読後感が気味の悪い一冊。
Mと言う巨大ショッピングセンターで起こった原因不明の事故。
その真相を探るべき聞き取り調査が行われている描写が延々とQ&Aの語りで
展開されていくのだが、初めは正直「退屈だなあ…」と思っていたのが
謎が謎を呼ぶというより、人の心の闇が闇を誘い、新たなる恐怖が続々orゾクゾクとしてくる。

原因が特定されないのにパニックになって理由なく死ぬ。
不条理。
現実に合った事故&事件が色々頭に浮かんでくる。
特に「圧死」と言う点では明×の歩道橋事故が頭に浮かぶ。
未だに「誰かを犯人にしたい」と言う狂気じみた遺族(の内の特に一人が)
が退職した警察官をしつこく追いかけている。
でも、実際この遺族以外の他にそこに居合わせた人々の心はこれじゃないのかな?
p198~
「本当に犯人が居てくれたらいいとどんなに思ったか。」
「説明できる言葉が有れば、それでもいくらかましだったのに。憎しみを持っていく相手がいないというのは、相当むごいことですね。
憎しみや悲しみのやり場がないと自分を納得させられない。
自分の中で言葉にできない。みなさん、自分を責めるんですね。
なぜはぐれてしまったんだろう、どうしてあの日、あの場所に家族を連れて行ってしまったんだろう、なぜ私たちだったんだろうって。」
「私たちの罪の意識はきっと理解してもらえないと思います。
亡くなったのは高齢者や子供ばかりでしたし、筋力や体力のある20代から50代の人にはほとんど犠牲者は出なかった。
そのことでも助かった人が罪の意識を感じているんです。」


小説から外れるけどあの事件の「犯人」は「その場に居合わせた人全員 」だと私は思っている。
自分はあの場で他人を押さなかったのか?あの一押しが参事を招いたのではないか?と心のどこかで思っているのではないかと。
もしあの場で自分が隣にいた人に「圧」をかけなければ…ってどこかでいまだに思っているのでは?と。だから遺族が騒げば騒ぐほど「罪の意識」に苛まれて事件の事をより一層忘れたがるのでは?と。
なので個人で裁判にかけられ要る元副署長(だったっけ?)はいわば
「人身御供」「生贄」なんだと思う。
あの事故の「原因」「犯人」を特定して「ああ、スッキリした」と思いたいがためだけの。
「私が計画書をよく読まなかったからです。すみません」と言ったところで死者は戻らないのだけれど「終わらせたい」その「形」が「有罪判決を取る」ことなんだろうなあ…と。

「やっていないことはやったと言えない」と言う警察官の職業観がいまだに
「すみません。事故が起こったことは申し訳ないけれど、個人として罪があったとは思えない」と思うのは当然ではないだろうか?
だって「未必の故意」だもの。

これ以上人が増えてこれ以上、圧がかかったら…
でも、駅員も止めなかったわけで。
「上がれません。歩道橋は人で満員です」と。
当時の駅員に責任は無かったのか?と。
考えれば考えるほど「その場にいた全員が犯人である 」と言う結果しか出ない。

それでも「個人」に的を絞って攻め続けますか?あなたは。


「きゃー」と誰か一人が悲鳴を上げた途端、それが引き金になってパニックになるってどこにでもある「日常」なんだけどね。
ただ、死者が出る惨事になるかならないか。
不安定な「今」を不気味な形で表していると思う、この一冊。

コメント