文庫本で借りたせいか巻末に解説があった。
これによると
「スコーレ」とは 真理探究のための空間的場所を意味するギリシャ語。それがヒロインの麻子には家族、恋愛、仕事、結婚と4つあったということが本書のタイトルの意味だろう。


大体「解説」というものは「太鼓持ち」であることが多いのでこの解説もものすご~~く褒めちぎっている。

しかし、私には正直「ひがんで、ちっとも前向きに人と向き合わずにいるいじけた三人姉妹の長女」としか映らず社会人になった頃からの描写あたりからやっと気持ちよく読めだした。

主人公の麻子は長女で、もしお菓子が一つしかなかったら「いいよ私は。二人で分けて」とあっさり「食べる」ことからの執着から戦線離脱。
次女「七葉」は愛らしい容姿を持ち性格も穏やか。
なので「本当にいいの?じゃ、二人で分けるね」と。
三女「紗英」はみんなにくっついて何をやっても許されるのびのびとした性格なので「私一人で食べたい!!」
そんな風に性格分析できるゆえ、長女は常に「譲る」のが体に身についているのか褒められることに慣れておらず欲しいものを欲しいと声に出すこともできず「私は平凡」と切って捨てているので執着心もないゆえ読んでいて腹立たしい限り。

やっと転機が訪れるのは商社から高級靴を扱う店に出向になり実家の小道具屋で自然と身に着けた「物の価値が見ただけでわかる」ことが自信に繋がり、否定してきた自分の実家での生活や生き方が財産であることに気づく…
と、ここから急に本人も内容も元気になり男性にも自信が持て結婚相手も見つかる…とちょっとご都合主義ではあるけれど自信がなくておどおどしていた主人公が「認めてもらえた」ことにより一歩踏み出す展開は例えば20代の仕事や恋愛に煮詰まった世代には背中を押してもらえるきっかけになるでは…

「私は妹の様に、かわいくないし性格も…」と男性からの好意にも背を向けている主人公の描写は「すべてを妹の責任にしている」=「あらゆる責任と努力の放棄」にしか映らないので現実にこの手の性格の人とは付き合いたくないのである。できる限り。
やっぱり「欲しいものは絶対に欲しい!」とひたむきさを見せるからこそ次女の存在感はより濃くなり対比となる。

40代になって体力も落ちて欲しいものもさして見つからないから流せるようになったけれど、体力のある時に掴み取る努力をしないといつするんだ?と説教を垂れたくなる本でもあった。

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