男の妄想メルヘン。
(白いワンピース、麦藁帽、そしてロングの赤っぽい髪。
性格は控えめ、母性愛にあふれ優しい。現実にこんな女がいたら見たいわ!!)
けれど3作目の『犯罪者書館アレクサンドリア』よりは全然マシだった。

あとがきから先に読むと
「とある作品を書いている途中に思いついて完成原稿を担当者に渡した。
初期段階では『森だけが生きている』と言うタイトルだった」と言うことで
頭に常にこの初期の題名を意識しながら読んだ。
ある意味クイズのヒントを貰った気分。

さて、『アレクサンドリア』のあとがきと本書のあとがきを合せて読んだ結果、
この人って下手に編集者に茶々を入れられずに好き勝手書く方が伸びるタイプでは?
図面でも次から次へと修正が入ると、修正した部分をまた修正し直しさらにまた別の部分を修正することに…と延々ループした結果
「これなら、一から書き直した方がキレイかも…」と言うパターン。
一方、はじめからきれいな線が引けて、修正も無く思いのままに書いた図面は修正もせずに済む、そんな感じ。
いつの間にかお子さんいらっしゃったんですね…
家族三人で旦那さんの気まぐれ(?)で海外に引っ越し…
内容は駆け足過ぎて。
もう少し一つ一つを掘り下げてくれたら今後移住や赴任する人のアドバイス本になったと思うけど。
結局、何が言いたかったの?と言う感じ。
英語できる旦那さんだから海外では重宝ですが、普段こういうノリで生活していたらめんどくせー(細かい)旦那さんだな…と思ったあたり。
久しぶりにラノベらしいラノベ=ありえない荒唐無稽な設定、
手抜き過ぎる文章でした。

p84
「今年で22です。西都大学4年です」
「西都大か。エリートだな。
しかし宮廷大の学生が…」

京都の大学ぽいから西都大=京都大と置き換えて、
エリートだなと言う流れとしたらこの宮廷大は旧帝大では???
それとも世間には宮廷大と言うなにか意味のある言葉があるのでしょうか?

で、仮に京大をモデルにした学生が「お勧めの本は?」と聞かれて
「本を読まない」と答えるような人間がいるの?????
p180
「僕が今までの人生で読んだ本なんて30冊にも満たないので」
って…滝汗
むしろ、京大卒の人が書いた本はこれでもか!!ってぐらい聞いたことも、
読んだことも無い題名がずらずら列記されそれも「どうだ!すごいだろ!」感は無く、
むしろ「え、普通これぐらい読むよね?」ぽく当たり前のように書かれているのが余計に嫌味っぽく感じる位なんですけど…

とまあ、細かい設定とか粗が目立ちすぎる。
いっそのこと2流3流私大設定の方が納得できるのに。
無理やり流行りの京都を舞台にした感じが否めない。
いっそのこと架空の町にしたら居心地の悪さが解消されたと思う。
(京都で人をバラすとしたら「海」じゃなくて「山」だと思うんですけど…
なぜ海まで行く必要があるの?と思ったし)

それよりも著者の経歴。
札幌出身で京都の立命館大卒、挙句に書店員をしながらの執筆活動って…汗
ジュン×堂レベルの本屋で自分の専門の本を仕入れたりPOP付ける活動を
しているのならいいけど、ただ棚に並べてレジ売って…のバイトでもできる
仕事だったら親泣くで。
ただ、やっぱり3作目にしてこのレベルだとまだしばらく兼業は覚悟しないとねえ…
コンビニで兼業している作家さんもいるから、今時それが普通なんでしょうねえ…
ハワイ物を読んでいるとぶち当たる「ホ・オポノポノ」と言う言葉。
一体なんぞや?と言うことで借りてみたのだが、
この本では「そんなことわかりきったことでしょ。もう知っているでしょ」
状態で話が進みます。
で、「ウニヒピリ」について語っているようなのですが…
ちっともよくわからない。笑
もう一人の自分ってこと?
深層意識にある自分ってことか???
巻末に用語解説があり
『ホ・オポノポノ』…元々は400年ほど前からネイティブ・ハワイアンの
伝統的な問題解決方法として伝えられてきた「ホ・オポノポノ」。
ホ・オとは「目標」、ポノポノは「完璧」。
すなわち、完璧を目標として「修正すること」「誤りを正すこと」を意味します。

『ウニヒピリ』…潜在意識
それは子供のような存在しとして現れ、魂のメモリーバンク、記憶庫を管理しています。
あらゆる感情の源泉と言えます。

用語集にしてこれだよ…滝汗
抽象過ぎてさぱ~~り。
と言うわけで途中放棄。
例えば知人が「ハワイに行ってきたのor行くの」と言った場合
「それ、ハワイ島?オアフ島?」と聞いて答えいかんによっては
その人がどういうタイプかわかると思う。
ハワイ島=スピor癒し、自己を見つめる旅を求めて。
オアフ島=お買いもの、日常の延長。

2001年に発行された本なのでもう15年も経った今ではきっとハワイの
環境も変わっているだろう。(多分、悪い方向に…)
この人はドルフィンスイムを仕事として糧を得ているが、ともすると
ハワイの居心地の良さに流されて「何もない人、堕落した人」になる傾向が
あると思う。
常に「今どこ」「私は私」と言う存在意義を持ち続けないといけない。
ただただ「リラックス」と言う言葉に流されてはいけないことを
この人は知って実践しているから読んでいて不安を感じずに済む。
これが、流された人の本だと「いいわよ~いいわよ~」だけでその実「ビザ」の
関係で好きでもない男と婚姻関係を結んでいつまでもダラダラハワイに住み続ける
「気の毒な人」になってしまうから。
自然しかない、何もないという環境だからこそ自然を感じ、自己を見つめる時間は
たっぷりすぎるほどある。
車も少なければ人も少ない。急ぐ必要が無い。
なのでゆったりと感謝しながら生活も出来よう。
しかし、流されちゃいかんのである。
ハワイでのんびりしつつも実は帰国したら寝たきりで入院している実家のお母さん、お父さんがいる。ただただ恵まれた環境でハワイ生活を満喫しているわけではない著者。
むしろ、そのハワイ生活ができるのは周囲の人に恵まれているから、
とそれがわかっているからこそ普段のハワイ生活が充実しているのだろう。

お買いもの一辺倒の本でもなく、スピにかぶれて憑りつかれた本でもない。
自然のありがたさ、自分の在り方の見つめ方と、ハワイで得たものの素晴らしさを
語るにはこれぐらいの本の方が良いと思う。

ところで表紙のイラストは「マナカード」である。
p116
ハワイの隠れた知恵を学びながら日々のメッセージを受け取ることができる、マナカードというものがある。
マナカードは44枚のカードとその解説書で出来ていている。
カードを引くことで、その時に必要なメッセージがやってくる。


https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9B%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%8B%EF%BD%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB-%E3%83%9E%E3%83%8A%EF%BD%A5%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89-%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%8B%B1%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%8A%9B-%EF%BC%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%EF%BC%89/dp/B00H7RGR1K/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1474945618&sr=8-1&keywords=%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89

(ちょっと高すぎて買うのが…汗)

この人は流されないだろう、と思った箇所・p100~
ここハワイに来て、月や太陽、地球、海、動物たちを身近に感じ、
大自然と繋がった暮らしをしていると、今までは無神論者で無宗教の私も、
どうしても神や創造主、宇宙エネルギーを感じずにはいられなくなっていく。
(中略)
このアロハの心や、地球とのつながり、宇宙への信頼感などは自分で自分の
中に見出さないといけない。
でないと、ヒーリングは表面的で、薄っぺらい物になってしまう。
そこで精神的に安定し、信頼感のある、バランスのとれた人間となるために
重要なのが、グランディング。
天に伸びる大きな木の様に自分を成長させようと思うなら、
まずはしっかりした土壌、大きなプランターを用意して、次に水、太陽を与え、
地上と同じように地下にしっかり根を張らせることが必要なのだ。
だからすべての基盤はグランディング、土壌なのである。
日々自分でイメージワークするといい。
大地にしっかり立ち、自分の丹田から両足を通って根っこが地球の中心に伸びていくのをイメージし、エネルギーを地球にしっかりコネクトさせる。
頭の方にエネルギーが上っている人は夢見る夢子、もしくは頭でっかちで考えたり
空想するのは得意でも、それを実現化するのが苦手な人になりがち。
(中略)
同じようにハワイのフラダンスもグランディングの練習になっている。
あの中腰のポジションは、黙っていてもエネルギーが下に降りて足腰を通して
地球とコネクトすることになる。
エネルギーが下に下がると、意識が自分の中心に戻り、声も落ち着き、
頭のクリアになる。

長いのでここで切りますが、↑の事がハワイ暮らしを通じてわかったことであれば
なるほどスピもハワイに行きたがるよなあ…とわかった次第。
スピに精通している人にはここに書かれている出来事は「当たり前」の事と認識しているかと思うが、そうでない大半を占める「普通の人」がこれを読むと一言「このおっさん、頭大丈夫か?」と言う感想しかありません。
よく自己啓発系で「宇宙に繋がろう!」「受け取ろう!」と言うことが書いてありますが、
この本を読んで実際にこんな風に会話しているんですよ、と提示されたらはっきり言って
「引き」ますな。
人間以外の大いなる存在がいることは私も理解しているつもりですが、こうやって文章で会話を掲載されたら…
これが科学者が書いていたら別なんですけどね。

例えば
p148
「じゃあ、あなた方も屋久島の存在達と同じなんですね?」
「はい、ほとんど同じです。ただ私たちは彼らほどには直接的には追われていませんでした。オリオンの他の星に居て、周りの星が順にダークサイドに侵略され始めたので、
自分たちの星が侵略を受ける前に、自ら脱出してきました。
そして、プレアデスへと逃げ、そこで地球の事をしり、地球へ向かったのです。」






こういった「メッセージ」を聞くことができる人の存在を肯定してしまうと
例えば「神の声が聞こえてあいつを殺せと言った」と言った事件の犯人の主張が
真実になってしまいます。
裁判のやり直しを含めて今の日本の司法の在り方が完全に覆されてしまいます。

私がちょっとした不幸な出来事に遭遇した時に感じる
「自分の心が悪い事を考えていたから、神様が戒める為に注意してくださったからこんなことになったんだ」的な事とはまったくレベルが違います。
(私の場合は勘違い&思い込み、そんな言葉で片付けられるから)

千里眼もそうですが人間が大体備わっている能力以上の事が出来る人は
その能力を口にしてはダメだと思います。
秘めて、違う方向でその結果を表現した方がいつの時代でも丸く収まる気がします。

「宇宙と繋がりたい!!」と真剣に熱望しているスピな人をたまに見かけますが、
それ一つ間違うと「基地外」というレッテルを貼られるのでその覚悟で
「つながった!」と公言してほしいもんです。
スピを否定しませんが、使い方次第だと思います。
自分が「はまっている」時には何の不思議も矛盾も疑いも感じませんが、こうやって人様が書いているのを外側から見るとめちゃめちゃ冷静になるというかなんというか…
これが宗教にはまってしまう人たちと似たような心理なんでしょうねえ…



ハワイと言えばオアフ島でしたっけ?
日本語が通じるいわば沖縄と同レベルの扱いを受けている島。
本書ではハワイ=オアフで買い物めぐり、
ではなく他の島も含め、めったにできない体験を掲載。
あとニイハウ島については知らなかったので興味深かった。
個人的にはもっとニイハウ島についての記述が欲しかった。

ハワイビックアイランド、マウイ島、モロカイ島、ラーナ島、オアフ島、
カウアイ島、ニイハウ島とあるらしくその内マウイ、ハワイ、カウアイ、オアフについて
掲載。

というわけで、しばらくハワイ関連本が続きます。笑

p.s
p126
昔は「何をどれだけ持っているか」はあまり重要ではなく
「誰なのか」が大切だったということもあるんです。


と言うものの数え方でした。
また、西洋人に侵略された結果「ハワイ語」が喋れない人が多数…
なんとなく今の日本人と似ているような気が…
大阪には縁もゆかりも無いので見ていても「懐かしい」とか「そうそう!」と言った共感も何も感じず。
これ、需要がある分野なんですか

おかんメール

2016年9月24日 読書
面白い。
素人の狙ってない自然な笑いが好感度大!


けど、世の息子&娘は結構お茶目なお母さんに手を焼いている模様。
皆結構仲がいいんだ~と思った次第。
この分類で行くと私はほぼ「幸運体質」です。
確かに「幸せです」し「幸運」だと思う。

あの世とこの世の境で橋渡し、ってのはラノベで腐るほどありますが
こちらはラノベではないと思うけど、ラノベ以下の文章力で読んでも
場面が頭の中で再構築できず、最後のへんはまさに「やっつけ仕事」レベル。
テレビで言うところの「打ち切りですか?」レベル。
正直何を伝えたかったんですか?

今回「は行」の作家をランダムに借りましたが、ことごとく「時間返せ!」でした。
その一方で、かなり興味深い現象にもぶち当たりました。
秘密にて…
実在する歌手名が出てくるので「実話?」と検索したらフリッパーズ・ギターと言う人たちが実在した模様。
まあ、殺人事件は架空ですが。
バブルの頃に生きていた人間でもフリッパーズを知らなければそこに「現実」を感じることも無く。
むしろ、現実と虚構が入り混じった話としてぐちゃぐちゃした感じ。

今回図書館で借りた本はほぼ全滅と言っていいほど「時間返せ!」ばかり。
小説でもなければエッセイでもない中途半端なものばかり。
年寄りの思い出話(特にバブルは良かった…的な?)に付きあわされている気が。
自分もその年寄り話を知っている&語れる世代なのにイマイチ共感もしなければ「懐かしい~」と言う気にもならないぐらい身内話の羅列。
酒の席で「もしあの時代こうだったら~」みたいなノリで本を作らないでほしい。

読み始めてすぐ「内容の割にひねりの無い題名だなあ…」と。
話としてはヒロインがフレンチの元祖みたいな祖父を持ちながら、一切の指導や料理のレシピその物の記憶が無く、短大を出て何年専門学校に行ったのか不明ですがホテルに就職するももの「見習いのまま」で個人店に引き抜かれ。
当然「技術的」にもかなり不安がある上に、オーナーの陰謀で本人が作った料理ではないものでコンクール出場。
同僚君に「5ミリって言ったのに7ミリで切らないで!」と注意されるぐらいおおざっぱな腕なのに大丈夫か?
普段の店でもヒロインが担当しているのはデザートと前菜。
これでコンクール?ほとんど同僚君が作ってるのに?と。
同僚君の性格がいいから成り立っているけど、現実では無理でしょう。
まあ、これで優勝したら「ありえね~」の展開ですが、さすがにそこまでは。
また、料理を通じて祖父の影を追う的な展開から『永遠の0』か?
そこから「戦争」と言うタイトルになったのか?と深読み。
追い打ちでヒロインの性格が、かなりイマイチ。
もしかしてドラマ化を念頭に置いて書いたから今時の気が強いだけの、演技力もくそも無い女優をイメージして書いたのか?と思うぐらい。
料理界は男がメインだからこれぐらい気が強くないと生き残れないという意識があったのかもしれませんが、それ以上にこのヒロインの性格が(しつこく)イマイチ。
何かイラっとするんだよね~素直さが無いというかなんというか。

で、致命的なことにこれだけ専門的に料理について書いている(作者はフレンチ料理人だとか…)のにもかかわらず
読んでいて全く美味しそう、食べたいという気にならずむしろすっ飛ばしている状態!
多分料理の作り手としてはプロかもしれないけど書き手としてはどうかと。
プロなのでどうしても描写が「現実的」になりすぎて、読者としてはイメージできない。
むしろ「物語を紡ぐ人」が料理に関しては素人で「参考文献」を元に自分で食べたいものをこんな料理があったらな~とイメージしまくった描写の方が意外と読者に「食べてみたい」と思わせるのだと思う。
これが、大きな敗因。
読者は別に「レシピ」を読みたい&知りたいのではなく、物語を読みたいのである。
むしろ料理を知らない人間の方がバッサリ割愛できる分、物語に重きを置けるのではないかと。

ヒロインの性格、料理描写の分量をもっと見直したら合格点!
そんな感じ。
まあドラマ原作ならドラマ化した時に目で料理が楽しめるからそこを狙ってる?
タイトルに騙されたというか…
内容&文章ともに好きにならなかった。
個人的な偏見で言えば「2ちゃ×の住民的男性」が好みそう。
作者の趣味だけで構成されていて読者不在感大。
時間返せ!
屋久島に行きたいな~と思っていたら
何気に次男のついったーをのぞき見したら
やっぱり「屋久島いきて~」とあった。
一緒に行きたいな~~~~
偶然にも先日何気に問いかけた疑問にこたえるかのような箇所を発見!
p30~
「人間の体を作るのは食べ物、人間の心を作るのは本」
「あやかしの場合は逆だと知っているかな?」
「あやかしの体を作るのが本?あやかしの心を作るのが食べ物?」



『からくさ図書館来客簿』が事実上ネタ切れ感&マンネリ化して
飽きていたところに違う方向から切り込んだ作品。
とはいうものの、『からくさ』に出てきた人物も顔を出しているのが
面白い。

『からくさ』に比べたら歴史を背景にしたり重苦しくも無く
うんちく満載でもないからさっさと読める割にどこか物足りない。
食べ物描写満載の本って実は好きじゃないんですよね…
だって本筋がイマイチでも「おいしそう~」と言う感想で単純な人は
騙されてしまうから。
あと、ウサギが出てきて「かわい~」と言う感想で(以下省略)


ある意味、ラノベ作家らしくなったなあ~それはそれでいいけれど
デビュー作の方が好きなんだけどなあ…





ま、まあ…こんな感じの神様紹介もあっていいかなあ…
どの場所がどの怒りに効くのか…と覚えれませんが
暇があれば手や腕で「痛い!」と感じる場所を押せば
いい感じで感情コントロールできる模様。
よくあるイラストではなく「スケルトン図解」でツボの位置を
示してくれているの良心的。
女性の古本屋経営13人を収録。
だれも「小さなときから(古)本屋さんになりたかったの!」
と言う人は一人もおらず、数々の職を経て最終的に古本屋に落ち着いているけど、
まだまだ「進化」しますよ!!って感じの人もいる。
前職が全て「無駄」にならないということがこの本で証明されているので色々職を…と悩む必要はなさそうな気がする。
まあ、「一国一城の主」になった場合だが。
死ぬまで人にこき使われる人生を求めるのであれば、転職回数は少ない事にこしたことない。
本屋さんの仕事内容を知りたいという向きにはイマイチでむしろ波乱万丈の人生を垣間見る為に読む本。

男性店主の古本屋と違って女子の場合は古本+αなことが多い。
でもそれ以上に「店主の個性」=人間性が大きく反映されている気がする。
自分の趣味合う本がある、入りやすい雰囲気、ほっとする空間など、
目に見えない何かが人を引き付けることによって、
収益が上がらないと言われる古本業界で生き残っているのでは、と。
別に古本に限らず「商売」と言うか売り手と買い手が存在する関係の場合、
やっぱり「客を大事に、そして扱っている商品に愛情」が無ければ存続は
難しいのでは?
また一国一城の主になり、従業員を雇う立場になったら次は「従業員が気持ちよく働ける場所の提供」も考えないといけないと思う。
まあ、お客さんが集まる=いい雰囲気と言うことなのでオーナーがちゃんとしているところは相乗効果が発揮されていると思う。

あまり頭を使わずに気楽に読めるように…と選んだのにミステリーだった…
とはいうものの、一言で言えば「コージーブックス」。
過去にトラウマ犯罪を経験したヒロインに再び悪夢が。
事件解決を通してヒーローと段々関係も深めていく。
そして犯人逮捕!でホッと気を緩めた瞬間ラスボス登場!のパターンはお約束。
ぶっちゃけミステリーをはじめから読む気であれば本格派を選んだものを…。
ストーリーは折り返しの登場人物を見れば誰が犯人でとすぐわかるのでなんかなあ…

今回のヒロインはカフェを切り盛りだとかパン屋、その他飲食店経営の独り立ちした女性設定ではないけれど某胡散臭い会社で「人生をポジティブに切り抜ける名言」を作り出すのが仕事。
随所に「未来をつかむために、雨の日も出て歩きます」だとか「未来の物を受け入れます。それだけはたしかです」など出てくる。

ん~~~小説でこのような形でこの手の文章を読むと、
ものすごくこの手の考え方が「バカげたもの」←ヒロインの弁護士の姉がそう表現して妹にムッとされる
にしか思えなくて。
ああ、インチキ宗教にはまるのってこういうことをいうのかと妙に冷めた気持ちになりました。
それも教祖のお言葉ではなくお付の者がひねくりだしたものが人気を得た…となるとねえ…

ベストセラー作家にしては全然というかありきたりすぎて面白くなかった。
題名の意味は過去のトラウマを夢で見て夜中に叫びだすという全然しょうも無い意味深でもなんでもない理由から。

そういえば昔は「宇宙と繋がる」系も読みましたが、それに属する作家たち(?)は
それ単独だと完全コピペになるからまずいので
基本+占い、基本+ノートに書きだす系、基本+風水、基本+開運メイクなど
何かしらのプラスを付けて出版。
単独でそれらの分野を読んでいる人間には「また、これかよ…」とうんざり…
どの分野も読んだことの無い人が「この本いいです!」と絶賛レビューを
書くから騙された既読者が購入する羽目になる。
本が売れないから騙してでも買わせる手法ですか?と言いたい。
売れている本が満足感大とは決して言えないのである。

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