切り裂きジャックの告白 中山七里著
2014年3月29日 読書
『連続殺人カエル男』『魔女は甦る』に続く猟奇殺人シリーズ(?)
主人公は警視庁刑事部捜査一課の犬養。その相棒として前2作品で「女に不信感を持つ」埼玉県警の古手川。
事件は女性の内臓と言う内臓を一切持ち去った医療に知識のある者の犯行か?という極めて異例&異質そして恐怖を伴う事件の発生…
とまあ、かなりショッキングな事件から始まり一体どんな奴が犯人?と引き込まれるのですが…正直「これは海堂尊が書いたのか?」と思うような医療ミステリーの様な仕上がり。「臓器移植」が一つのテーマ。
この人の本を数冊読んでいると大体犯人の傾向がわかるようになったので
犯人の推測は当たっていたけどその「犯行理由」の稚拙さにちょっと引く。
「いや、それはちょっとその理由でこれはどうよ?」と。
私自身「ドナーカード」が一時流行った(と言うか内情を良くわからないまま、
結構気軽にまるを入れる風潮がありました)時に夫に
「ねえ、ドナーになってもいい?」と聞きました。
自分のその時の気持ちは「どうせ、もう生きていても役に立つとは思えないから、死んで使える臓器があれば使ってもらって他の人の役に立てたらそれでいい」と。自分の場合帝王切開2回加えて婦人病で一回腹を開いているので
腹を裂くことに何の抵抗もなかった、と言う事情もありますが。
が!!普通に臓器を提供して他人さんの体内に収まるのであれば文句ないですが
死してまで『人体の不思議展』で多くの人の目にさらされるのはごめんです!
辛酸なめ子さんも揶揄ってましたが「死んでまで馬に乗らされたり、弓矢を引かされたり、ご苦労な事で」って…あんな風にさらし者にされるなんて思わずに献体したであろう人々に失礼な気がする。
臓器移植と献体は別物であってもあれはちょっと…
で、私の臓器提供の意見に対して夫は「日本はまだ臓器提供に対して法律が確定していないから後あとトラブルになるから止めておけ」でした。
それでドナー登録は見送られたのですが、あれから10年以上経つのに
P161
P181
急進派が「金儲け」として臓器移植を推進しているのか?と一部の人だけにおいしい法律が世の中には沢山あるようで。あのドナーカードの大盤振る舞いも実情を知らないからできた物で。
次の描写はショッキング(犬養が移植手術の録画を見せてくれと要求)
P237以降
確かに怖い。この描写を読んだ上でドナーカードに気安く丸を入れるのはためらう。でも、個人的にはそれでもいいとも思う。だって自分の意志で体を動かせられないのであればそれでうまく行けば役に立つのであれば、と。
しかしこれがもし子供や夫がドナー提供すると言ったら別問題。
自分の体はどうなってもかまわないが、3人は全く別。
やっぱり「キレイな体」で荼毘にふしたいと思うのは宗教観からか?
本書内でも臓器推進派と僧侶との対決があるが、日本古来の宗教観からやはり抜け出すことは難しい。
この私の感情は早くの段階でこうバッサリ切られているのだが。
P150
人に席を譲るのは「習慣」とは言えない時代になっている模様。
主人公は警視庁刑事部捜査一課の犬養。その相棒として前2作品で「女に不信感を持つ」埼玉県警の古手川。
事件は女性の内臓と言う内臓を一切持ち去った医療に知識のある者の犯行か?という極めて異例&異質そして恐怖を伴う事件の発生…
とまあ、かなりショッキングな事件から始まり一体どんな奴が犯人?と引き込まれるのですが…正直「これは海堂尊が書いたのか?」と思うような医療ミステリーの様な仕上がり。「臓器移植」が一つのテーマ。
この人の本を数冊読んでいると大体犯人の傾向がわかるようになったので
犯人の推測は当たっていたけどその「犯行理由」の稚拙さにちょっと引く。
「いや、それはちょっとその理由でこれはどうよ?」と。
私自身「ドナーカード」が一時流行った(と言うか内情を良くわからないまま、
結構気軽にまるを入れる風潮がありました)時に夫に
「ねえ、ドナーになってもいい?」と聞きました。
自分のその時の気持ちは「どうせ、もう生きていても役に立つとは思えないから、死んで使える臓器があれば使ってもらって他の人の役に立てたらそれでいい」と。自分の場合帝王切開2回加えて婦人病で一回腹を開いているので
腹を裂くことに何の抵抗もなかった、と言う事情もありますが。
が!!普通に臓器を提供して他人さんの体内に収まるのであれば文句ないですが
死してまで『人体の不思議展』で多くの人の目にさらされるのはごめんです!
辛酸なめ子さんも揶揄ってましたが「死んでまで馬に乗らされたり、弓矢を引かされたり、ご苦労な事で」って…あんな風にさらし者にされるなんて思わずに献体したであろう人々に失礼な気がする。
臓器移植と献体は別物であってもあれはちょっと…
で、私の臓器提供の意見に対して夫は「日本はまだ臓器提供に対して法律が確定していないから後あとトラブルになるから止めておけ」でした。
それでドナー登録は見送られたのですが、あれから10年以上経つのに
P161
「ああ。つまりな、脳死が人の死であると規定した法律はまだないんだ。(中略)
現状、日本で行われている移植手術と言うのは生者を生贄にした臓器の争奪戦なのさ」
P181
「弄するも何もそんな必要はどこにもない。いずれにしても臓器移植なんてものは過去の遺物になる。京大の山中教授が進めているiPS
細胞の研究。あれが実用化されれば臓器は全て自家増殖できる。ドナーを探す手間もなければ拒絶反応に怯えることもない。
移植ビジネスで肥え太った連中は顔色を失くすだろうが、元々臓器移植なんてのは医学の歴史の中ではあだ花みたいなものだ。長続きしないよ」
「iPS細胞の実用化まであと五年と言う話だ。臓器移植法が疑問視され、
法改正が終わる頃まで五年なんてあっと言う間だ」
急進派が「金儲け」として臓器移植を推進しているのか?と一部の人だけにおいしい法律が世の中には沢山あるようで。あのドナーカードの大盤振る舞いも実情を知らないからできた物で。
次の描写はショッキング(犬養が移植手術の録画を見せてくれと要求)
P237以降
ドナー患者の脳死判定がなされ、 麻酔の針を立てた瞬間、その部位がびくりと震える。移植に供されるのは部位的には生者であると言う当たり前の事実が、改めて身に迫ってくる。
続いて開腹と臓器摘出。完全な死体を切り刻んでいるわけではないのでこれも当然と言えば当然なのだが、新たな噴出がある度にひやりとする。
(中略)
しばらく考えて合点がいった。普段自分たちが接しているのは、すでに動かなくなった完全な死体だ。凄惨で気味が悪くとも煎じ詰めれば静物に過ぎない。
ところが今、解体に供されているのは部分的とはいえ活動している生体だ。
つまり生きながらにして解剖されているのと同義であり、
いわゆるスナッフ・フィルムを見せられているようなものなのだ。
命のリレーと言う言葉は偽善だ。
理屈の上ではどうあれ、移植とは他人の生命で己が生きながらえることなのだ。
確かに怖い。この描写を読んだ上でドナーカードに気安く丸を入れるのはためらう。でも、個人的にはそれでもいいとも思う。だって自分の意志で体を動かせられないのであればそれでうまく行けば役に立つのであれば、と。
しかしこれがもし子供や夫がドナー提供すると言ったら別問題。
自分の体はどうなってもかまわないが、3人は全く別。
やっぱり「キレイな体」で荼毘にふしたいと思うのは宗教観からか?
本書内でも臓器推進派と僧侶との対決があるが、日本古来の宗教観からやはり抜け出すことは難しい。
この私の感情は早くの段階でこうバッサリ切られているのだが。
P150
「善意なんてものはつまるところ偽善か自己満足に過ぎない。
そうでなければ勘違いだ。人が他人に手を差し伸べるのは、自分が善人であると
信じ込みたいからだよ」
人に席を譲るのは「習慣」とは言えない時代になっている模様。
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