ひとところ流行った「願いをかなえる」系といいましょうか。
願望は書くと叶う、願望を文字にするとより一層具体的に考えることにより
幸運が近づいた時にすぐに行動を取れる、そんな系。

日記は先日もここで書いたように、小学生の頃から紙ベースでは書いてました。
全然、進歩が無くて笑えるんですが、やっぱりその日一日の出来事や感じた事、
考えた事を文字にして吐き出すってことは精神的に大切かと。
現在は三年日記を使用してますが、なんせ4~5ぎょうしかスペースが無いので
その日の備忘帳替わりになり自分であれこれ考えた事、思ったことを書くスペースが無いのであんまり意味が無い気がします。
読み返しても全然面白くないしね。マジで。
それが独身の時のだと、ほんと、毎日色々あったんだ~(すでに忘れている出来事とかが書かれてあって「へ~~」な世界)と。
私も普通のノートにが~~~~~~~っと書いてました。
ヘタに分厚いいかにも「日記帳」よりもノートの方が書きやすいと思う。
学生なら勉強机の中に紛れ込ませていたら親とかに見つかる確率も少ないだろうし。

さて、本書では「朝晩2回書く」「筆記用具にもこだわる」と注釈が書かれていますが、要は朝書くことにより「今日は、こんな一日にしたい!」と目標を立て、晩には「今日の反省、ただしマイナスなことは書かない」など思考を常に前向きにしたものしか残さないようにするうちに、普段の行動もそのようになっていく、要は暗示の訓練かと。
けれど生活をしていると不満&愚痴は出てくるので、別の部分にが~~~ッと書く。ページ(ノートを)使い分ける、って感じですかね?

というのも、読んだことは読んだのになぜか文字が頭の中に入ってこなかったんですね。
もう少し理論的に箇条書きで書いて欲しい。
結局は書くことにより自分の考えを常に整理でき、ポジティブシンキングの習慣付けってことは読み取れたんですが。
なんでかな~
もうこの年齢では今更日記を書いたところで10代20代の様に「こうしたい」
「ああしたい」って前向きに考えることもないからかな?

自分の内面を見つめるという習慣はやっぱり若いうちにしとくべきですね~
誰に見せるものでもない物、ってことで大きな理想、素敵な出来事、夢見る夢子さんで終わらせないように具体的にそうなるにはどうすべきかを追求する機会として。

それと、若いうちから文章を書くことに慣れていたら後あと楽だし。
今、英語に行っていて思うのは常に「I~」という「私は、私が」で始まる文を書く上で「自分」の考えを常に持たないといけない。
これが日本語思考になっちゃうと「だれだれさんがね~」「聞いた話だけどね~」と常に曖昧。常に流されている人になる。
こんなんで就職試験に挑むなんて結構つらいかも。
今まで散々流され思考で生きてきたのにね。
他人から見たら「何あの人、めっちゃ自信家」なんて陰口をたたかれることがあるかもしれませんが「生き残り」たかったらそれぐらいしてもいいと思います。
自分の考えも述べれない人に誰も意見を聞こうと思いませんから。

でも、一旦家庭に入ってパートに出ちゃうと「自分」を持っている人より
常に流されて人に合わせる人の方が評価が高い、ってのが実情なので
一度高い目標を持った人生を選んだなら、
最後まで行くとこまで行っちゃった方が良いと最近特に思う。

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