『さよならドビッシー』で結構強烈な個性で準主役級だと思いながら
読み進めたのにあっさりと死亡フラグが立った「香月玄太郎」氏の
スピンオフ的な作品。
あっさりとお亡くなりになったので「お気の毒に…」と思っていたけど
本作を読めばおじいちゃん、結構かなりとってもとんでもなく個性が強すぎで
ある意味「生き方が死にざまに繋がるよなあ…」と思わなくもなく。
収録作品最後の『要介護探偵最後の挨拶』が『さよならドビッシー』に
繋がる伏線的作品になっています。
とはいえ、5編中ところどころ「ん?」的な内容になっているのも確か。
後から設定なのでどうしても最初と繋がらない部分もある。
ドビッシー以降の「音楽小説」ではなくミステリーに特化(とも言い難い部分もなきしもあらずだが、まだましと言う意味で)
しているのでスラスラ読めます。

ただ、この人の本を読んでいて思うのは「障害」に対して色々考えをお持ちかと。
デビュー作の『ドビッシー』では遥が全身障害を持つことになり、
『ラフマニノフ』ではチェロ弾きとピアニストが手の障害を持ち
何よりもこのシリーズの「主役」である岬氏が突発性難聴を抱えている。
そういった「負荷」をかけることにより小説としての重みをもたせているんだけどね。『ショパン』に至ってはその部分が全くなくなっていてただただ演奏シーンに重点を置いた私的には超残念な代物になってしまった。
要は作者の主張と言う名の毒が無くなり万人向けになったというか。

玄太郎じいさんの毒も小気味よいので受け入れられる人を選ぶというか。
実際現実でもアクの強い人を好む人とそうでない人がいるし。
私は正直、アクの無い人と喋っても面白くないので毒のある人と付き合いたい。
(とは言っても自分で許せる範囲があるので無条件に誰でも…と言うわけではない。そこをはき違える人が多数いることは確か。)
まあ、どこかで読んだようなありきたりなコメントしか言わない人はごめん被る。喋っていてもホントつまらん。本人自覚あるのかね?あれ。
「私はいい人。人の悪口絶対言わないわ」的な人。
いやいや、申し訳ないがその「いい子ぶりっこ」が他方面では「うぜ~」と
言われているのを本人に言ってあげたいもんだが…

P279
「だれ だって、本心では氏素性のわからない人間を店子にしたいと思わないでしょうからね」
「岬さんとやら、自分の事をどこかの馬の骨とでもいうのか。
アンタは面白い人やな。
大抵の者は、自分の事を世界で一番信用のおける人間と吹聴したがるのに」
「香月さんは、そういう人を信用されますか」
「絶対にせんな。自分の事を信用の置ける人間などと胸を張るのはたいてい詐欺師や」


障害についてはP167
障害と言うのは外観ではなくその者の心の裡(うち)で
どう捉えるかによる

P179
世間なんぞどこにいようと毎日が競争の連続じゃ。
身体のどこかに障害を持つ者は現実に存在するし、能力や容姿に差がある以上、
優劣が生まれるのも当然や。それを子供のうちに教えんでどうする。

と言うわけで自分の上司がこれだと正直気が重いけど、対等の立場で喋れるのであれば面白い友人になれそうだと思う。

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