この人の最新刊から読み、興味を持ったので別の本も借りてみた。
けれど、内容はほとんど同じかな?むしろ後から出している方がエレガントさが
ある感じ。本書、ところどころヒステリックな感じがしないでもない。
ただ、最後の終わり方がなんか「ブチッツ!!」って感じで終わっている。
「私の言いたいことはこれだけ。じゃ!」みたいな。
本書ではそれではだめ、みたいなことを書いている割にそうくるかあ??と。

言えることは「英語だろうが日本語だろうが相手を思いやっての会話は同じ。
日本語できちんと自分の意見を述べれない奴がいくら英語をやっても上達しない」。そりゃそうですね。例えば外人さんと「あなたは神道?仏教?」と聞かれてその「差」すらわかっていない人がどう説明しろと?
3週間しか行かなかった「留学」の時もそれは思った。
「あなたは××についてどう考える?」と常に自分の意見を述べることを求められていかに日本文化や普段「どっちでも~」と言う生活(思考)をしているのかを
思い知らされて「わたし、何も知らんで生きてきたんや…ボーゼン」としました。けど、やっぱり日々の生活に追われて知ろうとしていない、語ろうとしていない…
ま、日本で語ると「ウザい」とか「重い」とか散々ですが。
だからこうやって一人ブログで愚痴吐きしているんですが。
それすらしない人よりはマシ、ぐらいは思ってます。
こうやってほぼ毎日書いていたら何かの意見を求められた時に、自分はこう思うと整理できている(????????)から口にしやすい(はず)。
働いていないので意見を求められることはあまりないですが、それでも
他人の話題にはついて行けるだけの情報などは収集しておきたいものです。
とはいうものの、日本人の会話って「きちんとした意見を述べるよりも、
いかに責任を取らずに済むかあいまいな言い方」をマスターした方が得!
って雰囲気有りますよね。


と、またずれた事を…汗
本文でそうだな、と思ったのが
上司や顧客を相手にする時は教科書で習ったような、
フォーマルな言い方が好まれます。
「そんな丁寧な英語、アメリカ人は誰も使っていない」と言う人は、
その様な言葉遣いが必要とされる世界に入った経験が無いという事なのです。

このように、話している相手からちょっとアブナイ雰囲気、
あるいは不快さを感じたら、深入りする前にその場からさっさと立ち去りましょう。パーティは我慢大会ではありません。
あくまでも楽しむために行くのです。逃げ場のある大きなパーティでこのよう様な事が起きたら「失礼。ちょっと手を洗ってきます」とお手洗いに行く振りをして立ち上がり、戻ってきたら少し離れた場所で他人の人との会話を始めてください。


どちらも日本の「井戸端会議」に通じることかと。
(意識の)レベルの低い人達とばかり喋るからつまらない話題ばかりでうんざりし、時間の無駄をしてしまったとかああ聞かなきゃ良かったな的な後悔をする。
常に前向きな生活をしている人と話すと、こちらも元気等を貰える。
「また、喋りたいな」と思わせてくれる人かどうかはここで決まる。
で、一人の愚痴が始まったらどうしても聞かないといけない雰囲気になるし、
特に女性の場合は「自分はこのグループに属している」意識が強すぎるので
「手を洗いに」行った後、別のグループの人と話をするのは結構勇気がいる。笑
花の間を飛び交うミツバチの様に色々なところに顔を出せる人とかまたそれが許されるのであればほんと、そうしたい。


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