2009年発行 七江亜紀著

働いていない女ですが、読んでみました。
よくあるカラーコーディネートの本と同じく4シーズンに自分がどれに当てはまるかセルフ診断があるのですが、今まで借りたり読んだりした本の中でこれが一番「手抜き診断 」だと思います。
なぜなら4枚のカラーシートを顔に当ててどれが顔移りがいいかをチェックするだけ。他の本だと目の色、髪の色と言ったチェック項目があり、該当数がどれが一番多いかを見た上で判断するのがたぶん「主流」だと思う。

この本で初めて診断する人はまず、無理。

どちらかと言えば「診断」に重きを置いたタイプの本ではなく、自分に似合う色によって自己表現しましょう、と言うことが言いたい方の本だと思う。

外見は内面を作り、内面は外見を作ります。だからこそ、自分を輝かせる服を着ていれば、最高の共演者が見つかるのです。
では、外見のバランスが取れている人とはどんな人でしょうか?
1.自分に似合う、自分を見せる色を知って身につけている。
2.自分の体形や雰囲気に合うスタイルを知って身につけている。
3、自分のファッションバランスを心得ている
ので、自分の似合う色を見つけましょう。ひいては、カラーコーディネーターを利用して賢く買い物をしましょう、と言う展開。
自分に似合う色やスタイルを多角的に把握していれば、時間、お金、空間の節約になります。
時間…買い物に時間がかからなくなる
お金…無駄買いをしなくなる
空間…クローゼットに着ない洋服がこれ以上増えない

カラーコンサルタントの捜し方
1、口コミ
2、プロ根性を感じさせるHPを見つけたら、迷わず連絡してみる
3、親切かどうか(電話してみて、フォローがあるかどうか)
4、独自のメソッドをしっかり持っているかどうか

著者も
自分に似合う色やスタイルは「勇気」を与えてくれます。
と書いていますが、落とし穴もあります。

それは 色の判断ミスをそのまま信じ込んでしまうこと

私がそうだったから。
なので口コミとかで「私はイエベなので…」とか「ブルベだから…」と言った書き方をしている人に「アンタ、ホンマにイエベなんか?」って突っ込みたくなります。
この本レベルの診断で自己診断したのでは?とか。
明らかに「黄色い肌の人」は間違いようがないけれど、どちらにもとれるってことの方が絶対多いと思う。

私は20代の時に大阪まで行って診断してもらった結果が「サマー」。けれどもらった色見本にはなぜか「サマー」と「スプリング」が混合。多分カラーを勉強した人には「?」と思うポイントが「ブルー」と「イエロー」がなぜ一緒に?ってこと。
30代に通信でカラーコーディネートを勉強した時に「パーソナル診断」をしてもらった結果が「ウインター」。
講師に「昔、サマーと判断してもらいましたが…」と質問状を出すと「目の色のコントラストと髪の色から判断しました」とのこと。
髪は黒いです。でも、瞳は薄い茶色です。←これからスプリングと判断できないこともない。
サマー&ウインターの色見本だったら違和感無かったのになあ…(ブルーベース同士だから)

ので、結局 何でも似合う ってことで。

ちなみに振袖は母と叔母が二人で見に行って、私は介入しなかった結果素敵な「イエローベース」な振袖に。
重ね衿、帯締め、帯揚げ見事に「黄色」でした。
赤も「朱色」だったので当然「好きじゃない色」と言うこともあり、振袖あんまり着たくなかったな。
カラー診断をするしないにかかわらず「直感」で好きな色、嫌いな色ってわかっているんだと思う。


カラー診断に振り回されず、気持ちがうきうきする色、服をどんどん着る方がいいと思う。「無難な黒」よりも明るい色を着た方が風水的にもいいらしいし。
黒が似合うと言われる「ウインター」ですが、私、黒着ると気持ちが暗くなるからスカートとかボトムに持ってくるようにしてるけどね。黒着る時は真っ赤な口紅するとか。いまどきのメイクに合わないから問題だけど。

おんなじカラーの本を書くなら色診断よりも「きれいな明るい色を着ましょう!」と言ってくれる方がいい。
2003年発行

わかりやすいし写真も丁寧。
なのに…
教室と若干違う出来上がり。
例えば帯締めの上下の向きとか。
(本は右を下向き、左を上向き。教室は反対)
で、今日授業だったのでさり気に「これ、決まりがあるんですかね?」と聞いたら「あります。これで覚えてください」とのこと。
帯揚げのやり方も違っていたし…
この本で写真で覚えたほうが簡単だったのに…

受講終了したら、買おっかな?
め~~ちゃくちゃ「普段着」の着物のエッセイ。
ここまで普段着だと、気楽に挑戦してみようかな?と無謀な事を考え付く人多数出没??

今まで読んだ「着物エッセイ」な本はどこか「よそいき顔」。「これとこれを合わせて格調高く」とは文章では表現してなくてもどこか「着物」な感じ。
こちらの本は「着物」それも「普段着ですが、なにか?」っていうかものすごく「着物を楽しんでいる」のが伝わる。
例えばバレンタインには「ハート柄」の半襟を、春には「クローバー柄」の半襟を…って感じで「小物」としてうまく取り入れて楽しんでいる。これが初心者だとこんな柄、なかなか挑戦できない。
毎日の生活で(25歳の時に着物生活に移行)着なれているので「温泉」にも「MRI]すらも着物を着て行く。周りの人の方が「え!!着物で!!」って感じで見ているのだそう。(そりゃそ~だ)でも、ここまで「当たり前」に着ている人がいるとあっぱれ!
他のエッセイストだと「仕事は着物だけど、夏はスーツに着替えて…」とかあくまでも「ユニフォーム」的というか「私は着物が似合う女ですのよ。(=安い女と違うわよ)」みたいななんかちょっとむかつくんですけど…って読んでいて感じる時がある。
この本はあくまでも「お気楽に」「楽しく」「毎日着るのは精神的にしんどいのなら、好きな時に着たらいいじゃない」って感じで重みが無くていい。
寒い時は「ババシャツ2枚重ね、スパッツ、腹巻き、着物スリップ、ペチコート、長じゅばん、着物…と重ねに重ねてみた」とのこと。「お上品エッセイ」だと絶対にない一文だなあ…と思った。

結婚記念日になんと「旦那さんも」着物を着てお食事に行ったとか。いいな~~~

着物のエッセイを読んでいると大体「母が持っていた…」とか「祖母が好きで…」の一文が入っていて著者の幼少のころから身近な誰かが着物を着ていたので自然に…という傾向が多々ある。
一から自分でそろえなくて済むという環境が自然に着物を取り入れる環境に繋がっている。(と思う)
ある意味「文化継承」というか「習慣が伝承」されているということか。母娘の繋がりが強ければ強いほどこの傾向があると思う。母が着物を着ていた=着物を着る習慣が許されていた=旦那が寛容もしくは経済的余裕あり、に繋がるのでは?
うちの実家の母は着付け、洋和裁できるのに、旦那(父親)の稼ぎが悪くて着物を着ておっとりとできるような環境ではなった。こう考えると夫、男性側に「教養」があり「歌舞伎」なんか当たり前に見に行くような人と結婚したら自分も着物が着れるということが「必要」になるが夫に教養が無ければ、着る必要も無いってことになる。
家と家、格式なんて言葉が昔は言われていたけれど今は「できちゃった婚」とかふざけた状態だけど、いい結婚といかセレブに近づきたいのであれば自分も教養を身につけ、そのような環境に居る男性が「集まる」場所にどんどん行くべきでは?と思う。
まあ、好きでも無い歌舞伎に足げく通い、好みの男性がいたら近づく。ハンター的行動だけどこれぐらい努力しよう!
ただし、若くして歌舞伎に興味ある=母親の影響大ってタイプだとマザコンに注意、ってことになる。

まあ、洋服に好みがあるようにただ着物に興味あるって感じの男性がいたらそれに越したことは無い。
って、なんで着物感想から婚活話になってんだ?!
著者は1945年生まれで「アンア×」創刊準備室に参加し、スタイリストの仕事を開始された方。いわゆる「洋装」の中でも「個性的な」コーディネートが多い「アンア×」の感覚をうまく着物に応用しているのでは、と思う。
大胆な組み合わせで、一つ間違うと「品が無い」って感じになりそうなんだけど「おもしろい」と見せてしまうのはさすが!!って感じ。
本のサンプル写真がなくて、残念。
2002年発行

こうやって「着付け」や「結び方」の本を借りて来ると、「わかりやすい本」と「役に立たない本」があることが分かってくる。
ちなみに、この写真の方は  後者
本屋に有っても「買ってはいけない」タイプ。
なぜなら着付けの工程はあるとして、部分的な説明が別に解説してないから。
例えば「帯揚げ、帯締め」の結び方が別に解説されておらず
「結びます」の一言で済ませてあるから。
全然、説明になって無いやん!!って感じ。

あとね、着付けの写真で背中側に「しわ」が入った写真が掲載されていて「これ?OKなん????」って素人が混乱するような写真載せんといて、って感じ。

今後一冊買う予定だけど、子ども、男性の着付けは今後することないのでこれらの項目が一冊に収まっているよりは「自分で着付ける」が重点的に書かれた本が欲しい。
一通り着れるようになったら着物の種類やTPOなどが書いた本も買ってもいいと思うけど。
とりあえずは「自分で着付けれる本」!

今日は帯結びに入ったけど、学校のテキストは超手抜きなので「どうやったけ????」とあれこれやってみて思い出して何とか形にはなったけど…へとへと。
着る手順、結ぶ手順は頭に入ったから、あとは何度も練習して「きれいな形」になるようにするだけ。
私は復習はするけど、予習はしないタイプ。
だって、「わかってるもん!」みたいな気持で行ったら、先生の説明を真剣に聞かないから余計身に付かないから。

使いやすい、わかりやすい一冊に早く出会いたいな。
まついなつき&占い鑑定団 2002年発行


占い、行きたいんですよね…
特に「手相」。
だって、これって「自分しか持っていない相」だから。
例えば星占いというか西洋占星術(ホロスコープを各自作成して占うのは「正統西洋占星術」と別物だそう)
は「何座の性格はなんで~~」と大体決まっているので、誕生日だけで占うのはパス。っていうか、もう散々調べたし。
同じく他の占いでも生まれた時間まで聞かずに占うのは「精度」にかけるのだそう。
ので、大概の占いは今や無料占いサイトで占えますが(便利な世の中ですね~~~~)、手相ってこの線はこの位置にあるけどどの線として考えるの?と迷うので。

ところで占いも「向き不向き、得意分野と不得意分野」があるそうで、例えば「人生の運」を見るのを得意とする占いで「今付き合っている彼とお~、うまくいきますかあ~」みたいな質問をしても無駄だそうです。

あと、一言で「占い」と言っても「やばい系」もしっかり存在しており、後日「ご先祖様に御経を上げましょう」とか
姓名判断では「この名前はこういう意味を持っているから、何してもだめなのよ。」で「名付け…5万(別料金)」と結局商売に持って行く結果しか言ってくれないとこもあるとか。

某占いは雑誌とかの占い特集で取り上げられていたことがあったけど「これは当たらんなあ…というか、なんか薄っぺらいなあ」と思っていたら、この本でも
「高い鑑定料を払って占ってもらうぐらいなら、本や雑誌で調べた方がトクかもしれない」
とのこと。納得。(どの占いかは秘密で)

とはいうものの、著者のまとめとして「占い師の人間性が左右される」とのこと。まともな仕事についていなかった人が占い師になっても他人に「仕事運のアドバイスをしても、それは真実味に欠ける」ってとこでしょうか。
不倫して悩んでいる人に「不倫はしていることからいかん!」と切って捨てる人も中にはいるらしいので、それはそれこれはこれ、と前向きになれるアドバイスができる人に当たるかどうか、これが結局は「当たる」占い師なのでは?

そう言えば高校3年の時、友人と元町の有名占いの街にて、TVに出ていた占い師に恋愛運を聞いたけど、全くはずれてましたね~~(笑)そいうえば、誕生日だけで誕生時間きかれなかったし。まあ、所詮は金もうけであり詳細な事は大金を払う客にしか言わないってことでしょうね。

手相をきちんと見れる人っているのかな??
なんか「写真集」みたいで、見ているだけで楽しめます。
モデルさんがいいと、やっぱりいいですね。(笑)
翔子さん、可愛いし。
着物の本ってモデルさんがたまに怖い顔と言うか、80年代メイクかのような濃い化粧して、さらに着付けの手順だと真顔すぎて…

この本で見せている翔子さんみたいに着物を着ているけど洋服(ワンピ)を着ているかのようなさりげなさがいいです。
帯締め、帯上げを変えるだけで雰囲気も変わるし。
季節ごとの着物を紹介してくれているので、まじめに着物を普段着に着る人にはいい参考書になるのでは。

私は…そこまで細かく着物を用意できないので…
(例えば桜柄の着物は桜が散ってからも着ているのは「野暮」なんだそう…服とは違いますね)


森 荷葉著 2003年発行

これはもう着付けのやり方とかは一切載っておらず、むしろ着こなしていくためのアドバイス。
例えばバッグならばグッ×のバッグでも和装に合うのもあるし、エルメ×のスカーフをショール代わりに。と言った、決まりに縛られない「楽しみ」を提案してくれる。

ただ、著者は銀座周辺に住んでいるので着物に関する小物から反物まで手に入りやすい環境に居るのに比べて、私とか一般の人って着物を着ている人に遭遇することすら難しい場合はどうすれば…汗
デパートの閉館とか相次ぐ中、安心して購入する場や目の訓練をする場も無い。
そう、着て行く場所も限られている。
著者は香道をたしなみパーティも開き…って環境だし。
着物を身につけると同時に、華道、茶道、そして器にも精通していくのかな?って気がした。
着物を通して文化を理解する、ってことでしょう。

こうやって本を読んで写真を見るだけでも「この帯、いいな~」とか「こんな柄の着物、かわい~~」って思うぐらい。
(危ない、危ない)
アンティークは着物も帯も購入時にチェックポイントがある、ってのもわかったし。

「衿を正す」「足元を見る」という言葉も着物を学ぶとその意味がわかってくる。

着物って本当に日本の文化なんですね~
奥が深い。
もっと、格安で安心して気楽に着れるように、業界も考えたらいいのにね…

 
新日本きもの愛好会編  2004年発行

5分でと言うのはこの本では「二部式」を採用しているから。さらに、ゴム、マジックテープ、アジャスターと洋服でもそんな補正はしないぞ、みたいな道具で短時間に着付けることができる。
道具を使えば確かに和装という独自の着方から洋装に近いものができる、ってのは今習っている教室でも思ったけど、この本ではさらに簡略化。女優さんが早業着替えが必要なのでそれを応用したとか。

ちなみに本書にて着物が着崩れるかどうかは襦袢の着方次第 ということが分かった。(講師、そんなこと言わなかったぞ)
襦袢さえちゃんと着れたら着物は「沿わすだけ」だそう。
これ、今後にめっちゃ役立つ情報だった。

あと、帯の着崩れは普段手を後ろに回したり、形が気になって後ろばかり見ているから体がいがんだまま、形作っているからだそう。なるほど~~
勉強になったわ~~
昨日偶然テレビでユンソ×の家をリフォームしているのを見た。カントリー風に木枠をはめて騙し窓みたいにしたり、漆喰を壁に塗ったり。クッションカバーは韓国で安く手に入れて本人がミシンで縫って作っていた。(旦那の部屋は無かった…国が違っても男の立場って弱まっているのね…)

で、この本でもキッチンやリビングに雑貨を飾ったりして工夫している。風水は環境学で「そこに住む人が気持ちいいと感じることが一番重要」と書いてある。
雑貨を飾ることで「楽しい」と感じる人もいれば、私のようにあまりごちゃごちゃ飾りたくない人もいる。
実際大きな地震を経験した人間にこの本のようなむき出しの雑貨や食器を飾る、と言うことに大変抵抗がある。
こうやって雑誌に出る人は大きな地震に遭遇したことのない人だろうなあ…って。

さて、私のカントリー熱は次男が幼稚園の時がピークだったかも。そう、バザーの手作りでイヤイヤながらも御針仕事にいそしんだから。
テディベアが作れるようになりましたね。
あと、トールペイントも講習があったからやってみたけど、あまり向いていなかった…
ミシンが身近になったから長男の時はしなかった入学グッズは作ったっけ。
その延長で自分のワンピとか作ったり。(でも、やっぱり着なかった)

ガーデニングはこの家に引っ越した時、周囲の家が熱心だったから長男が入園した頃からぼちぼちと。でも、旦那の転勤でそれまで持っていた鉢植えを全部実家に譲って。
こっちに戻ってきてからは、それなりに。ハーブに凝ったっけ。

お菓子作りは独身の時にはまったっけ。今はオーブンが無いからしないけど。
長男からは「マードレーヌ、作って~~」と希望が出ていますが…

この本に取り上げられている人たちのファッション(=森ガール風)も私が着ると目がきついから似合わない。
こんなナチュラルな服が似合う人たちって大体顔がフォニャ~としている。(あまり賢そうには見えないんだよね。優しそうには見えるけど。いい人!みたいなオーラ出てて)

とはいえ、自分はどんなテイストの家具や家に興味があるんだろう…こうやって、「自分」を振り返ると「何もない」のが浮かび上がってきて、怖い。

まあ、基本家をごちゃごちゃ飾るのは好きじゃない、ってことで。見せる収納も、見せない収納もそれ以前に物を捨てることが好き!ってか?
持たない生活が一番気が楽!

どーすんの?私

2010年1月30日 読書
私と劣らないぐらい職場運の無い著者の話し。
とはいえ、著者は自分のやりたいことをちゃんと見つけこうやって本も出したし「ツレがうつになりまして」でベストセラー作家になったし。
あらすじ的に書いてみると


高校卒業時に進学も就職もしなかった著者。(1969年生まれ)家でゴロゴロしていたら両親や近所の視線が痛い。
で、バイトをすることに。

①「さいたま博」でレストランの皿洗い時給750円に採用。しかし、食器洗いとみそ汁を盛るなどの給仕であったがシステムがしっかりしていないので「冷めたみそ汁」を出すことに。しかも雇われ店長の為、全くフォローなし。
1週間で辞めた。

②ハロワに行くと50代の女職員と相談。「好きな事、得意なことは?」と聞かれたので素直に「絵を描くことが好き」と答えたらその婆に「お風呂屋さんの壁に絵が描ける?」
「映画館の入口にある看板の絵は?」と聞かれ「…」となると
「いくら絵が好きだからってそう簡単にえの仕事に就けるもんじゃないの」
「そおゆう夢物語の事を考えていたら就職なんてできないわよ」
と怒られる。で、ファイルから仕事を選べと命令され適当に「お団子屋さん」を選び出し、即面接に行くように指示される。
しかも面接は「お団子好き?」に「ハイ好きです」と答えたら 即採用
翌日から時給700円で仕事開始。しかし接客業に自分が向いていないことを再確認。
1、いろんなことを一遍に言われると対処できない
2、人見知りが激しいので初めての人と喋れない
3、何より明るい笑顔が作れない
ので、パートのAさんに「この仕事向いてないわよ」と言われ挙句「店主も雇う時に若い子はすぐ辞めちゃうし…、って言ってたわよ」と言われる始末。って雇う側の責任はどうよ?!って思うんですけどね。これは1カ月で辞める。

③パートで時給750円の工場に
しかし人がどんどん辞めて行くわ、初めに配属された部署は消滅するわ、いろんな部署にその日その日で飛ばされるわで
うつうつとした気持ちでライン作業していると隣に座っていたおばちゃんが「事務は楽でいいわね~」と言った一言に刺激を受け、事務職をゲットして退職

④正社員工場勤務 20歳
入社当初は前回の変な課長に悩まされたけど、今回の課長はまとも…って思った矢先に新人に手当たり次第手を出す男と判明。自分の後に入って来た子に「気を付けなよ」って忠告するもあっさり恋人関係になりしかも後輩が「課長を狙ってるんでしょ!」とギスギスした職場に…(泥沼)
さらに相談に乗ってくれていた先輩が実は著者と後輩にそれぞれ悪口を吹き込んでいたという…(最悪)
で、毎日こんな嫌な気持ちで会社に行くのはいやだ…と思っていたある日、本屋で専門学校の案内を見つけ、入学決定!

晴れて退職し、好きな絵の勉強に取り組み、そこで夫と親友を見つけることになったらしい。


こうやって向いてないことに時間を取られるよりも、好きな事を少しでも取り組んで仕事にできたら本当にいいよね。
私の好きな事…

ありません。家にいて家事して読書するぐらいです
仕事と言うより、家から外に出たくありません。
同じく短編集。
こっちはさっき書いた本とは違い
読後感に「やさしい気持ち」や「辛さがわかる」と言った
作者の書きたかった気持ちが伝わってくる。

同じ短編集でも男女の差なのか、読者と著者の相性なのか。
「読んで良かった」と思う本と全く思えない本があることを知る。
短編集
確かに描写が細かい、と言えばそうなんだろうけど
読後感が全くない。
「で?どうしたいわけ?」って感じ。(喧嘩売ってますね…)

絵で例えたら
「風景画」が一枚あって
それを見て「昔をおもいだした。懐かしい…」とか
「見ていて涙が出てきた」と言った感情が一切わかず
「あ、この町の風景を描いたんだ」で終わる感じ。

対岸の彼女

2010年1月26日 読書
2004年発行

正直この 程度本が直木賞受賞?って感じ。
宮部ならもっとミステリー仕立てに一気にもっていくし、
唯川さんならもっとぱっきり働く女VS専業主婦の書き分けをするだろうし。
なんていうのかな、この作者の書く登場人物はよく言えば
「まじめ」で悪く言えば「性格が暗い」。
ので、わりと良くも悪くも性格がはっきりした主人公を好む私としては「なんだかなあ…暗いよな。てか、自我がないんですかい?」って感じ。
あと、「過去を振り返る」パターンが多いのよ。
過去振り返って楽しいか?????????
確かに「過去」があるから「今」がある。でも、振り返ってみたところでどうなるわけでもない。経験として未来につなげるしか方法は無いんだけど。成長していく…というストーリーの割に、多分過去の遺物をいじくりまわして終わり、っぽい。
あと、この感想を書くにあたって邪道ながら他人さんの感想を読んでみた。
概ね好評。しかも高校時代のエピソードがうらやましいって…あんたらどんだけ暗い学生時代=表面的な友人関係をしててん?って思う。
通学する時はAグループ、学校に居る時はBグループ、放課後はCグループって結構使い分けていたような気がする=我が母校の傾向として。
あと、先生は最低の勉強をしていたら何も言わなかったし、
同級生も自分の事に手がいっぱいで他人の動向を気にするようなのも少なかったと思う。(少なくとも私は他人が何をしても気にしてなかった)
ちなみに私に嫌がらせをしたのは高校から5人ぐらい入学した内の外部者の一人。これだからよそもんは…←差別

確かに子どもを保育園に入れて働く妻に対する夫の言動は本書に書かれているのと同じことを私も経験した。
でもね、自分は「公園ジプシー」で4歳の娘が砂場でお友達に声をかけて一緒に遊べないからってそんな理由で保育園に入れるために仕事を探すって言う動機が許せん!(怒)
娘にとって「見本」である母親がイジイジした内向的な性格なんだから、やり方がわからなくて当然。
それに「いらだち」と「自分を重ね合わせ」てしまって自己嫌悪から来る行動の結果だし。
そう、この「いじいじした性格」が本書全編を覆っているので性格の違う人間には嫌悪感をもたらす一冊。
小夜子(さよこ)っていうネーミングからして「上品でおとなしそう」っていうイメージをもたらすし。

現在(小夜子と葵)と高校時代(葵とナナコ)を交互に書いて性格の違いを対比させているけど、私としてはもっとナナコをもっと掘り下げて書いて欲しかった。
「女の友情物語」として大きく括るにしても「友情???」に対する違和感大。
色々書きこみすぎて分散してしまっている気がするんですが。
でも大多数は「共感した」「学生時代にナナコみたいな人にであっていれば」「ラスト、泣いた」なのよね…
確かに会社辞めて子ども産んで閉塞感に悩まされている時に読んだら「あのころに…」ってなるとは思うけど、一段階上のステップに上がった今、読んでも共感はしにくい。

う~~~ん…

みどりの月

2010年1月24日 読書
私は大切な時間をどうしてこんなきちが○と同レベルの精神を持つ登場人物がでてきてダラダラとくだらない話に付き合わなきゃならんのだ!と怒りと憎しみにすら似た感情を持って読み終わった。
この角田光代という作家とは相性が悪いんだろう。
読んでいてイライラして、で、結局自分で前向きに生きていくのでもなくダラダラと生きている人間の話を読んで面白い、と思う読者がいるのだろうか?

派遣社員として働いている職場での出来事がこの主人公の生き方が凝縮されている気がする。
明日納品の宣伝紙の、よりによって宣伝ページにミスがあったらしい。そのページの校正担当は私でその失敗の責任は私にあることは何となくわかった。
(中略)花崎さんの言葉を思い出す。怒られる時はね、脳みそのしわをつるりっと伸ばして、全部聞き流せばいいのよ。なんとかなるんだから。周りを囲んだ数人があれこれ言うのを前にして、脳みそのしわを伸ばそうと努力する。
確かにそうしてほうけていれば、トラブルは通り過ぎていく。私の犯した失敗は私の手を離れ、社員たちの手に渡り上手い具合に処理される仕組みになっている。




WILD HALF

2010年1月22日 読書
動物の漫画が読みたいので古本屋に行って
全巻(1~17)パックセットになっているところを
内容も知らず(ビニールパックされていた)に背表紙の
犬のイラストだけで購入。
当たり!でした。

主人公(人間)のタケトと犬の主人公サルサの友情と信頼の物語。二人の「情」が強まれば強まるほど奇跡が起こる…
  少年漫画のセオリー通りなんですけどね。
「信頼と友情」でも、それ以上に友達や動物に対する愛情についても考えさせられるんですよ。人間の身勝手で捨てられた動物とか登場して。その度に自分と毛皮の子どもの関係を問われているような気になるし。
「私は、どうだったんだ?」って。

ラストは連載が長く続きすぎたマンガによくあるように
途中も中だるみしたり、始めと路線が変わってきたり…的な経緯もあったけれど、最終巻と1巻がリンクしてあり「ああ、ここに繋がるんだな」と納得できます。
「もし、また裏切られたら…でも、もう一度信頼してみよう」って思ったサルサの決断&勇気が上手く表現されていて。

私は動物が喋ってくれたら「うれしい」タイプなので
「あら~~喋れるの。体の調子が悪くなったらすぐ言ってね。お医者さん行くからね」って。
痛いのも我慢して、突然目の前から消えられる方が辛いから。だから、銀星(犬の登場人物)の飼い主のように「生きているか死んでいるか分からない」といつまでも
探し求めて、さみしさを味わうよりも目の前で星になってくれる方が飼い主にとっては「どうしているだろう。寒くないか?ご飯は食べているか?」と気をもむよりはいいのだろうけれど。
喋れないからこそ、飼い主は常にペットの体調管理、行動の変化がないか神経を研ぎ澄ませ、チェックすることこそが義務なのだけれど。

毛皮の子どもが喋ってくれたらなあ…
「おやつ、おやつ、抱っこ、抱っこ」と大変だろうけど。

12星座の恋物語

2010年1月20日 読書
石田衣良さんの本がなかったので
しばらく角田光代さんの本を借りることにしました。

この本は12星座でよく言われる性格を男女別にデフォルメした話し。
というものの、この話一つですべての人間を表現できるわけでもなく…
わたしは「『わくわくちゃん』という表現方法をされ
自分の言いたいことだけ言いつくしたらさっさと席を立ち
恋人にあきれられ、仕事もさっさと辞めて3カ月海外旅行それもモルジブに行きたいと言って「行く前に相談しろよ」と
責められるけど責められたところでどうしようもないんだけど、ってしらけて見ている自分。もう、すでに「そこ」には
自分はいないのだから…

鏡氏の解釈によると
いて座は「今、ここ」には生きていない。
もっともっと遠くにある、新しい世界を求めようとする。
いて座はいまここ、ではなく、いつか、どこか、を生きる星座なのである。
片時もじっとしてないで、何か新しいもの、面白いものを探して行動していくことを生きがいとしている。
いて座は旅を好むというけれど、それはこの世界の可能性を全部体験したい、知りたい、と言う気持ちが現れているからである。


よく言えば、理想を追い求め動きまわり、悪く言えば、現実を見ることができないってことですけどね。
ええ、よ~~~く分かっておりますとも。
成功の星木星を守護星に持っているから、根拠のない自信と
成功願望に満ち溢れていることも。
すいませんね、自分勝手、自由奔放のいて座で。
好きなよ~~にやらして頂戴。
それがすべての願い。
9巻だけ欠巻していたので買いました。
一話目がいきなり少年=エーリヒが飼っている
リスのテオが森で迷子になるという…
今の私にはちょっときつかった。
でも、無事再会できてそしてラストのエーリヒの行動が
自分とダブっていて…

2話目のドロテアとヴィルヘルム(イラスト参照)の
ラブラブぶりがちょっと嬉しはずかし…
「手」というか「指」がこんなにセクシーとは。
エロくていいです。♡

下北サンデーズ

2010年1月15日 読書
10年以上売れなかった劇団に18歳の女子大生が団員希望でやって来たことから、運が向きだした劇団。
売れないと売れない悩みが、売れたら売れたで起こる問題。
徐々に変わり始める団員達の気持ちと未来。
どっちが幸せなんだろう…

美丘

2010年1月12日 読書
『みおか』と読みます@題名
主人公の彼女の名前です。
お乳がきれいなお姉ちゃんの話、ではありません。念のため。(写真に釣られてくる人防止)


冒頭のプロローグは「ある愛の詩」をイメージします。
本文はお気楽な大学生のキャンパスラブストーリかと思いきや『世界中』を彷彿させるかのような難病物語に発展します。
美丘の「ドイツ嫌い」「ピンクのジャージばあちゃんに対する接し方」から大体の想像がつきました。ビンゴでした。

『私の頭の中の消しゴム』(でしたっけ?題名)は読んだことも映画も見てませんが、多分こんな感じ?

自分を形成していたものがどんどん消えてなくなって行ったら、後に残る「自分」は一体どんな自分で、昔の自分らしさは残るのだろうか?という「問い」があります。
「ある人の人格を決定するのは、過去よりもその人の希望や将来の目標であると考えたのです。
人格を決めるのは、過去でなく未来だと。」


美丘が崩壊していくその過程を「記録した」主人公。
そしてラストは…
ラストのページを読んだ後、プロローグに戻るとすべてが解明される(繋がっている)タイプの構成。


…感動はそれなりにするんです。
でもね、個性的ではあるけれどめちゃくちゃ可愛いというわけでない美丘と付き合うことにより、キャンパスの1、2を争う才色兼備の麻里さんと付き合い始めてやっと、美丘に対する自分の気持ちを知る、ってどうよ!って主人公の性格のいい加減さ=気の弱さ、人の良さ がムカつくのさ!

それ、優柔不断な男の典型的例でしょ!

この作者、多分本人も優柔不断なんだろう。
この人の作品、この手の「やさしい男」よく出てくるし。
一方の人間にはそれもいいかもしれないけど、それをされることによって「傷つけられる人間」もいるってこと、ちょっとは分れよな!って感じ。

これも変形した「少女マンガ」。

ラスト、「約束」とはいえ、それを実行したら
あんた(主人公)は立派な「殺人者」。
でも、この作者のノリで行くと「僕は美丘の思い出を胸に、
罪を償って生きていこうと思う…」とか言いそう。

ある意味「ロミオとジュリエット」的短絡思考かもしれない。

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