ちょっと中だるみというか、この手の子供向けの本って勢いに乗って一気に読めるんだけど、読書感想らしきものが残らない。
たまに、本文中に「深い」言葉というか考えがあるんだけど、本を閉じたら忘れてしまう。
はて、なんだっけ?何が書いてあったっけ?
教科書に採用されて、テストを受けたら悲惨な結果になりそう…

昔赤川次郎がはやった時も、読みやすくて一気に読めてたけど、やっぱり「この話はなんだっけ?」ってのがあったっけ。まあ、彼の場合はひと月に数冊も発行されていたから余計に似た話が多かったのも原因。
彼は今もサラリーマンをしているのだろうか…
ちょっとかわいい女の子にみえなくもないオバサマキラー系の「あゆむ」君とがっしり系の「たかし」くん。
たかしくんに「おれとつきあってくれ」と誤解しそうなセリフで「一緒に、漫才コンビ組もう」と誘われる。
「いやだ、いやだ、そんな目立つこと…」と拒否りながらも中学生活を楽しんでいる。

内容がアップテンポなので3巻一気に読みました。
(ええ、勉強はそっちのけ…子どもに何も言えない…)

関係ないけど主人公の1人の「あゆむ」君の名字は「瀬田」。
小学校の時モテていた男の子の一人と同じ名前やな…と。
あの、男前君は40代になってどんな風になったやろ?
同窓会、やりたいなあ…
女ばっかりの同窓会は見栄の張り合いになってつまらんけど、男まじったら少しは緩和されるやろ。
デブ、ハゲばっかりしか来なかったらそれはそれで残酷な展開が待っているかもしれないけど…
今まで児童文学というか、中高生が主人公だったのが本編では大人、それもスリと占い師という奇妙な取り合わせ。
本文には高校生も準主役ででてくるけど、今までとはかなり毛色の変わった作品。

ぶっちゃけ、作者名を隠して読んだら「宮部みゆ×の初期の作品」「柴田よし×の失敗作」って感じで読めなくもない。平たく言えば「誰が書いてもこんな作品になる=作者の個性が全く感じられない本」になっている気が…

まあ、児童図書からの一般図書への移行なのかもしれないけど、それにしたらなんか構成が若干お粗末かと。
児童図書ならある程度、小難しい文章でけむに巻いてしまえるけど、大人には「ちゃんと、ここら辺のからみとか描写をきちんとしてくださいね」って駄目だしされそうな、そんな感じ。

この人の良さが出る、中高生が主人公の本の方が私はなんかいいと思うのですが。
この本を一番最初にこの作者の本として出会っていたら、まあ、おもしろかったんじゃない、で終わるんだけどね。

あと、非常に読みずらかったのが占い師の名前。
「昼間 薫(♂)」なんだけど「昼間」ってのが、おひさんが真上にある「昼」とごっちゃになるのよね。
できたら「スズキ」とか「タナカ」みたいに「人名としてありふれた漢字&名字」で書いて欲しかった。
てか、なんでこの名字にしたんだろう?ってぐらい読みにくい。いっそのこと「綾小路」ぐらいだったら判別しやすかったのになあ…ってぐらい違和感があった。


読んでいる間、と読後ちょっと切なくて泣きそうになった。

収録作品として
『リンゴの顔』
『黄色い目の魚』
『からっぽのバスタブ』
『サブキーパー』
『彼のモチーフ』
『ファザー。コンプレックス』
『オセロ・ゲーム』
『七里ヶ浜』

作品中「黄色い目の魚」だけが書かれた年代が違うし、若干テイストも違う。でも、主人公が中学生の時のイラつき、反抗ぶりがくっきりと浮かび上がり、後の高校生時代と上手く繋がっているので問題なく読める。

主人公の「村田みのり」は画家でありイラストレーターでもある叔父の「とおるちゃん」によくなついている。
それは自分の家では得られない解放感と安らぎを感じるから。一方、叔父もそんなみのりをモデルとまでは行かなくてもデフォルメした状態で絵で表している。
中学時代は言動のきつさからクラスメートから浮きまくりでかなり傷ついたことも経験したけれど、高校になっては「ちょっと変わった雰囲気の人」ぐらいで済んでいる。
で、一遍目の「リンゴの顔」では名前が記されなかった「木島」君と知り合う。
似顔絵が上手な子、だけが段々「イラつくほどに強烈な印象を持たせる絵を書く子」とみのりの中で木島君の存在が変わっていく。
初めはただの「モチーフ」と「絵を上手に書く人」だけの「恋愛感情全く抜き」の間柄から段々お互いに「どこに居ても、気になる。愛とかそんなんとは別の感情で」が、どんどん変わっていく描写が、引き込まれるほど上手い!!
なぜ、この子たちがお互いを好きになっていくのかが、手に取るようにというか、違う言い方をしたら「人ってこんな風に人を好きになっていく過程があるんだなあ…」と改めて教えてもらったような。

「顔を見て即好きになった」とかそんな一瞬で好きになるみたいなインスタント恋愛じゃなくて。

で、お互いにやっと「お前のこと好き」「私も」って告白をしたその数分後に「ある疑問」を口にした途端に出来たばっかりのカップルは決裂してしまう。
その描写がなんか自分の過去とダブって涙が出そうになった。
聞かない方がいいのに、でもどうしても自分の中のもやもやを解消したくて聞かずにいられない質問。
その答えによって自分も相手も傷つくことが分かっているのに。答えることが誠実だと木島君は真実を口にするけれど、やっぱりそれは女側には耐えられない事実だし。

高校生が主人公なんだけど、この描写の部分だけは20代でも30代でもそして40代でさえも胸が締め付けられる部分じゃないかな?経験したことのある人間には。

でも、木島君はある意味タフで若いと思えたのが
お互いに好きだって確かめ合って、さあ、これからだって時に、底なしの落とし穴に転げ落ちちまった。(中略)俺は好きな女の子の為に嘘をつく度量もねえんだな。一度死ね。(中略)村田には嘘つけないんだよ。だから嘘をつかなきゃならないようなことを絶対にしないことだ。これからは。
これからがーーあるのかな?
あるさ。
俺はあきらめない。どんなことがあっても、あきらめない。
どれだけ時間がかかってもいい。
どれだけ冷たくされても、怒られても嫌がられてもいい。
俺はあきらめない。絶対にあきらめない。


嫌いな男にこんなセリフ言われたら「お前はストーカーか?」と言いそうだけど、お互いに好きな相手にこんな風に思われるっていうこの部分、いいな~うらやましいな~と。

で、ラストがじ~~んときたんですよ。
「俺、ずっと描きたいから、村田のこと。」
俺は言った。
「できたら、一生描きたい。おばさんになって、ばあさんになるまで描きたい。」
「すごい」と村田は言った。(中略)
「いい?」俺は聞いた。
「描いてもいい?」
今度こそ、本当に村田は笑った。そして、言った。
「じいさんになっても、いい絵を描くんだよ」


すんごい、プロポーズだと思うし。

二人の話はこれでおわっちゃうんだけど、通ちゃんと似鳥ちゃんの関係は?とか脇役の人たちの関係ももっと知りたいな、続編をぜひ、って感じの本でした。

私は絵を描くのが超ド下手なので、この本で絵を描く描写の時に「モデルになることは自分の全てが画家にみぬかれることだから、居心地が悪い」という部分がありました。
そんな目でモチーフを見て描いたことがなかったし、自分にとって「いい絵だな」「好きな絵だな」とかあんまり感じることがなかったので、これからはもう少し絵の見方を変えて見たいと思った。
ただ、写すだけでしたもん。
学校の教科ってどうしてこう、社会に出たら役に立たないことばかり教えるんだろう。大人になってやっと「ああ、これはこうやって楽しむものだったんだ」って。
ダンス(ディスコ)しかり。音楽(カラオケ)しかり。
美術(イラスト)しかり。
その「極意」をちゃんと教えてくれる人に出会うか、出会わないかで人生のモノの見方って変わるのにね。
初めて読む作家さんですが、いや~~あまりのドロドロさにちょっと、気分が悪いかも。
林真理子しかり、どうして女が書く女ってこうも嫌な女が多くて、それも最終的にはホラーもどきになっちゃうのか。

この本でも短編集ながらも最後の一遍は書き下ろしで全編のまとめになっている仕上がり。
要は女って群れてないと安心できないし、群れない人間を軽蔑&疎外して安心して、でもその実いつ自分がハブかれないかを常に気にして…と言ってしまえば身も蓋もない。

いつのころからお弁当を食べるのを1人じゃ駄目、みたいな風潮になったのだろう?
気が合わないのを無理して。でも、波風立てずに仕事をするためには言いたいことも我慢して。
ボス女がいなくなったらどれだけみんな気楽に仕事に行けて、楽しくなるのかわかっているのに。でも、元凶が絶対に辞めない、というこの理不尽さ。
全員が結託してボス女をハブいたら、一件落着なのになzせか、みんなそれが言いだせない。それどころかそのことをボス女にチクル奴なんかまで居て…
本編に収められた女たちって日常どこにでもいる女ばかり過ぎて、身に覚えのある女やエピソードがゴロゴロしすぎているから、それをわざわざ本で再確認させられるのが嫌なのかもしれない。

そして、書かれている独身女がひっかかり、惚れたりする男がどこまでもレベルの低い男ばっかりなのが笑える。
「そんな男、どこがいいんですか?」ってのに金も時間も費やしてしまう30女たち。20代は「人のものが欲しい」とか言っちゃうし。
心が貧しい女が多いんだなあ…と思わずにはいられない。
貧しいからいじめなんかしてストレスを発散しようとする。そんなんだから余計に幸せになれないのにね。
29歳以下の新人を対象に応募ができる「birth」というレーベルからの本ですが。

正直、無駄というか本筋とどう関係があるんだろう?ってぐらい話が飛びすぎる伏線(とも言えないようなエピソード)があって、最終「で?結局?」みたいな読後感。

ミステリアスな「都市伝説」みたいな「エーテル伝説」という「謎」を軸に進展しつつ友人の死というショッキングな事も踏まえて展開するんだけどね。
なんか全部「バーチャル」っぽい仕上がりになってしまって、現実味が薄い。

全体のトーンがぶれちゃっている感じ。
語り手が途中で入れ替わるせいか、読みにくかった。
もう少し整理して欲しいな。
今時のアニメ世代なら何となくすんなり展開が理解できるのかもしれないけど、一世代前の人間にはもっと理論展開というか人物像をもっとくっきりと浮かび上がらせて欲しかった。
一般図書で借りましたが、主人公は高校生。
児童図書でもいけるかと。
それよりも最近この手のライトノベルというか、古くは小説ジュニ×→コバル×→少女小説→ライトノベルに発展したんだろうか?
マンガ並みのお手軽さで、サッと読める文庫本というか。

お手軽なのはありがたいけれど、物によってはちっとも共感も理解も、感動もせずに「?」で終わってしまうのもある。
大体のパターンがどうも一人称でダラダラと自分の日常生活内で起こるちょっとした「事件」を述べ、その中で「家族」の関わりが大なり小なり影響を持って。
下手したら「家族」の影が全くなくて、大学生ぐらいになると「自堕落、無気力、廃人に近い」生態を読まされることになる。

そしてまたこの手の傾向にどうも「自分でちゃんと意思を表現できない」子どもたちが多数。
気持ちをはっきりした言葉で声に出して表現できない、ってのが特徴。
まあ、確かに今の時代下手な事を言って事態がこんがらがるぐらいならまあ我慢しよか、いつまでもこの関係が続くわけでもなし…と諦め感が強い世代・時代でもあるからかもしれないけど。

それでも、この本の主人公のように好きでもない女と「きもちいいから」と寝ちゃったりはては家出までするか?
そもそも家出のきっかけが「今まで存在を感じなかった実の父親が目の前に現れて、その時の年齢が…」と。
この父親の年齢が一つの「キモ」なので書けないけど、いやあんた、それぐらいで…って感じ。
まあ、実際にそれだと「犯罪年齢」ですけどね。
それまでがなんかしっかりしたちゃんとした高校生の主人公に思えていた(=描写されていた)のが急にそれを聞いてから「ダメダメ星人」になってしまったのが…

まあ、しっかりしているとはいえ、所詮高校生。
こんなもんかな。

図書館の分類では児童図書に合ったけど、正直、この本で読書感想文を書けと言われたらめっちゃ困る。

主人公は高校生だけど、内容が暗すぎる。
別に殺人があるわけでも強烈ないじめがあるわけでもない。
でも、内容がどろ~んとしていて、けだる~~~い日常が延々と描写されていて、ラストがなんとも…
これで児童文学なのか??なんかやりきれんな、って感じ。私が読んだのは1993年発行されたものだけれど、全然古くなくて。
これが高校生が主人公でなくても、20超えた大人に移行しても十分話が成立しそうで。

う~~ん、逆にメイン読者の中高生がこれを読んでどんな感想を持つのかを知りたいような。
この独特な世界観をどこまで味わっているのだろうか?
「大人」になっちゃったらこれを理解するのはちょっと難しい。
何の苦労も体験もさせず無菌状態で純粋培養していては、心は育ちません。
様々な人とふれあい、この世に生きる人の痛み、苦しみ、哀しみを知ることが子どもの心の肥やしになるのです。
表面的に人を判断したりせず、相手の背景にある事情まで想像できる力が育つのです。

想像力があれば、 人に優しくなれます。

人の愛というのは、想像力の賜物です。
想像力がないと、人を思いやれないし、自分をも思いやれません。
想像力がないと、人生そのものにつまずいてしまうのです。



全ての私の怒りの原因は「相手が想像力のない人だから」と言うので片が付くのがわかった。
例えば
○歩道に無数の自転車やバイクを止めている→歩行者の邪魔になると言うことが想像できない人が多いから
○公園内でフルスピードで疾走している自転車→幼児が歩いているかもという想像ができないから
○レジで並んでいる人の横入りをする→人が嫌な気持ちになるっていうことを想像できない人だから

こんな感じで「ああ、この人は想像できない人なんだな。かわいそうだな。私はこんな人になりたくないな」と思って自分の心を慰めるしかないんだけどね。
怒ってみても「ああ、この人は想像力ない人だから、それに腹立てる人がいるってことすらも分かんないんだろうな。
じゃ、怒って胃が痛くなる方がバカだよね」って。

実際、ババアやその他大勢に「死ねや!」と毒吐いていたらしっかり胃痛に悩まされ寝込む羽目に。
怒りで自分の内臓を痛めるほどばかばかしい物は無い。
どうせ怒ってもどうなるわけじゃなし。
その人たちは「想像力がない」ということで来期もこのカルマを背負って「落第」することになるとか。
勉強熱心なんだな=想像力がない人 何回もこの世で悟りをひらくまで何回も輪廻転生するって。
これがわかっただけでも少し自分の「格」が上がって、透明な魂に近づいただけ良かった。

今まで自分より年上の人って絶対的に「自分よりいろんな意味で上」って思っていたけど、この考えで行くと70だろうが80だろうが全然魂を磨いていない人って「ざら」にいるみたいなので「年上のくせに、こんなこともわからんのか!」と怒るよりは「もうすぐ落第して、やり直すんだろうなあ…がんばってね。次はもう少しステップアップしてね」と思えるようになったらそれでいい。
一方で10歳前後で死んじゃう子はそれはそれで残された者に「あの子の死を無駄にしたくない」と言った行動を起こさせる「きっかけ」となる場合があるので、その子の短い人生は無駄にはならない。
そんな風にこの世に生きている間、何らかの「目的」があって「課題」があって、少しでも及第点に近づくように毎日を生きていかなきゃいかんのだよな、と少しだけ悟りを開いたオイラでした。
文庫が出たら買おうかな、と思いました。
ので、備忘書きとしてここに転写しておきます。

第二章 「悪意」とはなにか
1、悪意を生み出すもの
○悪意の本質は「弱さ」と「無知」
○幸せな人は意地悪をしない
○生きるとは「無知」を「知」に変える作業

2、日本はなぜ「悪意」がはびこりやすいか
○「おぼろ」が好きな日本人
 人が人に悪意を向ける場合必ず「理由」があります。
 それを隠している限り、悪意は増長します。理由を白日の下に晒して、分析し、内観して初めてそれと向き合うことができるのです。悪意を「おぼろ」にかすませてしまってはいけません。
○コーンの粒の様な均一文化
 もう一点、「悪意」と関わりの深い日本文化の特徴として挙げられるのは「横並びを好む」という傾向です。
こういう文化の中では「抜きん出た人」に対する嫉妬心が生じやすくなります。本当はみんな個性があります。人とは違う輝きがあるのです。それを隠して生きている為に。自分本来の個性を生き生きと表現している人に対して、妬みを抱きやすいのです。 


第四章 「悪意」にどう打ち克つか
1.自分に向けられた「悪意」に打ち勝つ方法
①相手の行為はゆるさない。けれど背景にある感情は理解する。
②二次災害を防ぐために、自分の感情は捨てる
③インスタントな思考に陥らない
④取るべき道を選択し、どちらかを諦める。両方を得られないことを受け入れる。
⑤打ち克つ為に知恵を働かせ、戦略を練る。
⑥「守護霊の視点」を持つ

○相手を嫌うのは、自分と似ているから
 人に「悪意」を向ける人の心の奥底にあるものは何でしょうか。 ひとつは、自分自身に対する嫌悪です。
自分の中にある嫌な要素。それを相手の中に見つけて「だから嫌い」「だからいじめたい」と思っているのです。
二つ目は相手に対するジェラシー(嫉妬)です。
自分の中にはないけれど、欲しくてたまらない要素。
それを相手の中に見つけて羨ましくなり、意地悪をしたくなるのです。人を嫌う時、そのどちらかが必ず心の中にあるはずです。

2.「悪意」に打ち克つ処方箋
○陰口には謙虚さを
○本当のプライドがあれば強くなれる
○「不幸を笑う人」とは付き合わない



てなことで、やっぱり旦那に日頃から言われているように私に悪意を向ける人に対して「かわいそうな人やな」って
憐憫の気持ちを持つことを「課題」として与えられているのでしょう。と、気付かせるために存在していると気づく為の課題なんでしょうね。
相手は自分より低い位置にいる人(特に霊魂的に)、だからその位置に自分が下りる必要はないと自分に言い聞かせないとね。いっつも冷静さを欠いて、降りてしまうのが私の悪いところ。
この本では「家族も他人」。当然「親」も「兄弟」も。
他人なのだからちゃんとしかるべき「距離」を持って礼儀正しく接しなければならない。
なので母親から電話がかかるたびに感情をむき出しにしてイラつくのは止めようと。他人さんにそう「扱いづらい」利用者さんからの電話程度に思えばいい。
この人と接するのは「仕事上」の付き合いだから。
誰も自分の話を聞いてくれる人がいないから、私に無理難題を言って少しでも自分の気を楽にしたいから。
私はその相手をすることによって「魂のランクアップする修行」と思うしかないのだから。

そうそう、悪意を受け止めたら自分のランクアップになるんだ!!!
「情けは人の為にならず」
「因果応報」
ちょっと違うけど、回り回って、めぐりめぐってってことには変わりない。それが「いつ」起こるかは不明なだけで。

あとは「心の貧しい、かわいそうな人」に声をかけてあげれるかだよなあ…施しと憐れみを持って。(毒)
下品な作家が書いたらただのエロ小説なのに、この人が書くと格調高く純愛恋愛小説に格上げされる、という。(笑)

出来ることのなら、世の中、この主人公のリョウ君(大学三年生)のように女性の「笑いじわがすき」「たれたおなか周りの肉が好き」ってただ若いだけの女って言うだけで価値があるかのように考える男が少しでも減ってくれたらいいのに…と思わずにはいられない。

もっと「年齢」ってことだけで区切ったり、差別することなく人間の本質で好きになろうよ。
前回アンソロジーに一部収録されていておもしろかったから読んでみた。ちなみに図書館に置いての分類は児童図書。

前半三分の二はものすご~~く展開が遅い。
なのに残り三分の一はものすご~~い早い展開、言い変えたら大人にとって都合のいい展開。
前半はいかに主人公が「普通、もしかしたらとろい?」
自分の住んでいる街でいくら夜とはいえ迷子になるぐらいダメダメで、部活の「知り合い」にきちんとしたことも自分の口で説明できないぐらい「気弱」なことをうんざりするぐらい説明されているのに、なぜに最後になって「敵のアジト?」それもアサミとヅカちんに「危険」と言われているのにもかかわらず1人で行動するかな?とその展開おかしくね?って突っ込みどころ有り。

まあ、所詮児童文学。ありきたりのキーワードを入れて、展開するのがお約束なんだろうな。
超平凡な主人公、それもダメ系。で、ちょっとした事件が起こることにより今まで親しくなかった同級生と友達になり、事件を通してちょっと大人になる…こんなもんか。

小学校に起きた事件=授業ボイコットも大人の目から見たら「じゃ、なんでちゃんと説明しないのよ」と歯がゆさがある。大人VS子どもじゃ太刀打ちできないって「諦めている」のが今風の子どもの考え方だなあ…と。

次男を見ていたら特にそう。
「どうせ言っても先生は何もしれくれないし」
「どうせ言っても、無駄やし。言うのダルイ」
その一言で片づけている。というかする前、言う前に諦めている。
ある意味、大人の方が子どもに「同情」というか「加減してもらっている」感がある。「許してもらっている」というか。大人特に私みたいなタイプの方が「なんでよ!」と突っかかり、反発をしているのに「もう、ええやんか…」と子どもというか中学生の方が達観しているのである。
教師は子どもたちが「譲って、許してくれている」のをわかっているんだろうか?

本書にもこんなエピソードがある。
「球技大会の練習にバレーコートを予約していたが、ダブルブッキングした。どうする?と言っていると3組の担任教師が「うちのクラスの方が早く来たのでしょ。じゃ、うちの子が使って、あなた方は校庭でしなさい。」
2組の女子にしたらそれはないんじゃない?せめてじゃんけんかてか、フツー自分のクラスの子どもをがまんさせるんじゃないの?と。で、授業ボイコットとなった。が初めは困っていたその教師、2組担任と学年主任を連れてきた。「理由はどうであれ、やっていいことと行けないことがあるだろう」と学年主任に言われ、なぜか納得する主人公。するなよな!って突っ込みながら読んだ私。
だって大人が聞いていても「そりゃ、おかしいだろ。ちゃんと納得するように話し合いをしてコートの件を解決する。ボイコットするに至った理由もちゃんと聞く。それが「正しい解決方法」と絶対、教育針路の本にはかいてるはずだから。
なのに、一方的にグランド10周の「罰」を言い渡される女子。で、主人公はこの時いつもの駄目駄目性格を放棄してなぜか走らずに帰宅。あとで、親が教師に呼び出されて…という展開。

ちなみにこの主人公の親は「呼び出されて恥ずかしかった」と言って子どもを責める。わからん。
私なら何があってそうなったか説明を子どもに求める。


実際、ほんの数週間前、学校のそう次男が毛嫌いしている生徒会の顧問の女教師から電話があった。それも初めっから喧嘩腰に。
「で、僕にどうしろと」とか「うん」「ああ」と教師をバカにしきった口調で対応している次男に「おいおいどうしたんだ??」と聞き耳を立てていたら夜の7時前なのに長男、旦那と帰宅。3人で様子をうかがっていて長男に「何か聞いてる?」「たぶん、あれかな…」

長男の説明によると、例によって例のごとくこの「駄目教師」は思いつきのごとく生徒会役員を「緊急召集」。
一方次男は「大会前は生徒会、参加免除」みたいな申し合わせがあるのでクラブを優先したとか。
それに対してこの生徒会顧問は「なんで来なかった!!!」とクレーム電話を入れてきた模様。
なので次男のセリフにも「大会前だから」ってのが何回も。
大会もただの記録会ならどうってことないのに、「兵庫県リレーカーニバ×」って2日目の決勝は入場料を取るぐらい大きなイベント(らしい…)なので、そりゃ、次男としても力入りますよな。特にリレーなんだから「バトンパス」は絶対走者同士で練習しなきゃね。
公平に見たら「すみません。大会前だったので部活を優先しました。友達に欠席の事を伝えてもらわなかったのは僕のミスです」って言うのが「模範解答」。
でも、次男にしたら「大会前は、免除だろ!!」ってのも頭にあるし、多分それ以上に「何、急に思いつきで徴集かけてんだよ!このブス!」ぐらいの発想をしてると思う。
(ある意味、双生児親子だからね。彼の思考回路がわかる)

ので、電話に置いてもあんなに不遜な対応だったんだろうと。
旦那に小声で「まだ学校に居てるんやったら、次郎と一緒に学校に乗りこんだ方がいいかな?」と聞くと「やめとけ、やめとけ、自分で解決するやろう」と。
30分以上「不毛な話し合い」をしているのでいい加減私の方がしびれ切らして「あああ、もう私に代わり!!!!!」と電話機をひったくりたいのをものすご~~~く我慢して待っていた。

切った後、別に次男を責めずに私は「もっと大きな、はっきりした声で説明せんと、ぐにょ、ぐにょ言っていたらわけわからんし、相手に伝わらん!!」と言い、旦那は「自分のいい分が正しいのならちゃんと伝えろ。それ以上に相手はどんな人間であれ年上なんだから、ため口効くな。それだけでお前の 負け  やぞ。」と。

受話器ぶんどって「そんなにうちの子1人参加しないことが重要な内容の会議だったんですか?一体どんな内容だったんですか?私にしたら卒業式に歌う歌を式の2日前に練習し始めることの方がもっと問題だと思うんですけど?これ教育委員会に報告されました?してないんだったら、うちの方ら連絡入れましょか?」って言ってやるつもりだったんですけどね。

うちの子、攻撃したら私が倍返しにする予定ですから。
旦那が常識すぎて「ちょっと待った」攻撃を私にかけるから止まっているだけで。
モンスターペアレンツなんて言うけど、うちのいい分はこうなんです。学校のというか一個人の教師のいい分が正しいことだらけなんて思わないでくださいね。だから、堂々3人でその場でお互いの意見を言いましょうよ、ってことですよ。
大人Vsこどもだと こどもは「遠慮」して言いたいことを飲みこむから子どもだけが悪者になりがちになる。
だから、堂々と大人VS大人できっちり片をつけましょ~や、ってことになる。
きっちり双方の言い分を聞いたうえで、次男に落ち度があれば謝ればいいし、教師側に問題があったらきっちり謝ってもらう、ただそれだけ。
なのに、どうしてこの本みたいに一方のいい分だけで更に罰則を与えるのか納得いかない。

ちなみに本書でも罰のグランド10周をさぼった子が主人公の他にもう1人いた。それが、クラスで金髪の不良と言われているアサミ。アサミの親が実力者で教育委員にも顔が利く。それはまずいというおとなの世界のドロドロを書いているけど、本来の読者の小中高生に伝わるかな?
大人の私が読んで「ずっこいよな~」って思うんだけど。

本書の大きな感想としては、もっと的を絞って展開も練り直した方がいいと思う。
メイン読者層にはイマイチじゃないでしょうか?
中学生や高校生が主人公だと「一風変わった性格の主人公」もそれなりに個性的で面白いのに、大人が本編に出て来るような風変りなひとばっかりだと、正直「おもしろい」と単純に受け止めれないなあ…

なんかふわふわしてとらえどころのない人ばかりが出てきて、現実味は薄いし、何が書きたかったのかよくわからなかった。
「良書」読後、気持ちが軽くなると思う。

マイペースな高校生、「モー」君。給食が食べるのが遅いから家で練習しようとするけれどお父さんに「別に、そんなことしなくても味わって食べたらいいじゃない」の一言で特訓中止。で、相変わらずのマイペース気味でクラスからは居るかいないか認識されない存在(でも、いじめとかシカトではなく)。
マラソン大会でも最後まで走りぬいたことも無く、走ろうと思うのだけれどゴール直前で海に向かって走ったり、寄り道したり…
クラスに居たら「イラ!」とさせられそうな男子なのだけれど…

でも、この作品に置いてこの「スローな性格」がものすご~~~く重要なものになる。
高速道路で法定速度80キロの道を10~20で走るようなタイプなので「じゃ、高速使わずに下、走れよ」ってかんじだなんだけど、これ、日本の社会に置き換えれる。
「ここは最低でも80はださなきゃだめなんだ。そうしないと流れが乱れる。人の輪が乱れる。どうにかして80をキープしなければならない。遅れることは迷惑なんだ!!」とはじき出す。学校であれば「嫌なら辞めてもいいんですよ」てな具合に。
でも、このスローな10や20のスピードで走るからこそ道に物が落ちていても避けれるし、景色も見れる(実際の高速道路でそれしたら、殺すけどね)。
80に必死にこだわっているのがバカにすら思えてくるのがこの作品の魅力の一つ。


「別にみんなと一緒の速さの流れに身を任せなくてもいいじゃない」みたいな。

この考えに至った時になんか「救われる」気がした。
実際にこんだけスローだと迷惑なんだよ。
でもね、スロー故の心のゆとり、欲の無さって大事だと思う。すべて、フィルターを通さなくても全てが見える、みたいな。

モーのお母さんは日本人だけれど小さな頃から東南アジアの国々で生活していて、お父さんと恋に落ちて日本に住むようになった。初めは好奇心いっぱいで楽しかった。
でも、子どもができて公園デビュー、自治会と言ったいかにも「日本独自の文化」に一生懸命慣れようと努力したのだけれど、最後はあっけなく風邪で無くなってしまう。
お父さん曰く「お母さんは、生きる気力を無くしてしまったから、ただの風邪にさえも打ち勝つことができなかった」と。
これ、作者がニューヨーク在住だからもしかしたら「どっちでもいいことに必死になって皆平等みたいな人の和を乱すことを悪とする日本人を揶揄しているのでは?」と。
目立つことを悪、個性を悪、人と違うことを悪、と捉える日本人に「出来ることは出来る人がする」というのがお約束の国で過ごしてきた人にはかなりの努力を強いる。

だから、「自分のペースで自分の思うように行動したらいいんだよ(ただし、責任を持って)」って言われている気が読後感にあった。

このブログを読む前に中学生が書いた一口コメントを読むと「カチューシャの性格が嫌い」だとか「表紙のイラストが嫌い。これでは中学生を引き付けれない」とかなんかものすご~~く低レベルな書き込みがあって、情けなかった。中学生にはもったいない本だと思うんですが。

私が私学出身で公立出身の親が大半の公立中学に子どもをやったから「なんか息苦しい」って感じているからこそ、こんな風に「私は私、あなたはあなた。自分んの思うようにやってみたら」っていうメッセージに勇気づけられるのかもしれない。
まあ所詮偏差値50の大学生が書いた論文なわけで。
(ベネッセ マナビジョンにて)
はっきりいって「ラブホ」というちょっと「卑猥感」のある建物を「女子大生が」研究したということだけで取り上げられただけのこと。

内容もホテルを建設した建築家のインタビューや過去の週刊誌からの抜粋などで大半が埋められているだけ。
ラブホの設備的遍歴、経営者はどんな人?みたいな歴史的なことが書かれているが、正直もっとポイントを絞って深く掘り下げて欲しかった。
要は「これ、論文としての導入部分ですよね?これで終わりじゃないですよね?」って感じ。

例えば現代の若者にとってのラブホの存在意義とかラブホの価値観などアンケートを取って「文化」としての意味とか。あまりにもサンプル例が少なすぎて、結局これって既存の文章を適当に綺麗にまとめただけ、って感じ。

とはいうものの、昔のラブホはもう小林幸子も真っ青な電動式の仕掛けがあってある意味面白い。
室内にレールが引いて有ってトロッコベットとか…
アミューズメントとしても「一回行ってみたいホテル」としての知名度はあったわけだ。
今のホテルでは「面白い」っていう要素、無いもんね。
昔のコンセプトが「家には無い」ってことでテレビが導入され、ベットが、ゲームが、カラオケが…って発展して。
逆に今じゃ、癒しの空間としてセックス以外の滞在理由を求めて客が来るホテルを目指しているし。

これからは「セックス」以外の目的のホテルと、風俗関係者御用立つの「安くてシンプル」なホテルと二分化するとの予測で締めくくられているけど、それ、別にラブホだけに限ったことじゃなくて、これからのサービス業全体の事ではないでしょうかね?

なぜ、ネズミーランドだけが集客率が落ちないで他のテーマパークは閉鎖されていく一途なんでしょうか、みたいな。
こうなるとこの人の専攻の「人間文化」じゃなくて「経済の発達」「これからのサービス業について」みたいな方面に行っちゃうんだよね。

まあ、読んだ感想、ぶっちゃけ「何の役にも立たなかった」。むしろいろんなホテルに潜入して(女ひとりじゃ入れてもらえないのなら友人でもなんでも連れて行けばいいじゃないか、と思った)、「ここのホテルの設備はこうで、サービスはこうで…」みたいな「ホテルレポート」をメインにしてくれたらもっとよかったのに。
で、結論として「ここはこのポイントがいいので支持されているホテルである」とかね。
みんな、「女子大生が書いた」っていう触れ込みだからこそ、こんなレポートを期待したんじゃないだろうか?
外側から少しなぞった程度のきれい事で、一体何を書きたかったんですか?と、私が担当教授なら付き返してますね。(笑)もっと掘り下げて研究するように、と。
以前、アンソロジー系で一遍が収録されていたので本編を借りてみた。
中学生が主人公なのに妙に「冷めた」印象の子ども。
感情の起伏が少ない。でも、それは再婚した家族関係に若干は理由があるのかも。
「みんなで幸せ家族を演じる」事に少し疲れを感じないでもない、みたいな。

奇妙な服装をした、皮肉たっぷりな辛辣な「星ばあ」との関係は主人公に少しずつ「大人になること」「自分で考えること」に導いて行く。

ラストはものすごくファンタジー。

全体のなんか「生真面目な、面白みのない」生活をしている主人公の生活ぶりからこんなラストの作品になるのかあ…って、軽い裏切り。
写真が無いのが残念だ。
めっちゃ「不気味」な表紙なのに。(笑)

書いてあることはなんか変と言うかそれでもある意味「発想の転換」でもあるので「そう言われるとそうかもなあ…」と妙に説得されてしまうぐらい迫力がある。
歴代の「詐欺師」なのかはたまた「ほら吹き野郎」なだけなのか。不思議な本である。

おとなの叱り方

2010年5月6日 読書
作者はあの 和田アキ子さんです。
文体はほとんど口語的で「ああ、アッコさんならテレビでこんな風に言いそう」ってのがイメージできるぐらいに。
基本、彼女が「叱る」沸点は多分私と似ている。
「挨拶をしない。人に迷惑をかけても平気」ただ、「怒る」のと「叱る」のは別物と力説している。
「相手の将来や相手の事を考えるからこそ、叱る。その価値もない奴は何も言わずに放置。来年は 消えているから

最後に彼女が「うぬぼれて裸の王様にならないように、常に自分で自分を叱れる人間でありたい」と好きな詩を紹介してくれているので、引用。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

         茨木のり子『自分の感受性ぐらい』

最後の一連は「深いなあ…」と思わずにはいられません。
好き嫌いのはっきり分かれる著者(多分)。
読んでる私も私だけど、一体メインターゲット読者はどんな人を想定して書いているのやら…
今時「フランス」に憧れる若いコ達っているのかな?
そして、マナーうんぬんよりも「お金がないからパリに行けない。行けたとしてもブランド買うだけ」な年齢層よりも30~40代のそれこそある程度裕福な世代に「せめて私たちだけでも、背筋を伸ばして清く正しく生活しましょう」と言われているような…

読んでいて「んんん???」って思うようなことも書いてある。例えば
カジュアルとはあまりごてごてした飾りが付いていない、シンプルな物の事をいうのです。
ですから、レギンス(スパッツ)にレースやフリル、シャツに花の刺繍が施されているのは、中途半端で潔くないので、まるで粋ではありません。


だって、レース裾に付いているようなのしか売ってないもん!Tシャツにレースの付いてないスパッツだと味気ないからレースで少しでも「女子気分」を盛り上げたいんだもん!と私は思うのですが。
フランスではパジャマも男性用と同じようなデザインのものがいいとされている、とお書きですが、これも寝る時ぐらい「姫気分」でレースやフリルがゴロゴロしない程度に付いている方が幸せな気分で寝れると思うのですが…とどこまでも反論したくなる文章満載。

ただ、ちょっと賛同できるのが以下の引用。

「ご近所付き合い」
ご近所とのお付き合いはあまり親しくなりすぎず、かといって冷たくなりすぎず、が最もスマートではないでしょうか。
たまたまご近所同士になったということで、何の縁もないと言ってしまったらそれまでですが、例えば同じマンションの方同士が顔を合わせたのなら、挨拶をするというのは最低限のマナーではないでしょうか。少なくとも両隣の方とは外でお会いしたらごあいさつしましょう。

ただし、ご近所の方と親しくなっても、家族のことやプライバシーにかかわる話は極力避けましょう。

これからずっとそのお付き合いが続くかどうかは予想が付きません。
ご近所だからこそ、慎重に、そして尊重し合ってお付き合いすることが大切なのでしょう。
それから第三者から、お隣の事を根掘り葉掘り尋ねられることがあっても、あまり知ったかぶりをして、色々な事をお話しするのは良くありません。

ですから、ご近所付き合いは素敵なほほ笑みと挨拶を交わしたり、何か頂き物をしたらお返ししたり、と言った玄関先までのお付き合いがスマートかもしれません。

スタッフ男爵夫人もこのようにおっしゃっています。
「親しくなってお互いのプレイベートな部分に入り込むようになる前に、一定の期間を設け、よく観察し、思慮深く判断しなくてはなりません。(以下略)



そうかあ…良く相手を見てから「付き合うかどうか」を決めないといけないのは「男」「だけじゃないのね…
私この判断が出来てないから痛い目に合いすぎるんだろう。
「知り合いになった」からと言って「親しくはなった」とは限らない、とこちらから一線を引いても構わないし、線引きは早ければ早い方がお互いに傷つかなくて済む、ってことかも。
でも、今時の「お母さん同士の付き合い」ってなかなかねえ…子どもが小さい時だと下手したら家に上がりこんできて、一日中居座って気の弱い人だと「帰って」も「今日はちょっと…」も言えないぐらいの関係になるとか。
これは結局「断れない側」の手落ちになるのだけれど。

知り合いにはなった、でも、気は許してませんよっていう態度ってちょっと難しすぎる。
これ、出来るのやっぱり個人主義のヨーロッパ(かぶれ)の人じゃないと無理。特に関西系なんて下町バリバリだと「何、気取ってんのよ」と陰口、悪口の嵐に身を置く覚悟が必要なんですが…

転勤族の人はそつなくやり過ごす術って持っているんだろうか?そんな人が書いた「処世術」の本があったら読んでみたい。
エステシャンであり、某リゾート会社社長が「顔を洗うこと」から見えてきたことを書いたもの。

顔を洗う時に適当にパッパと済ませるのではなく「いつくしみ、大切に」自分を扱うことにより、色々な人の気持ちも見えて来るという説。

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