚、できたから出産と超安易な経緯を踏んでしまっているので、こんな風に「難しく」考えている人が世の中にたくさんいるかと思うと申し訳なく思うと言うか、読んでいて居心地が悪かった。

ただ、出産=老い ぽい考え方をしているなあ、と思わなくもないので、ちょっとびみょ~。
体形崩れるから産みたくないとか、不妊治療しても生まれない物は生まれないとかどっか自己否定にまで繋がっているのは最終的に自分に、自分の生き方に自身が無いって感じ。無いものねだりっぽく、人は他人を羨ましく感じるものなんだろうか?
私は子ども居なかったらとっくに離婚してるけど。
繋ぎとめるものが何もないし、時間がダラダラ過ぎていくのが無駄って思っていただろうし。
何を差し置いてもあの姑が「結婚したら子供で来て当然。できないのは女が悪い」的発言に耐えきれなかったと思うし。今でも子供に「アンタ達がさっさとできたから良かったものの、妊娠しなかったらそれこそ何言われてたかね~」と最近も話したばかり。(正月関連話のついでに)

今でこそ女が「欲しくないから産まない!」と周囲に堂々と発言できる雰囲気になったものの、20年前でさえ結婚→妊娠→出産して「当然」と考えていた。
たった20年で価値観が変わってしまったってある意味時の流れがものすごい勢いで変化している。
産みたくても産めない環境。
産みたくても身体的に無理。
そんな産む側の気持ちの思う通りに行かなくなっている現状を簡単に「あら、お子さんは?」と質問を口にする人たちは少しでも学習すべきでは?
まあ、私にしても「誰でも産める」ものだと思っていた出産が帝王切開で産むことになった時は「私って欠陥?」と落ち込んだりしたけど、そんな私の気持なんか無視で姑が「私なんて、2,3回いきんだだけでポンって産まれたわ」って平気で無神経に言うわけで。
そう言う意味では出産ってものすご~~くデリケートな超プライベートな問題であって軽々しく口にできない話題の一つではないだろうか?

さて、巻末の話で愛人をしていた光理のところにめでたく子供が出来た男から子供の写真入り年賀状が届くくだりで
友人に賀状を見せた時
「うわ、何これ、今時まだいるんだ?」
中略
「いや、にしてもさー仕事関係者みんなにこの年賀状出しているとしたらその方が問題だと思うけど。生まれたとか生まれないとか、かなり個人的なことだしさ。それに子供欲しくてもできない人とか、ほら色々あるじゃない。恥ずかしいことだよ、これは」



子供だけの 写真の年賀状、いまだに届きますが?何か?
てか、私が高校生ぐらいの時ラジオで「親は友達だから写真見たいけど子供のはいらん」というはがきが読まれて以来「写真は家族か子供以外」と意識してきたけど、正直子供だけの写真はがきって見たくない。
こんな不細工な子供の写真を見て喜ぶのは親と祖父母だけ
私は親と友達であって、子供とは知り合いではない。
知り合いでもない人間の写真を見ても喜ぶ人って少ない。
どうしても写真を送りたいのであればペットの写真のほうがまだマシと言うもの。
無神経で鈍感で自己満足の象徴だなあ…と年賀状を見るたびに思うのである。
そう言えば、旦那の会社の人ではがき一面に自分と自分の家族の自慢 を書き連ねて来る人がいる。毎年「ああ、来てるで」の一言で家族4人の手に渡り、一瞥されて はがきの束に乗せられていると言う事を言ってやりたいのだが。
誰も相手にしてくれへんねんなあ…賀状で自慢するしか。

さて、来年のはがきで子供だけの写真を載せて来る「おばかさん」は一体何人いるでしょう?

うちなんか家族4人で取った写真が今年は一枚も無い。
ので、夫婦2人の写真を載せるか、毛皮の子どもを載せるかレイアウトに悩むところである。
でも、自分がもらう立場に立つと、無意味な子供の写真よりも老けた友人の写真の方が嬉しい気がする。

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