2003年に発行された物ですが残念ながら写真なし。
と言うのも内容的にファンの同人誌的な内容から抜け切れないからかも。
もし大学の時にサリンジャーを研究していて、ゼミで「こうだよね」「ここがいいよね」と語り合っていたレベルを少し出たぐらいからかも。
図書館でも書庫扱い。野崎版を借りる時についでに参考に借りたけど。

で、巻末にある『ライ麦畑』小辞典が個人的には面白かった。
その中でP171にこんな記載が…
[村上春樹 / サリンジャーはつまんない]
川本「アメリカ文学ってのは、せいぜいサリンジャー止まりでしょう」
村上「サリンジャーはつまんない。今のアメリカ文学ってのはどっちかって言うと日本の純文学に近づいているんじゃないかって気がする。」
(インタビュー 村上春樹 私の文学を語る『カイエ』79年8月号)

SV「チャンドラーは読めてもヘミングウェイとかサリンジャーはしんどい?」
村上「サリンジャーはもうしんどい。昔ね最初に読んだ時は面白かったけどね。今は読めないですね。『ライ麦畑…』なんてあんなの読めないですね。
あんなの、つっちゃ悪いけど。」
Sv「最初はそれなりに」
村上「最初はね、高校生の時に読んだんだけど、最初は凄かったですよやっぱり。」
SV「それは、翻訳で?」
村上「そうです。もちろん」
(「村上春樹を巡る冒険インタビュー『STUDIO VOICE』83年3月号

「いつかこれだけは訳してみたい、というものがありますか」
村上「絶対に『グレート・ギャッツビー』ですね。何が有ろうと60歳過ぎたら訳そうと思っています。
…それから『ライ麦畑…』。
あれは巧く訳せる自信があるんですけどね。事情があってできないんだけど。
(『マリクレール』発表年不明)

「僕は高校時代に『ライ麦畑…』を読んで感動し、それから「なんだ、あんなもの」と言う時期がしばらくあって、それから年取ってまた「良い本だな」と思うようになりました。
野崎さんの訳もとてもチャーミングですが、僕は僕なりにすごくすごく
素直に訳してみたいと思っています。」
(99年『村上朝日堂』)



「あんなもの」扱いから「自分ならもっといい訳にしてみせる」という事から
あれ
http://diarynote.jp/items/books-jp/4560047642/
を書いたって事っすか…(2009年発行)

ふ~~~~~ん
けど、この『ただしい読み方』には引用文の注釈として
野崎訳と村上訳の両方ページ数記載されてますが文章の引用としては
野崎訳 が採用されているってのは、
その「出来」からではないでしょうか?

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