「1」を読んでからだいぶ日がたつので内容忘れちゃった。
なんか今回ひたすら「劇団の財政難」の現状を訴えられている気がする。
あといつものように恋愛話も出てきてるけど、現実社会でもこのノリで行くと「ほーるブラザー」が生じても仕方ない世界だなあ…とか。(実際演出家と寝て役を取った、なんて芸能関係者でなくても当然のように理解している位当たり前だけど)
ともあれお兄ちゃんのアドバイスにより支出を抑えたら収入がアップするとか言った当たり前の商業意識を持たせることができて一歩前進?

「好きだから貧乏でも構わない」
「好きな人たちだけに見てもらったらそれでいい」とどこか閉鎖的な考えで小さな宇宙で終わっていることに全く気が付かない。
外部から来た人間から見たら非効率的な事極まりないのだが、そのアドバイスを受け入れるだけの器の大きい人間が発言力を持っているか否かで存続にかかわるんだけどな。それは演劇と言う世界だけでなく商業ベースに乗っかっている者すべてに通じるのだけれど。

15年前に通じたものが15年後には「…」となるのは最近某TVで経験済み。
当時は全員が若かったし「実験的要素」も多大に有った為「これはどう?」「こっちはどう?」と提案しそれを採用されたからよりやる気に拍車をかけた結果かも。20代後半から30代前半。やっている仕事が面白くなる時期。
それを40代後半の「落ち着き」が必要になってくる世代に「挑戦」を求めては無理が生じて当然。
「前はこれが通じたから…」とかたくなに昔にこだわるのではなく「じゃ、ここを新たに…」と常に挑戦し続けるから新鮮さを失わないのにねえ…
安定に胡坐をかいた揚句、助成金カットでおろおろしている文楽とか不祥事が起こってもぼ~~っとしている相撲とか。これで歌舞伎もいい加減なことになったら「文化」って完全に消滅しちゃいそう。
歌舞伎もスーパー歌舞伎とか色々挑戦して古いものを大切にしつつも新たな分野を模索するなどしているから生き残っているんだろう。

さて文中、巧が神戸に来る下りでなぜか「中華街」と書かれている。
確かに中華街と書いた方がイメージしやすいけど、関西在住であればそこはこだわって「南京町」と書いてほしかった。
中華街は横浜のイメージですから。

エアロビクスのインストラクターのコスプレがいかにも映画『フラッシュダン×』ぽくて読んでいて「いまどきこんな服装でするのか??」と思ったり。(80年代ですね)
その一方でゲームで人物の例えをした下りでもゲームしない人間には司と同様
「なんのこっちゃ??それ?」状態だったのでそこはちゃんと説明して欲しかった。(若い子向けの文庫なのであえて説明したらダラダラになっちゃうんだろうけど…)
どの世代にも通用する描写をきちんとして欲しかった。

「3」はまだ未発行。
さて、どうやってけりをつけるんでしょうか?

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