ああ~~もおお~~ほんとにいいい~~。読むのとおおおおおおっても疲れた!!だっああって、めちゃくちゃ、ほんとに!!読みにくいんだもん!
20年ぶりにこの人の本、読んだけど、相変わらずよくも悪くもまあああったく
成長していないんだもん!!理屈っぽいしい、言い訳ばっかりだし。
だって…でも…どうしてこう…延々とダラダラと。なかなか本文に入っていこうとしないのかな。ほんとにもう!怒るよ。ぷん!

てな感じ。
有川浩を読んだついでに久しぶりに読んだけど…ぐったり。
ああこの人はこんな文章を書く人だったな。成長してないな。子供の主張を延々と大人と言われる年齢になってもひるむことなくかける人なんだな、と。
この人がデビューした高校生、大学生の時にこの手の内容を書いたら「若さゆえの未熟な者が書いた、かわいらしいお話」で済むのが30を超えた結婚した女が堂々と同じレベルで書けるところがある意味この人のすごいとこかも。

出版は1999年。うっとうしいぐらいに長い言い訳 長いあとがきによると書いたのは1995年。1960年生まれだから35歳でこんな文章を書いている。
と、引用しようと思ったけど全体が「そう」なので引用しようがなかった…

こどもっぽい。
どうぶつさん 、ぬいぐるみ さん
ミミズに名前を付けたり、どうして動物を殺して食べるの?と言った内容は20年前の作品にも書かれていた。当時は「肉を食いたくなけりゃ、ベジタリアンになれよ!」怒 とイライラしながら読んだっけ。
精神構造が子供のくせに、妙に理屈っぽく、揚句に逆切れするパターン…

有川さんも超ワンパタだけど、本家本元もワンパタだったんだ…
超恋愛にこだわっている分害が無いのに比べて、こちらは奇妙な哲学を振りかざしてくるから始末が悪い。
「あたしはこうなんだああああああああ」

「あたし」という一人称からして子供っぽい。
大学等を卒業してそれなりの社会生活をしていたら「わたし」と言う言い方に改まるのが自然な流れではないだろうか?
「あたしはねえ!!!」「うんとね、…」「え~~と。」「…」の多用。
ぶんぶん。←これは首を振る擬音

社会人であれば「これを一枚のレポートにまとめて」と指示されたら端的に要点だけをわかりやすくまとめるのが当たり前。
それを「え~~と。だって。でも」で埋め尽くした挙句「すみませ~~ん。
気が付いたらレポート10枚になってしまいました。いいですよね?」って感じで平然としているのもむかつく。
そもそもこの話「夢で見たキーワードを元に膨らませた話」とどこまでふざけてるんや!!であって。でも、それを一冊の本にまとめたのはすごいと認めるが、
やっぱり「根本となるべき筋」が無いから内容が散見する。
で、例の文体でダラダラとやられたら読む側にとっては苦痛&拷問。

「そんなに、文句言うなら、読まなかったらいいでしょ!!誰も読んでって言ってないでしょ!」素子、怒る。ってとこかな?笑

そう、もう一つ読みにくくしているのがこの「素子、怒る」的文法。
「ダイアナ、走る」「マリア、思う」など。
20年前に読んだ「あとがき」に「自分は森鴎外などを読んで、美しい日本語を理解したうえでこのような文法で書いている。最近私をまねている人が多いけれど。ああ、美しい日本語がああああ~~」とあった。
自分で文法をぶっ壊している認識があって憂いているのであれば自ら改めろよ。
それを20年経ってもいまだに続けているあんたのその頑固さはなに?
絶対に反省しない女。頑固。
いや~~~身近にこんなやついたら絶対に距離置くね。

精神分裂者じゃないのか???

今まで甘やかされて生きているんだろうなあ…
「君はそのままでいいんだよ」と文中で龍が灯に言うみたいに、実生活でも旦那さんが素子に言うんだろうなあ…
おいおい、それじゃあ、あんたの嫁はいつまでたっても外見オバハン中身幼女ってこの本の「74歳の幼女=ルナ=新井素子」ってことになる。

素子に子どもがいたら嫌でも現実の世界と向き合えたのにね。
ママ達の過酷な世界にもまれて「ぬいぐるみさん!」なんて寝ぼけた事言っている暇はなかったのにね。

ラノベやアニメに慣れた世代にはこの本はどんな風に感じるだろう?
20年前に新井素子を読まずに、普通に社会人をしている世代がこの本を読むとどう感じるだろう?

この本を最初に読んで「良かった!」と思った人に言いたい。
「コバルトシリーズを読んだら?コバルトの寄せ集めがこの本だよ」と。


p.s


「このままいけばお手伝いさんなしには生きられない」と若くして才能を認められたゆえに生じた問題解決のために休業した宇多田ひか×の方がよっぽど前向き。

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