どうしてこう男の書いた風水本って「面白くない」というか
華やかさ、楽しさが全くないんだろう。

私がブログで「風水」を取り上げるのは大体李家さんの本から得た知識を書くことが多い。
一方李家さんに対して「風水は中国が本家本元だから、韓国の風水なんか邪道!」と切っていたレビューも見たことがある。
でも、そんなこと言ったら現在の日本で語られる「占い」なんかほとんどが「簡素、簡略」されて「楽しむ」ものになっているからこそ広がるんじゃないの?
例として「どうぶ×占い」とか。
それを「本物」にこだわるのであればぶっとい専門書から必要な数字を拾い出して計算して…なんてことを書いた本を出しても売れないし、だれもやろうとも思わない。
結果、廃れる。

ので、この本でも「化殺アイテム」としてアルミホイルを丸めて水晶の代わりに置く、ということを推奨していますが、
家族全員が風水に理解&興味が無い限り、たとえば我が家でこれをやったら旦那あたりから
「廊下にこんなゴミ 置いて、なんや?」と言われた挙句、蹴り飛ばされるの必至。

もっと言えばそんな 貧乏たらしい&みじめなグッズが毎日自分の目に飛び込んでくるたびに嫌な気持ちになると思う。
掃除の邪魔だし。

なら、いっそのことベルメゾ×でオリジナルとして李家さんの特集で取り上げられているカラフルな塩(ハート形とか星形)を盛り塩として飾ったりほかのグッズの方がよっぽど
「楽しく」そして「インテリア」として自分が気持ちよく家で過ごすアイテムになると思う。
それこそが環境学である風水の真髄ではないだろうか?

あれこれ風水の仕掛けをしたけれど結果がいまいち…
とか読むと「そんなに真剣にしたら、正直疲れませんか?」とか思うし、すぐに結果が出るならみんなもっと取り入れるし、「真剣すぎて怖いよ」とすら思う。

要は掃除をきちんとして、すがすがしい気持ちで過ごせるような場所がよろしい、と。

町内会のボランティアの一環で月1回昼間に町内のごみ(たばこの吸い殻がメイン)を拾うのにたま~~~に参加している。(ジジイたちのご機嫌取りともいう)
で、拾い出すとね、2日経ってまた捨てられていたら「いら~~~~~~」っとするわけ。
で、だれかもう一人ぐらいと組んで「ゴミ拾い隊」とか作れないかな?とか思うようになるわけ。
別の本では「ゴミ拾いは、自分一人ですること。他人を強制しないこと」とあるので、しばらくはジジイたちに交じってやっていたらその内一人でできるようになるかな?とか思ってしまうわけ。

とはいえ、いまどきの人って誰かが掃除してくれたら「自分はしなくてもいいよね」と自分の家の周りすら掃除しなくなるのはなんででしょ?
ゴミだけでなく、職場でもありませんか?
いつの間にか「この雑用は、誰それさんがすること」って不文律のようになることって。
まあ、そのことに「不満」を感じない様になれば一段階「上」の人間になれるんですけどね。
いやいや、なかなかその境地になれませんって。


個人的には本格的な風水術はやっぱり図面、方向を熟知した人にやってもらってこそのことなので、素人は「きれいだな、楽しいな」という感覚ぐらいでとどめておいた方が
無難かつ逆の結果が出ずに済むと思うのですが。

この本が出たのが2007年。
多分そのころはこぞって「アルミの塊」を家に配置した人が多数いたと思いますが、今に至るまでやっている人がどれだけいるんだろう?統計を見てみたいもんですね。(笑)
アルミ置く位なら水晶のペンダントでもぶら下げませんか?
見た目もすっきりしますよ。

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