「日航ジャンボジェット機事故」の時、私は高3だった。
この事故で母校の体育講師を一人失った。
夏休み明けの追悼礼拝にて、私たちが「鬼」「悪魔」と呼んでいた担当体育教師が嗚咽まみれで追悼文を読み、その声に感化された生徒たちがさらに嗚咽をこらえる中「泣くこともなく座っていた」自分をもう一人の自分が見ているような錯覚を感じ居心地の悪さを感じていたことをだけがはっきりと未だに覚えている。
担当してもらったことのない、見知らぬ人の為に泣けるほかの生徒たちを不思議に思いながら…

こんな風に自分にとって「泣けない自分」の存在に戸惑っていたことだけを覚えている事件。
今なら手放しで泣いてしまうのに。これも「人の心の痛みを知った」という年月ゆえかもしれないが。

映像的には「奇跡の少女=カワカミケイコさん」がヘリで吊り下げられているのを鮮明に覚えている。

この本を読むと未だにこの「事件」が終わっていないという気がする。
事実、事故原因は「一応」解明された形になっているが「都市伝説」としての説は多数残っておりこれを元にたくさんの小説を書ける可能性があるのだから。

20年以上たっていまだに遺族が御巣鷹山に上り続ける理由。
「まだ、終わっていない」という気持ちが彼らを突き上げるのかもしれない。
現役のJAL社員が上るのではなく、当時の幹部、そして都市伝説を信じるのであれば「国」の人間が犠牲になった人に詫びに行かねばならないのだろうか?

JALの民事再生もオカルト的に捉えたら「520人の魂が許いていない、未だに事故解明をしていないことに対する怒り」として考えられるし、現在の日本の国の弱腰外交&脆弱化も「都市伝説」の「つけ」なのかもしれない。

主人公の新聞記者は性格的にここぞ!!という時に弱腰になりせっかくの部下の記事は載せられないわ、一大スクープも決断しきれないわ、そして何より息子とも正面を切って本音も話せないわで全然かっこ良くない。
なのに、なぜか自分がトラウマになっている事件の関係者との関わりで奇妙な「押し」を見せるというアンバランスさ。
居場所が無い…という男の悲しさも持ち合わせている。
一方、植物状態になってしまった親友との絡みを横軸にし、ただの飛行機事故のちょっとミステリー小説だけには留まっていない。
この作者の作品はこれが初めてだが、ものすごい迫力でぐいぐいひきつけるものがあり正直「息苦しい」感じがあった。
読み終わった後、じんわりと涙が浮かぶ作品でした。
お勧めします。

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