昭和の神戸 昭和10~50年代
2016年9月5日 読書 コメント (2)
震災で古き良き神戸の面影が無くなりました。
震災以前の10~50年代(主に30年代)の神戸の風景。
52年頃は私も電車に乗ってこの風景を見ていたので、
ただただ「懐かしい」そしてあの頃に、あの風景をもう一度見たい!!
と思わずにはいられない。
どこかのんびりしてどこかハイカラで。
このハイカラと言う言葉が似合うのも神戸ならでは。
女性が写っている写真が数枚ありますが、
今の若い子と違って皆「姿勢がいい!!」。
スカートにハイヒール(パンプス)、ウオーキングを習っていない人たちなのにすっきりとした姿は本当に美しい。
モデルでもなんでもない本当に普通の女性がこれほどまで美しい姿で歩いていたあの頃。
美人はいなくても皆初々しく清潔でにこやか。
かわいらしい清楚な神戸のお嬢さんらしさがいっぱい!!
今はただどこにでもある街のビル街に変貌して個性のあるデザインの建物も無く
ひたすら耐震性と言う名の無機質な没個性だけの箱ものだらけになってしまった
街並みは一言で痛々しい。
ここまで外観に面白みを失った今、神戸はもう自分の知っている神戸ではない。
「風見鶏」がブームにならなければ。
「震災」が無ければ。
神戸はこれほどまで悲しい&残念な街にならずに済んだのだろうか?
p129の2ページ渡るいわゆる「神戸の風景」に
山一証券の富士山があり、雪印のマークがあり、そごうがそして私の大好きな阪急三宮駅が写っている…
願いがかなうなら、昭和40~60年代の写真集を出していただきたい。
震災ですべてが無くなってしまう前のあの美しい神戸の街並みを。
p.s
女性の立ち姿が美しいのは写真の中でも着物を着ていらっしゃる方が写っているので
着物文化のきりっと感が洋服に移行しても残っているのかもしれません。
こういう意味では和装から洋装に変わり動きやすくなったものの、丹田に力を込めて
すっくっと立つことも無いので現代の様にダラダラ歩き&猫背になってしまったのかも。
そう言った意味では美しき日本文化も破壊されたのかもしれません。
震災以前の10~50年代(主に30年代)の神戸の風景。
52年頃は私も電車に乗ってこの風景を見ていたので、
ただただ「懐かしい」そしてあの頃に、あの風景をもう一度見たい!!
と思わずにはいられない。
どこかのんびりしてどこかハイカラで。
このハイカラと言う言葉が似合うのも神戸ならでは。
女性が写っている写真が数枚ありますが、
今の若い子と違って皆「姿勢がいい!!」。
スカートにハイヒール(パンプス)、ウオーキングを習っていない人たちなのにすっきりとした姿は本当に美しい。
モデルでもなんでもない本当に普通の女性がこれほどまで美しい姿で歩いていたあの頃。
美人はいなくても皆初々しく清潔でにこやか。
かわいらしい清楚な神戸のお嬢さんらしさがいっぱい!!
今はただどこにでもある街のビル街に変貌して個性のあるデザインの建物も無く
ひたすら耐震性と言う名の無機質な没個性だけの箱ものだらけになってしまった
街並みは一言で痛々しい。
ここまで外観に面白みを失った今、神戸はもう自分の知っている神戸ではない。
「風見鶏」がブームにならなければ。
「震災」が無ければ。
神戸はこれほどまで悲しい&残念な街にならずに済んだのだろうか?
p129の2ページ渡るいわゆる「神戸の風景」に
山一証券の富士山があり、雪印のマークがあり、そごうがそして私の大好きな阪急三宮駅が写っている…
願いがかなうなら、昭和40~60年代の写真集を出していただきたい。
震災ですべてが無くなってしまう前のあの美しい神戸の街並みを。
p.s
女性の立ち姿が美しいのは写真の中でも着物を着ていらっしゃる方が写っているので
着物文化のきりっと感が洋服に移行しても残っているのかもしれません。
こういう意味では和装から洋装に変わり動きやすくなったものの、丹田に力を込めて
すっくっと立つことも無いので現代の様にダラダラ歩き&猫背になってしまったのかも。
そう言った意味では美しき日本文化も破壊されたのかもしれません。
コメント
涼女さんのおっしゃること全てに「うんうん」と頷きますね。
成田一徹さんが神戸の残り香の前書きに書いていたことと相通じます。
「数年前、神戸新聞のインタヴュー記事の中で僕は、神戸の街から神戸が消えていく。僕の中で神戸のイメージがしだいに遠いものになっていく、と嘆いてみせたことがある。月に一度帰神して三宮駅前に降り立つといつも小さな戸惑いを覚える。周りは若者ばかり、甲高い喚声が耳をつんざいて、これじゃまるで小さい渋谷だ。・・・街も変わった。薄っぺらで陰影に乏しい芝居の書割のような街。そのままどこかの地方都市の駅前繁華街をそっくり入れ替えてもそんなに違和感はない。・・・」
われわれにも常々言っておられましたね。だから成田さんは神戸が神戸であったころの残り香を切り取って作品にして残したかったのですね。写真と切り絵の違いはありますが。。。
神戸のまとっている雰囲気…言葉では絶対に言い表せないあの雰囲気。
どこを切り取っても神戸!としか言いようのないなの独特な雰囲気。
多くの人はそれを感じるから「神戸っていい!!」となるのではないでしょうか?
震災後、素敵な「整形」手術を行い一見「前と同じ顔」を取り戻したかのように
行政は思っている(思いたい)けれど、明らかに「違う」からこそ活気もイマイチ
戻らず福岡などに負けているのではないでしょうか?
「防災都市」に力を入れすぎた結果デザイン性も無い、ただのだだっ広い
面白みも無い箱ものばかりになり、生活道の「路地」を潰した結果「生活」に
潤いが無くなったと私は思います。(人との触れあいなど)
神戸はあらゆるものの「デザイン」で持っている街だと思います。
逆に言えばどこを切り取っても絵になる街だとも。
それをのっぺらぼうの無個性のビルだらけにしてしまったらもうそれは
「神戸ではない」と思います。