シルエット 島本理生著
2011年9月1日 読書
先に読んだ『リトルバイリトル』が高校在学中、
本書に掲載されている『ヨル』が1998年=15歳
『植物たちの呼吸』が1999年=16歳
そして『シルエット』が2001年に書かれたとしたら単純計算18歳ということになる。
簡単に言えば「天才」であり相当な知能の持ち主かと。
で、2冊を読んだ感想として作者はもしかしたら母子家庭かと。
「人との距離」をわざわざ「小説」にしないと計れないのは、
残念ながらもしこの文章たちを私が教師という立場で読んだならばこの「鋭い感性」に舌を巻くと同時に親を呼び出し懇談し、
しかるべきカウンセリングを受けることを勧める。
一方で今の子供たちの精神状態というのはここで表されているのかもしれないが。
少なくとも自分の子供がこのような「小説」という手段を使ってまで人との距離を考え分析することは無いと思う。
そう、「分析」しているのである。作者は。
書くことによって自分の心にある感情は一体どういったものなのか?と。
それは多感な高校生であれば一般的に悩む出来事で、適当に大人として順調に成長すればもう二度と体験しない出来事となっていくのであろうけれど、感性が鋭いからこそ悩み、傷つき、自分の感情をどう処理したらいいのかわからないからこそ書いた作品ばかりの気がする。
高校生がこんなにはっきり言って何とも言えない「暗い」文章を書くこと自体なんか間違っているような気がする。
大人っぽいといういい方もあるけど、自分にかなりバリアーを張り巡らせて壁を作って日常を過ごしている感が全体から漂っていて健全な「明るさ」を感じない。
端正な文章なのにさらりと「泊まりに行く?」とか「初めて寝たのはいつ?」と10代で書いてしまうその「さりげなさ」がある意味怖い。
本書に掲載されている『ヨル』が1998年=15歳
『植物たちの呼吸』が1999年=16歳
そして『シルエット』が2001年に書かれたとしたら単純計算18歳ということになる。
簡単に言えば「天才」であり相当な知能の持ち主かと。
で、2冊を読んだ感想として作者はもしかしたら母子家庭かと。
「人との距離」をわざわざ「小説」にしないと計れないのは、
残念ながらもしこの文章たちを私が教師という立場で読んだならばこの「鋭い感性」に舌を巻くと同時に親を呼び出し懇談し、
しかるべきカウンセリングを受けることを勧める。
一方で今の子供たちの精神状態というのはここで表されているのかもしれないが。
少なくとも自分の子供がこのような「小説」という手段を使ってまで人との距離を考え分析することは無いと思う。
そう、「分析」しているのである。作者は。
書くことによって自分の心にある感情は一体どういったものなのか?と。
それは多感な高校生であれば一般的に悩む出来事で、適当に大人として順調に成長すればもう二度と体験しない出来事となっていくのであろうけれど、感性が鋭いからこそ悩み、傷つき、自分の感情をどう処理したらいいのかわからないからこそ書いた作品ばかりの気がする。
高校生がこんなにはっきり言って何とも言えない「暗い」文章を書くこと自体なんか間違っているような気がする。
大人っぽいといういい方もあるけど、自分にかなりバリアーを張り巡らせて壁を作って日常を過ごしている感が全体から漂っていて健全な「明るさ」を感じない。
端正な文章なのにさらりと「泊まりに行く?」とか「初めて寝たのはいつ?」と10代で書いてしまうその「さりげなさ」がある意味怖い。
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