ほんとはこわい「やさしさ社会」 森真一著
2013年8月9日 読書
似たような内容でも『すみませんの国』や『上から目線の構造』の著者よりは
若干マシ かな?と思いつつ読んでいたのですが、最後の最後に
丸投げかい!!怒
そもそも中盤戦はどう考えてもいらないと思われるような例がバンバン載せてあり、思いっきり読み飛ばし。関連性は一体どこにあるの?って感じ。
初めはね、やさしさには
やさしいきびしさ・厳しいやさしさ があるという事で
その違いはと言うと
「やさしさ」の概念が変わってきているんですねえ…
これは今、40代の人が20代30代の人に接する時に頭の隅に
置いておく「要注意ポイント」かと。
その違いは「友人との関係性」にも見られ
これも絶対40代の人はきけ~ん。笑
というか私たちの世代では「友達じゃないの。相談に乗るから、言って」
とか「水臭いじゃないの。力になるわ」と言った臭いセリフてんこ盛りの漫画で育った んですからねえ…汗
とはいうものの、友達に相談したら「一段下の立場」って…
どこまでも対等であること にこだわるのねえ…今の子
だからこそ、恥をかかされるような言動を取られたらキレるんでしょうねえ。
…
…
…
世の中、どんだけガキンチョだらけやねん!
「詰めてください」
「ああ、すんません。気が付きませんで」
で、済まんのか?今の時代。
そうそうここで「すみません」が出るかどうかなんだけど
↑
この部分が『すみませんの国』には説明がなかったんで、本書の方がマシだな、と思った次第。
そう、「謝るのは、親しい身内だけ」と言う点。
と言う記述があっただけでも本書の方が先の2冊より私の意見と一緒だったので
まだまし、と言う評価に繋がりました。
けど、新書ってなんか著者の言いたいことだけ言って逃げ切り!みたいなんばっかりやね。
難しい事言っているように見える割に、読み終わったら「で?」って感じで。
これならいっそのこと小説の方が作者の言いたいことで固められて「なんか文句ある?」ってノリの方が好きだなあ。
若干マシ かな?と思いつつ読んでいたのですが、最後の最後に
この章ではやさしさ社会の怖さやしんどさを少しでもマシにする方法を考えるのが目的でした。けれども課題を指摘するばかりで、具体的な方法を示すことができずに終わってしましました。適当な「解答」を述べて終わらせるよりは、この方がマシかなと、考えたからです。
丸投げかい!!怒
そもそも中盤戦はどう考えてもいらないと思われるような例がバンバン載せてあり、思いっきり読み飛ばし。関連性は一体どこにあるの?って感じ。
初めはね、やさしさには
やさしいきびしさ・厳しいやさしさ があるという事で
その違いはと言うと
やさしいきびしさ…やや古いタイプのやさしさです。
基本的には相手に厳しく接しています。ただしその厳しさは優しさに基づいています。例えば、将来、相手が苦労したり傷ついたりしない様に、今は相手に厳しく接して、反省させたり、ある態度や技術を身に着けさせるような場合です。
きびしいやさしさ…新しい現代的な優しさです。
それは、いま傷つけないように全力を尽くすこと、を要求します。
先ほどのやさしいきびしさが、今は傷つけるかもしれないが将来を思えば仕方ないと考えるのと、対照的です。
傷つけないようにする点では、優しいと言えます。
しかし「絶対に優しくしないと許さないぞ!
もし傷つけたら、それなりの仕返しをするからな!」と言うような、
厳しさが感じられるのです。
「やさしさ」の概念が変わってきているんですねえ…
これは今、40代の人が20代30代の人に接する時に頭の隅に
置いておく「要注意ポイント」かと。
その違いは「友人との関係性」にも見られ
対等性の原則と言うのは「人間関係、特に仲間内の人間関係は、対等であるべき」と言う原則を意味します。
また、多くの若者が友人には悩みを相談しないようなのですが、
この現象も対等性の原則から理解可能です。
多くの学生が友人に悩みを打ち明けたり相談しないと答えたのです。
理由は様々ですが、特に目を引いたのが
「もし相談したら、相談した自分が相手よりも一段下の立場になり、
対等な関係で無くなるから。」という答えと
「友人と一緒にいる時間は限られているのだから、
せっかくの時間を相談の様な重い話題で暗くせず、
当たり障りのない明るい話題をして、楽しく過ごしたい。」
これも絶対40代の人はきけ~ん。笑
というか私たちの世代では「友達じゃないの。相談に乗るから、言って」
とか「水臭いじゃないの。力になるわ」と言った臭いセリフてんこ盛りの漫画で育った んですからねえ…汗
とはいうものの、友達に相談したら「一段下の立場」って…
どこまでも対等であること にこだわるのねえ…今の子
だからこそ、恥をかかされるような言動を取られたらキレるんでしょうねえ。
この50年の間に生まれた日本人の多くが「こわれもの」
「腫れ物」扱いされて成長してきたことになります。
それは「恥をかかせたりして、傷つけたら、いつでも爆発してやる」
と無意識のうちに考える日本人の大量生産、と言う結果です。
言い換えると「自分はばかにされていなか」と常に気にする日本人の
大量発生です。
例えば電車が混んできたので近くの乗客に「奥に少しお詰めください」
とお願いされただけで、その乗客に対して「むかつく」人はいくらでもいます。
注意する・されるという上下の差が出来てしまい、注意された人は一段下に
置かれた感じがして「バカにされた!恥をかかされた」と怒るのでしょう。
…
…
…
世の中、どんだけガキンチョだらけやねん!
「詰めてください」
「ああ、すんません。気が付きませんで」
で、済まんのか?今の時代。
そうそうここで「すみません」が出るかどうかなんだけど
やさしさ社会は、対人関係について、気楽さ、気軽さの
無い 社会です。
予防的やさしさは、互いを「腫れ物」「こわれもの」として扱いますから
気軽に人間関係を持つ、という事が出来にくくなります。
日本人の人間関係で気楽さが欠如していることは、
日本人が謝らないという事実に、現れています。
よく「日本人はすぐ謝る」と言われます。しかし、それは条件によります。
↑
この部分が『すみませんの国』には説明がなかったんで、本書の方がマシだな、と思った次第。
そう、「謝るのは、親しい身内だけ」と言う点。
企業が不祥事を起こした時は確かにすぐ謝罪します。
次に、知り合いや仲間内に対しても、すぐ謝ります。
ただしそれは近所の人や職場の同僚などに対してであって、
知らない人にぶつかっても「ごめんなさい」「すみません」
と言う人はほとんどいません。
と言う記述があっただけでも本書の方が先の2冊より私の意見と一緒だったので
まだまし、と言う評価に繋がりました。
けど、新書ってなんか著者の言いたいことだけ言って逃げ切り!みたいなんばっかりやね。
難しい事言っているように見える割に、読み終わったら「で?」って感じで。
これならいっそのこと小説の方が作者の言いたいことで固められて「なんか文句ある?」ってノリの方が好きだなあ。
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