ピアニッシモ、です。題名。
「強弱記号のピアニッシモよりもっと小さい音のこと。」
「あんまり弱い音だと、耳に届くまでに消えちゃったりしない?」
「届くように弾くのがピアニスト。でもね、たとえ聞こえなくても、
無音と違うから。その淡い音が繋がりの中に各自に存在しているって証しを放ってあげたい。」


中学生が主人公。そして友人になった子は美少女&ピアノの才能にあふれている。
と、この設定だと一昔(二昔)ならきれいな友情話の展開だったのがお約束なのに、現代(2003年に単行本出版)の設定だと「かなりの辛口」展開なのに
は正直、驚いた。
ネタバレですが、ピアノピアノとピアノの生活漬けに疲れた少女は家出し、
しかも「愛している」男は暴力をふるう(!!)し、親は「縁を切る!」
と探しもしない…中学生の設定だよなあ…何かなあ…
で、主人公は「頼りになる」と思った「大人」に助けを求めるけど
「関わりになりたくない。助ける方法として『救急車』を呼んだら?」と言われ
実行し、友人を何とか救出できたという…
これがもっと時代が進んでいたら、エンコウとか売春とかで何とか「生き延びる」方法として提示されてしまうのかと思うと…

さらにこの本で一番がっくりきたのが
まともな大人が一人も出てこない こと。
平凡な家庭に育った主人公…って言うけど、父親は食玩の玩具を集めることが
趣味で全部そろった日には「コンプ!コンプ!」と見せびらかしては
「収集の神様にお礼の舞」を踊るという…汗
母親はブランドに目が無く、「すき焼きの肉」を買いに行ったはずが
限定ものがあったから!と肉そっちのけで並んで買ってくるという…汗
しかもこの母親の性格が超最悪で、てティーパーティに呼ばれた主人公が
着ようと思っていた服をクリーニングに出されていたので仕方なくスカーフを
借りたのはいいが
「汚さなかった?」「だって、シミを付けたら家に帰ってくるなって言ったのはお母さんでしょ」「あげるわ」「大切な物なんでしょ」
「いいのよイミテーションだから。」 って…
だまされた。お母さんはわざと偽のスカーフを選んで松葉に貸したのだ。松葉が今日の服装について、どんなに悩んでいたのか知っていたのに、わざと。

このくだりで、多分読者の9割が失望と言うか虚脱感&共感を得るはず。
夕食を3人で囲んでいても3人バラバラの会話。
しかも娘が悩んでいることに気づきもせず、「ちょっとは話を聞いてくれてもいいのに…」と親の態度に失望がどんどんたまっていく…

大人は時間が立てば必ず「大人」になるのではなく、むしろ不完全なまま
大人になって行く人の方が多いのかも。大人も不完全な存在である、って
事をメインターゲットの中学生も分かって行くようになるかも。
いつの間にか精神的には「こども」の方が「親」を抜いて行くのは仕方ないのかもなあ…と思ったり。
もう親の立場で「大人」である私ですら「この親は無いよなあ…」と思いつつも違う場面ではきっとこの親と変らない態度をとっているんだろうなあ…と思うと
反省しきり。
センセイの間違いを指摘したくても先生のプライドをおもんぱかって黙ってくれている中学生たち。
親がいい加減でも黙って自立して行ってくれる子供たち。
なんか申し訳ないなあ…と感じずにはいられなかった。

ラストも超ハッピーエンドとは言い難いので、すべてがきれいに収まることに慣れてしまった世代にはちょっと読後感がつらかった。
厳しい時代に生きているよね、今の子たち。

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