映画を見終わった後、すぐに図書館に予約を入れたけど100人以上待ち…汗
で、何気に夫に「今度、一緒に映画に行こうね。」と誘ったら「ワシの周りでも結構見に行っている奴いるし、××なんか本読んでたで。」というのでゴリ押し 可愛く甘えて借りてきてもらった。笑

原作に比べて映画は「ダイジェスト版」ぽいな、と思わなくもなく。
その一方でよく2時間程度にまとめたな~と。
とはいえ、映画には原作のラスト=宮部の死にざまがカットされていたので
初めと終わりの映像をリンクさせないと意味ないのでは…と映画に対する不満も無きにしも非ず。
あの壮絶な死=宮部の本当の「勇気」「強さ」「優しさ」と言った物が
集約されていると思うのだが…

何せ原作では多くの人が無駄死にしたのは、海軍(の指導者の能力不足)のせい だとか人々の心を先導し新聞社のせい
書かれているにも関わらず、映画ではその「軍」の末裔である「自衛隊」の協力無しには撮影できなかったし、新聞社の末裔であるマスゴミのPR力なしには
興業的に成り立たない…と言う事からそう言った発言はカットされている。

零戦のゼロは「皇紀」と言う年代表記が用いられていた時の作成年数(皇紀2600年の末尾の00)からという事らしいのですが、
これまた偶然にも先日読んだ『メサイア』は近未来なのに
この年代表記が用いられていました。
未来の話なのに、過去に使われていた年代…そして偶然にもこちらも「テロ」を扱っており、思いがけないシンクロ振り。
加えて、TVを見ないので知らなかったのですが『メサイア』の作者は『トッカン』と言う本も書きドラマ化もしているらしいのですが主演が井上真央。
彼女、「永遠の0」にも出ている…何このシンクロ率!!

そこで読みながら思ったのは、「3月11日の震災はあくまでも天災 であったが、もしあれがテロだったら…」と。
テロに対して当時の政府の対応の無能っぷりって、戦争の時の司令官の無能っプリと重なるのですが。何をしても後手後手、不都合なことは隠す。
そして 取るべき責任を全く取らずに、名もなき人たちに責任を押し付けてとんずら
今、安倍ちゃんの靖国参拝が問題になっているので、責任を取らなかった無能の人達を「あがめる」と言う事に違和感を感じつつあります。
読んでいて、多分みんなが苦痛に感じたであろう「無能の指導者の元では、作戦もあったものではない状態でただ、殺されて行ったはがき一枚分の命の価値しかない=赤紙代、召集された人々」のあまりにもひどい扱い。
飛行機や物資の方が人の命より大切、と言うあの考え方って実は今も生きている。

福島原発のあの最初の爆発の時、故吉田所長の「ジジイの決死隊を募る」と言うあのビデオ。東京の本社はのんきにその危険さも微塵に感じ様とはせず、分かろうともせずただ電話で「なんとかしろ」。
自分たちは安全な場所にいて、ただ指示を出すだけ。
一方、現場では「死」を覚悟しての作業。
似ていると思いませんか?
そんな死の恐怖に打ち勝っての作業は多分、吉田所長さんの普段からの現場の人たちの交流があってこそでは?この人が一緒に行ってくれ、と言うから自分たちは怖いけど一緒に行く!これも宮部さんはどんなことがあっても俺たちが守る!のあの気持ちと似ている気がします。
これが吉田所長さんではなく、本社から来たただいう形だけの人とか普段から交流の無い人だったら誰も現場の人は行ってくれなかったと思う。
そんな風に色々な思いで「決死隊」があったと思うのに、最近の東電の賠償金の返還を求める、なんてありえない!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140104-00000007-mai-soci
それ、戦地に行って四肢を失った人たちに恩給を返還しろ!と言っているのと同じでは?
http://kotobank.jp/word/%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E6%81%A9%E7%B5%A6

確かに戦争に行った=志願した人達の中には「どうせ生きていても…」「食べ物がもらえるなら…」と言う気持ちでいた人もいるのと同様に、原発の危険な作業をすることによって給料が少なからずアップすると言う事で志願した人もいるかもしれない。アップによって子供の学費になれば…とか様々な考えてその危険な作業に従事したと思うのだがそれでも「恐怖」は付いて回るのだから「手当」があっていいと思う。

同様に先日有ったMマテリアルの爆発事故にしてもそう。
過去に蓋が飛ぶ、と言う「ヒヤリハット」があったにも関わらず、
基準値が無いと言った不手際がどんどん明らかになっていく。
「危険も伴うが、手順を増やしたらその分、経費が掛かる。
かまわん、かまわん。今まで通りの手順でさっさと終わらせてしまえ!」的な
考えが会社に有ったと思う。
その根底には「俺らが直接、現場で作業するわけでないし。何かあっても犠牲になるのは協力会社のやつらやしな」と。
安全な場所にいて、ただ指示を出すだけの人間のおごりが5人もの働き盛りの人々を死に追いやったように思える。
その構図、全く戦時中と変らない様に思うのだが。

使い捨て。
使い捨て。
お前らの代わりなんていくらでもいる。
死んだのはただの捨て駒で、そこに家庭があり、家族があり、個人の意思があったなんて思いもしない。
ただ、戦後発展するために人の心を失くし、利益だけを追い求めた思想が
「戦争」「テロ」なんて大げさな言葉を用いなくても人を殺すのである。

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