桜庭の「さ」行
柴田の「し」行
本を探していたら目が横に横にスライドすると目についた。
あんまり記憶にない題名だったので借りたけど、過去に読んでいた。
「ヒマワリの花を踏みつける」というくだりで思い出した。
『砂糖菓子の弾丸は打ちぬけない』と
『朝顔はまだ咲かない』と文末が「ない」という韻を踏んでいるのも気になって。笑

同じ「ない」でも、作家の普段の思想というか生活が真逆な作品に思われた。
本作は高校生の時にいじめにあってそのまま中退、引きこもりになった20歳の女子の話。
中学生活をいかに生き抜くかを題材にしたのと比較すると中学で生き残ったけど
高校では生き延びれなかったというところか。
『砂糖菓子…』の桜庭氏は多分「子なし」、一方『朝顔…』の柴田氏はこの作品で子供がいるからのこその視点で話を展開している。
46歳の母と20歳の娘。
私は46歳で息子がもうすぐ21さいになり、あと二月後には19歳になる息子がいるからこそ
この文章が印象的だった。P141長いですが
「いまのとこあたし、現役で女やっている以上に、現役でまだ母親していたい気分なんだよね。なっちゃんにはわからないと思うけど…親ってさ、昔のことを思い出すと、すごく、すごく淋しくなるんだよ。
昔、なっちゃんのちっちゃい頃、どれだけ可愛かったとか、どんなに愛しかったとか、とか。
もういろんないろんなこと、親はね、ずーっと、ずーっと、忘れられないのよ。
もうあの頃のなっちゃんはどこにもいない、あたしの娘は大人になって、ここにいる。
そう頭でわかろうとしても、忘れられない。忘れたくたって、忘れられないの。
もう子供は大人になったんだから、親としてのアンタの役目はおしまいだよって、神様にそう言われても、未練がましく思い出しちゃうのよ。あたしが育てたのに。
あんなに大変だったのに、そう思うと…泣きたくなっちゃうんだよ。
だから…そんなに急いで大人にならなくてもいいのよ。もっとゆっくり、のんびり、
大人になってくれればいいのよ。ママはそう思っている。
世間の教育評論家なんかからは、甘いとか、そんなんだから今の若者は幼稚なんだとか
、怒られそうだけどね。」


多分、「毒親」本人もしくは「毒親」に育てられて親になった人以外の「普通の親」は
共感できる部分ではないでしょうか?
桜庭作品にはこんな風な「親からの意見、気持ち」が描かれることはまずないので
こういった部分からも桜庭氏の過去がどちらかと言えば毒親に育てられた人の感性に
近いきがするし、また同じような毒親を持つ子供たちから支持されるのではないかと思う。

私も完璧な親ではないけれどむしろ欠陥の方が多いだろうけど、
それでも今回のG.Wに一瞬だけ帰省した長男から帰りの電車からのメールで
「やっぱり、実家はいい」という一言をもらい「毒親」にはなっていないと一安心したところ。

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