神社を舞台に扱っているから自分好みの設定なんだけど、なぜかイマイチのめりこめない。読みにくいの。
多分ラノベ独自の設定、言い回しが多用されているからだと思うけど、
独自のリズムがありますよね?
わかりやすく言えば、大学生(ラノベ)と社会人(一般小説)との話し方の違いみたいな。
その層には通じるけど、それ以外の層には「なんのこっちゃ?」的な。

舞台になっている大主神社(おおぬしじんじゃ)は多分、
京大の横にある吉田神社がモデルかと。

パワースポットだなんだと浮かれ騒いでいる人間にはちょっと耳の痛い
P5
『神は人の敬いによって威を増し、人は神の徳によって運を添う』
これは御成敗式目の中の一文であるが、元来神と人のかかわりとは、
お互いがお互いを高め合い、支え合うものであった。
しかし今やその天秤は崩れ、神は人から願いを訴えられるだけの、
一方的なものに置き換わってしまっている。
その結果、多くの神々の力が衰退し、
ある神は高天原(たかまがはら)へと帰り、
またある神は、春の陽に雪が解けるように姿を消してしまった。
かろうじて地上に残った神々も本来の力を削がれ、
満足に自らの用事を済ませることができなくなっていることを、
人々は知っているだろうか。


似たような設定でそれこそ子供がファンタジーを信じなくなったからファンタジーの国が崩壊する…ってのもあるし、『夏目友人帖』にも信仰してくれている人がいたからこそ存在していたのにその唯一の女性が亡くなった途端にその神様が小さくなって消滅した…ってのもありましたな。
困った時の神頼みじゃなくて、普段から手を合わせ感謝してこそ神の力は維持できるのであるが、正月一回の人間に都合のいい願い事祈願ばかりじゃやっぱり神様も正直、つらい。
キリスト教では神様に似せて人間を作っているということが前提なので
人間が嫉妬するように「私は嫉妬する神である」と堂々とおっしゃっている。
もし自分が社会において普段一方的に「お願いされる立場」だったらどう思う?
いい加減、疲れませんか?
なんで自分ばっかり…って。
まあ、そんなつらい気持ちの神様が出てきて、人間の子によって精神的に救われる…と言う話。それこそ「相互扶助」の精神。

京都などの有名神社ばかりに目を向けず、地元の氏神様にきちんと正月ぐらい手を合わせましょう!

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