英語の宿題が「泣ける話」についてだったのでどこかでこの本が「泣ける」と
聞いた気がするので借りた。
ちなみに先生がこの宿題を発表した時、つい「私、心が邪悪すぎて泣くこと、
めったに無いからつらい宿題やなあ…」とぼやいたら先生が
「うちの娘も同じことを言っていた」との事。仲間がいて良かった、良かった。

さて、感想。
「泣くことはありませんでした」。という事がまず第一に。
逆にこのレベルで泣ける純粋な人が非常にうらやましい。
それにしてもアマゾ×におけるこの本の感想、見事に真っ二つなのが非常に
興味深い。本の内容よりもなぜそこまで好きと嫌いに分かれる要素があるのか
そっちを分析してみたいもんだ。

個人的に突っ込んだのが食堂を開くにあたって管理責任者の講習とか受けなくていいの?(保健所の人は来たけど、あくまでもイモリの丸焼きについての追及だし)
ペットのブタを食べることについては賛否両論の極みですが、
確かに自分のペットを解体するのは心理的に抵抗がありますが
心を籠めて目玉とひずめ以外を全て料理しておいしく食べてもらったら
確かに形は無くなれど、エルメスの細胞の一つ一つ血の一滴すらもが
今後食べた人の体の要素となって「繋がっていく」という事には
必要なのかも。
これで「無」になるのではなく「生」になる。
狩りで得た動物を感謝して口にして今まで人間は生きながらえてきてるのに対して、今の子は店でパックになったものしか食べたことが無いからどうしても抵抗が大なのかもしれない。
それも、元はどんな形をしていたのかもさえ知らずに。
(付け加えて言うなら、一生懸命作ってくれた人に文句まで言うという
おまけつきで)


ぶっちゃけ、恋人(インド人)に全財産を持ち逃げされショックで声すらも失い、一日一組の客の為に料理する…と言う展開は『西の魔女が死んだ』の様な
祖母から孫娘に伝える「生きる知恵」をベースに日常を取り戻すの話なのかな?
と思いながら読みましたが。
上手くいかない母と娘、と言う視点から見たら大人の為の本と言うより思春期で親とうまく行っていない小中高生向きの話なのかも。
(と、未成年を対象にした話にしたら、若干お下品な表現があるので
それはそれで無理かあ…)

中途半端かな?読者ターゲットが。
もっと絞り込んでも良かったかも。
ぶれた分、好き嫌いが分かれたのかな?
ただ、料理を作る時に素材になってくれた物たちに対して敬意をもって
接するべきだな、とは思った。

と、ここまで↑書いて夕食を作りながらつらつら考えたんだが、
ブタって本来家畜であってペットにする動物でもないのだから
きちんと最後まで食べられてこその存在意義なのでは?と。
もっと突き詰めると元々未熟児に近かったので本来ならすぐに殺されてたはずだったのがたまたま助けられて生きながらえたのだから、すくってくれた人に喜んで最後はきちんと食べてもらって良かったんじゃないのか?と思うんですが。
ペットとして最後まで生きたとしても骨も残らずに火葬されるより
「生」のリンクの一環としての存在でいいのでは?
また、ハトが飛んできてそれを料理することにより母の死から立ち直れたのなら
その死は生に繋がるので、問題ないと思うし。
むしろ拒食症のウサギが出てきたけど、あれを食べるよりはましじゃない?
ウサギだって本来学校にいる白いタイプは「食用」として飼われていたものだし。今回のは初めからペットとしてのウサギだから逆に生かされたのだから。
コメントを読んでいると妙に生き物を殺すことにヒステリックになっている人が多々見られるけど、毎日野菜でも肉でも食べて自分たちの血肉にしているんだから変なの。
もっと言えば、この舞台が屠殺ができる土地だからこそのエピソードじゃないんですかね?都会でブタを初めからペットとして飼っていてそれを殺すのなら問題だけど。
自然の恵みを心から感謝していただく、それができる環境だからこその話だと思うんですが。

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