著者は「宗教学者」」です。
また、このシリーズは中学生から大人までをターゲットにした本です。
で、なんて言うのかな。学者なので万遍なくどこの宗教がどうでって書き方ではなく、現在の日本におけるどんな宗教があるか、ってとなぜ入信していくのかってのが書いてあるだけで、実質的な「答え」的な事は書かれていないように思う。というか、ちっともなんか面白くないと言うか上っ面だけを取り上げているから一種の教科書的な感じ。
主義、主張が全くなく、ま、当たり触らずって感じで全編覆われていて。

これならもっと踏み込んでそうな本文で取り上げられている村上春樹の「1Q84」の方が読み応えがありそうだな、と。

入信するきっかけとして親がその宗教を信仰していた。
もしくは大学に入ってなじめない人が優しい言葉で勧誘されてそのまま入信とか、好きな異性が信者でつられて入信とか。
今の宗教は「人間関係」が関係している、とのこと。
「さびしい」から宗教を必要とするのかな???

とは言え、自分の幼少のころに触れた宗教と言うものは自覚、無自覚を問わず確かに影響は与えていると思う。
それは否定しない。
特に私も幼稚園はキリスト教。
小学校は日曜学校に行ってキリスト教。
中学から短大まで一貫校にてキリスト教。
なので、今も寝る時は「天のお父様…」で始まるお祈りならず一日の反省をしているから。
意識してなかったけど結構「刷り込み」されていたんだ。

とは言うものの、子供はキリスト教の幼稚園に行ったけど私が寝る前に「お祈りしなさい」と言わなかった為に、おいのりなんぞ忘れた!のノリで生活している。

小さい時に親がどこまで子供の宗教的習慣を植え付けるかどうかでかなり思想的に変化があると思う。


今時の30代未婚女性って大変やな…とおもった。

何をしても満足しない、自分自身に満足できない。
読んでいて「他人から見て一般的に 幸せ と言われる環境であっても本人からしたら まだまだ なんやなあ…
人って外から見ているだけではわからへんもんやなあ…」と。

私は 「幸せですよ」。はい。胸張って。
言えるか言えないか、開き直っているかどうかの問題だと思うようになったのは40になったから???

思えば結婚も自分で婚活なんかしなくても他人が世話してくれて、仕事も自分で探すより「一緒に弁当、くお」と誘ってもらったバイトが一番居心地良かったし。
自分で動くより、他人さんが運んでくれるのを待つ方が自分の判断より正確だと思うようになったし。
(でも最近、やっぱり「働きたい病」の症状が…汗)

人は人、自分は自分。
そう言えるのは今の環境があれこれ言われないからだろう。言われないから焦りもしない、人と比べる必要もない。時間つぶしに資格を取っても「知識増えました。別にこれで仕事に就くわけでもなし」とお気楽なもんで。
ただ、この気楽さは焦っている、比べたがりの人から見たら「ねたみ」の対象になってしまうんだけどね。
妬みは完全な「エゴ」なので「怒り」に通じるから止めた方がよろしいんですけどね。

さて、本書にもこんなことが書いて有りました。
最近診察室にやって来る人の中にもそう言った「不安取り除きビジネス」にどっぷりハマり、そして結果的に傷ついた、と訴えるケースが増えてきた。
例えば30代のある女性は「電話占い」に100万近いお金をつぎ込んでしまったと青ざめながら語った。
恋愛も仕事も上手くいかず悩んでいたある日、偶然雑誌で「電話一本であなたの悩みを解決」という広告を見つけて、わらにもすがる思いでボタンをプッシュしてしまったのだと言う。
そこで相手をしてくれたのは「霊感占い師」と名乗る先生。当てはまることを言い当てられてすっかりしんようしてしまい、毎晩その先生に電話することに。
「15分3000円」が登録したクレジットカードから引き落とされることになるのだが、ハッと気付いた時には支払額が月に数10万になっていたのだと言う。
(中略)
最初は不安を取り除き、心の安定剤になっていた電話占いだが、結局途中からこの女性の不安を更に掻き立て、お金を奪い取る恐ろしいものへと変貌を遂げたわけだ。
「その霊感占いは悪徳ビジネスに近いもので、決してあなたを救うことはしないし、今起きていることは偶然であって呪いとは関係ない」と彼女に説明し、納得してもらう為にかなりの時間を要したのは言うまでも無い。
もちろん、全てのスピリチュアル系のカウンセリング、セラピー、占いがインチキで悪徳、と言いたいわけではない。ただ「前世」「天使」「守護霊」「宇宙の意思」など自分では直接知ることができない話を持ち出して利用者をすっかり信用させた後で「~しないと~になりますよ」と脅しに近い文句を口にして高額のお金を要求する、という怪しいタイプも少なくないことは事実。
心の安定剤と見せかけておいて、実は限りなく毒薬や麻薬に近く、その中毒にさせておいてから高額の解毒剤を売りつけようとする。そんなビジネスについ、すがりついてしまった、などと言うことが無いよう、気をつけたいものだ。


なるほどねえ~そう言えば私が買った占いの雑誌も30代位をメインターゲットにしていたな。
自分に満足できずに買い物、占い、資格、マンション購入など次々手を出したところで、「自分は今の自分でいい」と自己肯定できない限りみんな不幸の輪になって踊るんだよな…
著者はこんな人
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou

なんだろう…
書いてあることはどこにでもある「自己啓発?」「生き方系?」「ちょっとスピリチュアル?」「若干宗教?」てな感じなんだけど、どうも文章が頭に入ってこない。
読んでいてもつまらないというか、なんか受け入れにくいものがある。

長老の優しい文章を読んだから???

一方でこんな風にも言われているから?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436606659

うううん。本を出しているからってそれがすべて「正しい」事ばかりが書いて有るのではなく、それはあくまでも1人の人の意見がまとめられているに過ぎない。
長老に言わせれば、こんな風にブログであれこれ他人の批評をしていること自体が「エゴ」の表れだ、って言うし。
人は人、自分は自分、ただありのままに淡々と、淡々とが
仏教界に置けるスタンスだと。
著者はこんな人
http://iede.cc/

本にはCDが付いておりまして、読む前に聞いてみましたら 声が私の初恋のY先生や婦人科のS先生に似ている。
そう言えばお二人とも髪型が、出家スタイルだなあ…(笑)

特に喋り方がY先生の朴訥な、全く洗練されていなくて全く流暢な都会的とは言えないのだけれど、「この人を信じてついて行けば、私も光の道に進めるかもしれない」と
思わせてくれるようなそんな感じに似ていた。

本当に「とつとつと」という喋り方の表現がぴったりなほど。(声だけ聞いているから余計に先生とイメージが重なるんだろうなあ…)


で、聞きながら「呼吸」をするわけですよ。
ただの「呼吸」でも、意識してすると呼吸すらもこんなにしんどくて、神経使って疲労するものだとは…
正直、酸欠に近い状態になってしまった。
例えば鼻から吸います。吸った酸素は今鼻先から鼻の頂点へそして折れ曲がり、肺を通り抜け、胃へと向かいます…と言った調子で「常に吸った息が どこにあるか を意識」するわけで。で、入った息は今度でますよね…ええ、
また同じように意識しながら出していくわけで。
ここに書かれていて初めて気が付いたのは息を吐くときに一瞬、息が止まると言うか力むんですよ。
「へえええ~~」って感じ。
今まで呼吸について意識してなかったから。
働き者の脳が全て無意識にスムーズにやってくれていたおかげで。素晴らしい!
と、これってまだまだ「集中力のお稽古」の初歩も初歩なのに「疲労」してしまい、断念。

寝る時にちょっと意識するぐらいかな?
日常生活のほんのひと時に胡坐を組んで瞑想にふけるってのはある意味ものすご~~く贅沢な時間の使い方かもしれない。
ものすご~~い語り口と言おうか、文体がやわらか~~くて全く毒がないなあと思っていたら副題に「法話」とある。ああなるほどね。
それにしてもいくら日本人ではないとはいえ,
悟った人と言うものはこんなに優しくて丸い話し方をするうのかあ…読んでいて「癒される」文章ってめったにお目にかからないことを実感する。
日本人でもスピリチュアル系や生き方系の本を読んでいてもどこか「上から目線」的な文体(自分は成功者だ、と言うおごり)であることがこれと比較するとはっきりとする。

さて、長老によると「怒ってはいけない」。怒ると言うことは火に例えられる。
自分の体に火を付けたら触れるものすべてに火をつけることができます。でもその前に何が起こりますか?まず、自分が燃えているのです。このことからわかるように、怒りは何かを破壊する力がありますが、何よりも先に破壊されてしまうのは自分なのです。

例えば脳細胞ですが、特に色々なホルモンを出している場所には、見えないほど小さな器官が沢山あります。小さすぎてすぐには感じませんが、怒りは自分の内臓とホルモン関係の全ての器官を燃やしてしまうのです。一番最初に影響を受けるのは 内臓です。
心臓にしても、肺にしても、腎臓にしても、内臓と言うものは24時間ずっと仕事をしています。
その細胞が怒りによって早く老化してしまって、自分自身が知らないうちにじわじわと病気になっていくのです。
あちこちに痛みが出てきたり、胃潰瘍になったり、内臓全体が癌になったりろ、治りにくい病気になるのです。
怒りの感情をよく起こす文句だらけの人は、病気がちで、他人よりも先に老けてしまいます。
すごく疲れやすかったり、眠れなかったり、病気がちで悩んだりする人は、心に問題があると思った方がいいですね。そう言う人は、怒りの性格をかなり持っているはずです。


ひや~~~下手な占い師よりも当たってるわ!!(爆)

でも凡人はすぐ怒ってしまうから対策として
怒りとは自分の中から生まれるものですから、解決方法は「毒そのもの」を抜くことしかありません。ヴイパッサナー瞑想法でいう「今の瞬間の自分に気づくこと」です。
それが世の中で一番科学的な怒りの毒を抜く方法なのです。
ですから怒りが生まれたら「あっ、怒りだ。怒りだ。これは怒りの感情だ」とすぐに自分で観てください。
怒りそのものを観察し、勉強してみてください。
「今この瞬間、私は気持ちが悪い。これは怒りの感情だ。と言うことは今、私は怒っているんだ」と外に向いている自分の目を、すぐ内に向けてください。

一番大事なことは「自分を観る」、ただそれだけなのです。


これ、実践したらめっちゃ冷静に自分のこと見れるようになるよな。「あ、私今、怒ってるんや」「あ、わたし、今お腹痛いんや」とか。ある意味「血のめぐりが悪い人」的感覚のような…

あと「笑えば怒りは消える」と書いてある。


まずはとにかくよく笑ってください。
笑う瞬間は幸福でもあるし、免疫作用が活性化するし、顔色も美しく健康的になります。
それによく笑う人と言うのはそれだけでみんなに愛されますから、色々な面で幸福になれるのです。
お化粧やおしゃれにはかなりお金がかかってしまうでしょう?笑いさえすればお金を一円も使わずに、楽しく、美しく、幸せになることができるのですよ。



なるほど「苦しい時こそ、笑え!」の精神ですね。


今日から少しずつ「あ、私は今、怒っているんだ」と自覚できるよう、練習を始めたいと思うのですが…
ああ、悟りの道と言うものははるか遠くだよなあ…

著者はこんな人
http://www.kososha.com/

題名に訂正があります。
私の占い以外の 「占い」は信じるな!』が、正しいかと。

著者は本家本元中国からの占いを習得した!と自負されており現在の日本の占いは「間違っている」と。
そもそも中国から占いが伝わった時に日本人が漢字を知っているがゆえに間違った解釈をした、と。

さらには
中国五術上では宗教は否定されています。
もっと平たく言うなら人間には「命」が定まっている。
神仏を拝んだり先祖を祭って、自己の運が良くなることは
「絶対に」無いとするのです。
神仏なり先祖なりを拝むのはご自由に。と言うことです。先祖を拝んで運が変わったら、2000年間伝えられてきた正統五術が否定されてしまいます。


この方、占いの世界では「有名」なのかもしれませんが
少なくとも私にとっては「はじめまして」さんでして。
それだけこの人が言う「占い」がいかに浸透していないかということではないでしょうか。
だって、先祖否定したらねえ…先祖より占いかよってことになるとそれは日本人に受け入れられないっしょ。

現在の日本の占いで一番の間違いは占いの種類は大きく分類して3種類あるのにそれが区別されていないことです。
占い(占術)は「命・ト・相」です。
「命」とは自分の生まれた時を知ることでわかる、人間に授けられた宿命を言い、生年月日時間から調べることができるものです。
代表的なものは四柱推命、紫薇斗数推命術です。
「ト」は生まれ持った運命の星に諦めず、開運占術で人生を切り開く方法です。
「相」は奇問トンコウを用いて正しい墓相、家相を知る方法がまず一番に挙げられます。その他、印相、人相、手相があります。


「命」で全てがわかっちゃったら、なんかもう、努力する気も怒らないよね、それをカバーするのが「ト」で…って言われたら一生占いと付き合わないといけないんじゃないのか?って気すらするんですが。

日本の「偽の占い」が流行って。この人の占いが「正統派」として認知されないのは難しすぎるのに加えて日本人の性格に合っていないからでは?
単純明快、読んですぐ結果がわかる占いじゃないと楽しくないし占いよりは宗教、先祖の方を優先する国民性。
占いは「遊び」の要素でとらえているからだろう。
占いの方が優先されて、結婚まで決める国もあるそうだから。
それって、いつまでも古い日本語を大切にするあまり今の日本人には伝わらない理解されないあの感じに似ている。
古典、なんだよね。

占い師は当てなくてはなりません。
当たらなくてもテレビからお呼びがかかったのは亡くなった五味康祐と細木数子さんぐらいでしょう。
彼らは占い師というよりもキャラクターの面白みでテレビに引っ張り出されるのです。


ここでも否定される、細木数子…(笑)

そしてやっぱり宜保愛子も「でっちあげ」と切り捨てられ、なんだかんだと「トリック」を駆使していかにも「私は全てをわかっています」という手の内を暴露。
あと、「占いの本」のでっち上げの作り方を読んでなんかこれから本を買うのや~~めた、と言う気になったし。

裏話を読むことによってウソ臭さが明らかになる半面、やっぱり占いに頼ってはいけないな、ということを更に実感。
とどのつまり著者さえもが最後に
占い師はコンサルタント、と位置付け
こんな愚かで不安な時代に大切なことは何でしょうか。
それは自分を信じるという自由をつかまえておくことです。それは、あなたが生まれた時に決められた「天命」と言うるつぼに向かう自由かもしれませんが、その自由は自分で選ぶべきものです。
その自由の為にーー自分を信じることです。


と言うことで「占い」は信じるなってことになるのでしょう。例え占いでどんな結果が出ようともその結果を覆すだけの努力と判断を自分でしたら、悔いは無いってこと。
安斎育郎著 工学博士

この著者の様に「これはトリック」「これは実はこうなんですよ」と明快にバッサリ切ってくれたら世の中の「不思議」は無くなっていくのに。

なぜ騙されるのか。
それは「自分の主体性を他人に簡単に預けてしまう生き方をするから」。
楽なんですけどね。確かに。自分に責任ないし。

もう一つは「思い込み」。
例として
「●肉○肉」に当てはまる漢字をと学生に出したら
「焼肉定食」「牛丼定食」「豚肉定食」…
「弱肉強食」が正解だと言うのは出題者の一方的な思い込みだと。
他にも
「品○方○」に
「品川方面」という答えが…
「一○○中」に
「一家心中」「一口最中」

「あたかも」と言う言葉を使って短文を作れと言うと
留学生が
「冷蔵庫に牛乳があたかも しれない」と。
もう、大爆笑!!!!!!!!

「どんより」
「僕はうどんより そばが好き」だって。

いい、いい!!この発想!!好き~~~~

で、超能力か、インチキか、見破る方法として
「心霊手術」を取り上げてまして
「人間を裸にして手をさすると血があふれてきて、やがて指がめり込んだかと思うとサッと癌が取りだされて、ガーゼで拭くとキズが何も残っていないのに治っている」と言うもの。
トリックは「鳥の皮で作ったゴルフボール大の球状の物体の中に、豚の血を浸み込ませた脱脂綿を入れておいて、ベットの下に張り付ける」と言うもの。
手品のトリックだとか。で、こんなに手術しないで簡単に癌が治るのであれば、昭和天皇の癌をどうして助けてやらなかったのか、とくると「なるほど」と思うわけで。

「競馬予言」も嘘の紙を箱に入れておいてレース結果が出たと同時に助手が正解を書いた紙とすり替えると言うもの。これだけ予想が当たるのであればマジシャンなんかしなくて競馬予想で大儲けできる、と。

詐欺師の名人がテレビで「人々に欲望がある限り私は困りません」ってね。
欲得で生きようとすると必ず騙されるから。


ごもっともでございます。楽しようと考えたから痛い目に遭う、と。
まずは疑ってみる。そして、ちゃんと自分で説明のつくような結果なり理由を見つける努力をすること。

メール占いで「タロットから金粉が舞ったり」私がどこに住んでいるのかもわからない癖に「水晶球に浮かびました」とか。一体誰の何が浮かんだっていう証拠は?って感じ。
でも、心が弱っているときには何でもすがりたいから信じてしまうんだよな…

「私は絶対に騙されない!」って思った時からもうすでに「騙されている」ってのが、いやはや…

追記
この本における有名人の扱い
「細木数子」…みてもらうのに10万用意し、人生相談をしっかりしようと思えば30万は懐に入れて行った方がいいでしょう。10万払って「アンタみたいなバカ見たことない」と言われ「どうすれば運が開けるんでしょうか」と聞けば「数百万円から数千百万円のお墓を買うように薦められます」。

「宜保愛子」…胃癌で亡くなったが自らの胃癌を手の施しようがなくなるまで悪くなるのを予知できなかった。
同様に
「藤田小女姫」…岸信介総理大臣が若干23歳のこの占い師にお伺いを立てた結果辞任に追い込まれた。
一国の宰相が辞任しようがしまいが自分には関係なく、大臣が自分のところに相談しに来たというのが宣伝材料になった。
この人も自分のことは占えずに
相性占いで失敗し、離婚。
息子と一緒にハワイに行った時に誰かに殺された。
これも予知できなったと言うわけで、占い師で自分の占いができない人は結構いる。
今回の感想としては「新人だから仕方ないんだろうけど、文章の構成がいまいちすっきりしていなくて、無駄が多い」です。
特に主人公が大学に入るのに2年もかかっているんだけど
その割には少ない証拠と言うか手がかりを元に「真実」にたどり着くにしても、分析力のある人の行動にしか見えず、2年も入学に失敗するほど偏差値の高い大学を目指したのか?と感想とは全く違う次元で読んでいた。

ごく普通の大学ならこれぐらい冷静に物事を見る人間なら要領よく入試問題と言うパズルを埋めれるだろうに…
ちょっとね、書かれている人物像になんかものすごい違和感があるわけで。
この設定と書かれている人物像に差がありすぎ。

長ったらしく思わせぶりな割になんかもっと絞り込んだ方がミステリー度がアップしたのでは?
「青春恋愛ミステリーの決定版」というキャッチフレーズにきれいに騙されましたね。
なんか古い昔の「夏」を感じました。
作者、私より10歳は上かな????
簡単に言えば「とりかえばや物語」。
ネットで男女が逆になってメールをやり取りした結果、一度会いましょうってことになり、お互いに代役を頼んだものの、ある事件をきっかけにばれて、メールの世界ではものすごくお互いを「理解」している「魂の友人」とすら思っていたのにリアルの男の方があまりにも情けなくグジグジとオタク男もどきになっているのでリアル女が「ネットではあんなに心が通じたのに…」と失望するも、ラストはこの作者らしいきれいな終わり方だった。

「これからの時代、男だから女だからと役目をはっきり分けるのではなく、男だけど女なぼくと女だけど男でもある君の両方で付き合っていきませんか…」って感じ。

さわやかでこの作者らしい作品だったと思う。
前回読んだ「夜の桃」なんかもう「実は僕の名前で他人が書いたものです」って発表して欲しいぐらい。
「失楽×」を書いた、某男性作家=男の夢&願望ばっかりんの男女描写でちっとも今の男女を書いていないような寝言作家の真似なんかしても全然魅力ないし。
この作品の方が先に書かれたと思うのだから、なんでこんないい作品を書いているにも拘らず、時代に退行するようなあんなバカバカしい作品を書くかな?って思った。

いつも時代の最先端を切り取った作品を書くのが持ち味なのに、なんであんなバブル時代の産物みたいな男女関係を書くのかねえ…う~~~ん。
編集者を変えた方が良くね?
「野球」をテーマにした短編集。

色々な意味で「甲子園」を目指す人の話もあれば、あれほど憧れた「甲子園出場」⇒「優勝」したのに「もえつき症候群」にかかったかのような気持ちになってしまった若者。
父と子、キャッチボールを楽しんで「甲子園にお父さんとお母さんを連れて行ってあげる」と言っていたのに10歳で交通事故で亡くなった息子を思って過ごす老夫婦の話など。

この人の本を読んでいて思ったのは、初めから甲子園出場が確実の高校に行くのではなく、地元の無名に近い公立の高校に進学して、野球だけでなく他にも色々な事を学んでいる子供姿が生き生きとしているから引き付けられるのかと。
ただ強いだけでなく、人の事も思いやれる人になれ。
今ある強さは自分だけの結果ではなく、周りにいる人の応援や犠牲があるってことを良く理解するように。
出ないと一生「井の中の蛙」で終わるから。


野球が誰よりも一番好きなのに、「女の子」って言うことだけで弾き飛ばされ、3日後にリトルリーグを辞めた子の話がちょっとつらかった。
好きなのに、続けられない。
誰よりも一生懸命なのに、認められない。
なんか違う、って思った。
文章力がある人が書いているから読めるけど、内容はなんて言うかのろけというか何と言うかばかばかしい。

43歳の主人公(ミオ)と23歳の大学生(ゾラ)の恋愛話。
というか、読んでいて「これって作者の事を書いているんじゃ…」と思ってさっき調べたらビンゴ!
じゃないとあまりにもリアルすぎる描写ばっかり。

題名も「母親ほどの年齢の彼女」と言うことから20歳も離れた男とネットで知り合い、その男と離れられないもう心底大好き!!!!って話。
でも本人達、かなりの貧乏で二人して9社ほどの会社からお金借りてて、半分踏み倒しそうな勢い。
持ちがね千円以下でもなんか行きぬいているところが私の常識とかけ離れていて読んでいて「もっとまじめに生きろ!!!!」とか言いそうなぐらい「お馬鹿な二人」。

金がない、と言いつつもバイトにイマイチ身を入れないし、平気で家具とか古着とか買う感覚もわからん。
とてもじゃないけど現在の自分の年齢と1歳しか変わらない女の話なのにリアルに感じられない、けど、事実こんな綱渡りの金欠な毎日を送っているんだろう。
気の毒に。
履歴書の写真をプリクラ貼るとか(証明写真は高いから)そりゃ、面接&採用以前でしょ、って感じ。
本当に43歳か?一般常識無さ過ぎ~~~

だからこそ周囲の人間に「43???30ぐらい?」と言われるような雰囲気をまとっていられるんだろう。
いわゆる「×歳だから」と言った「足かせ」が無い生活を本人は過ごしているのだから。

今まで年上女と年下男のカップル話を読んできたけどここまで貧乏で能天気なカップルは初めて。
例えば石田衣ら系だと「女は金持ち、裕福な夫or実家」か
「1人で食べていけるだけの仕事を持っている」で、男がまあ収入少ない系で。
なんかどっかに「おしゃれ感」が漂ってたし、主婦VSキャリアウーマン系だと専業主婦で夫にかまってもらえないからつい配達に来た男と関係を持ってしまった(で、ヤリ捨てられた)ってパターンとか。
結局、夫の元に戻るんだけどね。ずるいな。
ここまで「お金に困っている」っていう話ってなんか読んでいて「気の毒に…」というかよくそれで平気やなあ…それぐらい図太くないと20歳も年下の男を彼氏にできないだろうな、と。
まあ、いわゆる40代女の常識を思いっきり覆してくれちゃったわけで。


20代の子からしても「え~~43歳の女と付き合ってる?!キモ!!!」と言われたり女も同世代の女から
「なんか気持ち悪いよ、それ」みたいなこと言われたり。
20代からしたら40代はもう範疇外なわけで。
オカンと同世代の女なんて「デブで、生活臭漂いまくり、10年前の服を平気で着るし」てなもんだろう。
これらの要素がない女=仕事に生きているとか他人の金できれいでいられる立場の女じゃないと視野にも入らないのでは?
「このもちもちした肌がいい!」なんて言ってくれる20代の男をネットで見つけれた作者はある意味「奇跡の人」なんではないだろうか?

羨ましいとは思わないけど、せめて女がしっかり稼いで男を大学卒業できるように勉強に専念させ、仕事を見つけてもらうよう環境を整えてやってくれよ。
てか、アンタ、20も下の男にぶら下がりすぎ!
ある日「重たい」と言われないようにもっと常識を身につけろよな。

しかし、長男(現在17歳)がある日「彼女できた。お母さんより1歳上だけどさ」とか言ってきたら私、ちょっとフリーズするだろうな。
でも、長男と同世代の女も大概常識無いバカ女が多いからまあ、会うだけ会うかあ…
これは午前中に書いた「地に埋もれて」の前編に当たる作品らしい。
白兎君が出て来る。

やっぱりこの作品も正直どこからどこまでが「現実」でどこが「違う次元」なのか曖昧。
とはいうものの、「地に…」よりは共感というかなんとなくまし。
主人公が和子と白兎が土砂に埋まっている!!!と必死に訴えるとこなんか、リアルで悲壮感が出てて。

要はこの作者、「男性」が主人公ならいい作品がかけるんだ。「地に…」は35歳の女が主人公だった割になんか現実味に欠ける薄い存在だったから余計に「夢幻か?」って作品になってしまったのかと。
これ、一体どういうジャンルになるんだ?と思っていたら写真の帯に「ホラーファンタジー」とある。
でも、全然「怖い」内容ではなくむしろ不可思議な雰囲気を持つ一冊。

出だしがいきなり主人公が恋人にころされて(心中未遂)地面に埋められて、息を吹き返すところから始まると言う…で、地面を掘り返してくれたのが少年のような青年のうな若者。=白兎(はくと)君は見かけは若いがどうも以前主人公と会っているらしい、でも思い出せない。
結果的にこの白兎君の「正体」は固有名詞で出てこないが
多分「闇の使い」「霊魂をあるべき場所に導く者」ぐらい。

…なんか作者無理して「バッテリ×」以上のものを書こうとかそれ以外のジャンルに手あり次第チャレンジしているようだが、やればやるほど「失敗作」だらけになりそう。
例えて言うならアイドル歌手がアイドル以上になりたくていろんなジャンルの歌に挑戦するけれど、歌えば歌うほど元物フアンまで離れて行くようなあんな感じ。

無理して「バッテリ×」ぽくない作品を書くよりも「バッテリ×」に通じる作品を極めた方がいいと思う。
力量はあるのに、作品自体がまとまって無くて「で?一体何がいいたいの?」的な感想も記憶にも残らない作品は読む方の時間とお金(購入した人のみ)の無駄。
もっと、読後感がすっきりした作品をお待ちしております。
多分あの名作「バッテリー」の続き、というか相手校の選手たちのその後。

読んでいてあまりの筆力、迫力に圧倒!
読んでいて登場人物たちの心の動き、痛み、あせり、いらだち、が伝わって来て「辛い」位。

バッテリー自体を未読なのでこの作者の力量を知らなかったというか、バッテリー以外の本は正直なんか評価に値しないというのが正直な感想だが、この本を読む限りこの人はこの手の話を書いた方が絶対にいい、と思う。

恋い焦がれたピッチャーと少しでももう一度対戦できる可能性があれば、と推薦が決まっていた高校を蹴ってまで地元に残った天才バッター「門脇秀吾」。
その秀吾の子ども時代からの「親友」、瑞垣俊二は親友が相手のピッチャーに叩きのめされるのを一度見て見たいという歪んだ願望から試合を設定するが、親友の涙を見た時壮快感とは程遠い思いに囚われ、野球部の無い高校に進学してしまう。その二人の野球に対する思いが、言いかえれば一つのことに全てを捨てても取り組む姿勢と背を向けたい気持との葛藤がものすごく上手く描写していて。

終わらない熱い思い…とでも言うのか…
簡単に甲子園だけを視野に入れている県外の高校に進学するのではなく、知名度も実力も無い地元の学校でただいつかその日、対戦できる日を夢見て…

いいですね、一つのことに熱中できて。
それができる時期が若い時であればある程、自分の未来へと繋がるのでしょうか…
リアルタイムな本を読んだ。
作者は塾で子供を教えているからこそ、現場で子供の変化を肌で感じることができるのかも。その一方でやっぱり今の「勉強」に疑問を抱いているのかも。

あらすじ的には
数学学者の権威、教育界でも名の知れた高木源一郎が戦後最悪のテロリストになってしまった。
事の起こりはある心理学の権威が少年犯罪の急増の理由を義務教育の内容と関連付けた論文を発表したことにより「こころを伸ばす教科」の比重が大きくなった。
その結果従来「勉強」と呼ばれていた科目の内容は次々と削減。特に理系科目は「物事を数値化し、数理現象・物理現象などの事実だけを重んじる科目は、心を尊重し他人をいつくしむ人間性を否定しうる」という理由の為、数学理科は週一にしかも休日になることがおおい月曜日にしてされ、内容も希薄になりもはや「科目」と呼べない状況になってしまった。
これに対して怒ったのがテロリストとなった高木で
「私が開発したソフトにある種の信号をプログラムをしてきた。日本国内の高校に通っていたことのある人間は皆、そのソフトを通じて私の信号を受け取っている。呼び催眠と受け取ってもらっていい。
私はその信号を使って、君たちの脳に直接語りかけることができる。すなわち私の命令で日本国民のだれもが…殺人者になれるのだ。」

ということで対策本部に数学オンチの捜査員(39歳以上)が集められるも、心もとない。
そこに急きょ助っ人として採用されたのがソフトを使用していない中学生の女の子だった…

あらゆる学校で採用される教育ソフトに予備催眠を仕込んでいると言う設定ってある意味怖い。現実化しそうだから。逆にこの発想で数学の勉強をしながら、「人に優しく」「嘘はつかない」「シャブは怖いぜ」「セックスは自分で金を稼いでからヤレ」「人を殺すな」っていうメッセージを思いっきりインプットしておけば日本国における道徳は万全では?????

数学的思考で生活したら全てが「白か黒」なので味気ないと言えば味気ない。特に日本人の生活って「灰色」が大半だから。とはいえ、車社会に置いて数学的思考ができる人が大半なら事故の起こる確率は低いと思う。
法規という公式に乗っ取り、相手の速度、自分の速度、距離感を判断するのだから。とはいえ、一瞬で判断できるかな?あれこれ余計に「計算」してから、言いかえれば「証明」してからじゃないと動かないのであれば、後続車はイライラしっぱなしになりそうだが…

法規を無視した「感情」ばかりで運転している人間が多いと思う。また、譲ったことによる事故ってのも後味悪過ぎ。譲った側は自分が譲ったと思った車が来ると思っていたら全く周りを見ていない別の車が突っ込んでくることも多々あるし。この全く周りを見ていないってのも感情が優先しているんだろうなあ…
状況判断ということをするにあたって周囲の状況と言った判断材料を一切視野に入れていない。
年寄りの運転も、40の道を20で走っても平気。
確かに20でも指定速度いないなんだけどね。
後続車の精神衛生に悪すぎるという思考は無い。

学生時代数学が苦手だったから数学という教科が無くなっても痛くもかゆくも無い反面、答えは一つ!というきっぱり感も捨てがたい。数学が美しい、とは絶対に思わないけれど、理数、文系共にバランスのとれた人間が一番!と思うのである。

数学は「パズルのようでありクイズの様である」と数学の楽しさを教えてくれる先生を育成するのが先決では?
どの教科に拘わらず、教育ってその教科の「楽しさ、面白さ」をいかに子どもに伝えるかが一番大切なのでは?

子供を健やかに育成する場である学校が一番危ない場所になってしまった。
「やめて」「静かにして」と言えない何ともゆがんだ場になってしまったのだなあ…
学校は疲れる場所であり気を使う場所になっているんだよな…
「数学が好き!」と自分の好きな事を堂々と口にすると「あいつ変わっているよな…」とハブされてしまうのは人の心を正直に表すことの難しい今の世の中を表している。
一言で言って「エロい本、後、ただの下半身に責任が持てないアホ男の話」だった。

え~、この作者がこんな結末の本書くか~~ってなぐらい、正直「情けない」ラスト。


簡単にあらすじ。
IT企業で成功した主人公。(40代男)美しい妻(40代)に魅力的な肉体を持つ愛人(30代)。妻と愛人二人の間で上手くセックスも貪欲にむさぼっていた。
「成功者」その一文字で表せることのできる人生。
そんな時自分の会社に契約社員として入社した25歳の女。見かけはごく普通、むしろ暗い影すらある。
で、女の方からある理由で誘い出し、セックスする。
そこで二人は初めて「肌の合うセックス」というものを体験し、求めあう。
妻と愛人1号だけでなく、今までの人生色々な女と寝てきたが処女であるこの娘とは離れられない欲望に取りつかれる。しかし、ある事件をきっかけに妻と愛人同時に去られ、最高のセックス相手である25歳の愛人も妊娠したまま主人公の前から姿を消す。
3人の女に同時に去られて失望を絶望を感じ、町をさまよっていた時ふと目を上げると、1人の若い女と目が合いそのまま飲みに繰り出していく…

懲りてないな、こいつ、全然。
どうしてこう男は下半身の抑制が効かないのか?と呆れかえってしまうエンディング。
おまえ、全く「学習」してないな。

初めは「女だってセックスに対する欲望が男同様にある」とか「何人と寝ても、肌が合うと言う女と知り合ったが最後、地獄を見る」みたいななんていうか「純愛系」でくるのか?と思っていたら、いや、こう来るかあ…って感じ。

題名の「夜の桃」が要は女の尻、ってことで。
表紙の写真もまさにそれだし。
エロい内容なのに、ラストでなんかしょ~~もな~~って。個人的には失敗作。


短編集
収録作品名

謹賀新年
ぼくの神様
がんじっこ
孫の恋愛
しっぽ
この大樹の傍らで


子供向けではなく、一般書、初出は産経新聞大阪本社夕刊らしい。ので、少年ものでもなく。
でも、この人らしい人間にとって「大切な物」を色々な形で表現している。

私が好きなのは「がんじっこ」と「孫の恋愛」

がんじっこは超頑固なおばあちゃんの話。
頑固すぎて村から嫌われているので村役場の若い職員が「説得してこい」と無理やり押しだされる。
で、家庭訪問するんだけど、「上がっていきな…」と。
で、なぜシゲばあさんが「がんじっこ」になったのか理由を説明してもらうんだけど、エピソードが辛い。
優しい夫が戦争から帰ってきたら「鬼」になっていた。
一体に何があったのか。そしてどうして出征の時に「行かないで!!!!!」と言えなかったのか。たとえ非国民と言われても二人で逃げなかったのか。そして死に際に夫が昔の夫に戻り「お前は生きれ」の一言を残して亡くなる。
その言葉を頼りに「あの時、言うべきこと取るべき態度を取らなかったからこんな結果になった。なら、これからは言いたいこと、自分が正しいと思うことははっきり口に出そう。」と。それが他人から「がんじっこ」と言われようが嫌われようが他人がどういようと夫と姑に恥じない生き方をしよう!と。

あの時代、行くな、死ぬななんて言えなかった。
言えずに送り出してしまった。

「うちはせめて亭主とそれに姑との約束を果たすんや。とことん生きてやるんや。がんじっこと呼ばれてもええ。嫌われてもええ。自分のここんとこに」
シゲばあさんがこぶしで胸を叩く。
「ここんとこにある気持ちを偽らんようにするんや。
そうやって、生きてやるんがいね。お棺に入ったあん人の死に顔を見ながら、決めたといね」



もう一つの「孫の恋愛」の主人公はキツネ。
それも「ババ様」と尊敬をこめた呼び方をされるほどの長寿の。
キツネ族は人間に住処や命の危機にさらされているのでババ様の息子がある壮大な計画を打ち明ける。
「プロジェクト0」
それは「優れた子どもたちを選び出し、教育し、人間の世界に送り込む」こと。
そして、要職につかせ、一族が牛耳る人間社会をつくること。

そのプロジェクトの一員として送り込まれたババ様の孫がよりによって「人間の娘」に恋して、悩んだ末ババ様に相談に来る…という話。

う~~ん。私がこの話を展開するなら
「プロジェクト0」それは
ある「特定」の感情を持つ人間にだけ「生存価値」を認められ、それ以外の人間は全て「末梢」。DNAレベルまで一切残らないウイルスを開発、散布。
一部生き残った人間は、「奴隷」として動物に従う。
ただし、牙も鋭い歯を持たない裸のサルに奴隷&家畜としての価値すらないので、絶望を感じた人間に最後のプレゼント&慈悲として絶望=突然死のプログラムが発動する…

位は、作るよな。
もう、ババ様達の様に「共存をめざす」なんて可愛い「寝言」言わないな。
人間は増えすぎた。それも自分たちの力を過信しすぎ、自然界の一部であることを忘れたかのような振る舞い。

私の根底に「人間嫌い」があるから、どうしても人類滅亡を心から望んでしまうから仕方ないのだけれど。

最後の一遍「この大樹の傍らで」も地球は放射能、大気汚染による環境劣化を進み新種ウイルスによる感染病により人類滅亡の危機にひんしており、宇宙に飛び出した人間の末裔が再び地球に戻ろうとする話である。
最終テーマは「今度こそ、地球と共に生きる」である。

でも、私が話を作るとしたら
地球に戻るロケットを空中分解して残存者0、とする。
どこまでも悲観的、救いようのないアンハッピーエンドのストーリー展開(読者が付かないタイプだな…)にする。
人間は、一度地球を汚して自分たちだけで逃げて、逃げた先でまたウイルスがまん延汚染したからと言って、戻って来てはいけないのだ。
汚した末裔だけが生き残るのは許さない。
最後まで責任を取れ。
宇宙で人間という種を葬り去れ。

罪もない動物を病気であるがゆえに殺傷するのであれば、さあ、人間に新種ウイルスが発生したらどうるする?
実に見ものだ。殺して、村一つ潰して、そして「これで残った人間は安全だ」と言うのか?

「平等」に1人残らず、死にましょう。

そんな、怒りを感じる。
一般図書


なんていうのか…
34歳の歯科医師(♀)と17歳の男子高校生の恋愛を軸に展開する話なんだけど…

この作者、やっぱり児童文学畑出身だけあって、どうしても違和感というか話の展開に無理を感じる。
高校生だけの会話とかやり取りは得意分野だけあって、好感を持てるのに、二人の恋愛描写とかになると俄然、ペースダウン。
もう一つの軸になる医師の高校時代の友人との絡みはやっぱり「青春を一緒に過ごした」ということから描写が上手くなるんだが…

二人の関係になると人物描写がすっきりしなくて、くっきりした人間像が浮かび上がってこない。これが惜しいなあって感じ。

この人が「女性」を書くとどうしてこう「人と距離感」のある人物ばっかりになるんだろう。魅力の少ない、何考えてるんだかわからない、壁のある素直じゃない奴ばっか。
それが男性、特に中高生になるといきいきと躍動感のある「いい奴」ばっかりになるのに。

一般図書

これも以前、「あの」あさのあつこと意識せずに借りて読んだと思う。カラスがなんとなく印象に残っている。


これも「ガールズブルー」の様に女子高生が主人公。
初めの展開が「また、ガールズブルーみたいにダラダラ系?」とうんざりしながら読み始めたのですが、さすが一般図書だけあって単純ではなかった。

女子高生を通して「本当に好きな人」と言った「感情」について描写。
「好き」って気持ちは異性だけでなく「同性」にも感じるんですよ。それは、本人にとって苦しくもあるし相手にとって迷惑かもしれない。でも、この気持ちは真剣なんですよ、と。

確かに異性同士でも例えば大学進学なりで遠距離になると

遠く離れてしまうから、もう逢えない

と考えがちになり、そして自然消滅。

けど、この二人、特に美人だけどちょっと変わっていて霊感のある少女=綾目周子はそれを拒否する。

「ゴールじゃなくて、スタートだよ」
と。

周囲の人と壁を作って自分の心に素直に表さず、行動を取らなかった主人公=高遠瑠璃の素直な気持ちが1人の女性によって変わっていく話だけど、変化のきっかけが「1人の女性への思い」ってのがミソ。

とはいえ、10代の女の子って年上のお姉さまに憧れる時期もあったよなあ…と思いだしたのであった。
多分以前に読んだのかもしれない。
もしかして1巻目と間違っているのかもしれない。

結局、記憶に残らない一冊。
主人公が女子高生でそれもあまり「賢くない」どこにでもいるダラダラしたタイプだから、読んでいて苦痛。
親友の美咲にいたっては毒吐きまくりの美少女で。
睦月という男の子に主人公は思いを寄せてもらっている割にはなんか相手の気持ちにちゃんと応えているそぶりはなく、やっぱりこれもダラダラと先延ばし。
男にしたら生殺しやね。

美咲と睦月の弟の如月とはラストなんとなくカップル成立しそうな雰囲気で。

共感できたのはこんな部分。
「愚痴りたくもなるわよ。毎日炊飯器のご飯を空っぽにされて、毎日、腹減りすぎて餓死するって騒がれてね。」(中略)
「切れちゃって、一度餓死してみろって、怒鳴っちゃったのよ。だってね、学校から帰って来て、メロンパン三個と焼きそば一皿、バナナ2本、きれいにたいらげて、ものの三十分もたたない間の発言よ。頭にも来るでしょう。」

これは如月のお母さんのセリフ。

ものすごく共感したということは、この本に置いて主人公たちより親世代の方に感情移入してしまう内容ということ。

とげとげした会話、何にも考えてない日常。そのくせ「親は子供の苦しみをわかろうとしない」と断定され。
同世代には共感されまくりだろうけど、親世代にはムカつく内容の本。

「とりあえず」進学先としてネイリストを目指して終わる主人公。
あんたにゃ、無理だよ。仕事に就くの。
考え方が甘すぎるよ。
って、真剣に言ってやっても「やんなきゃ、わかんないし~」へらへら~~って対応で返されそう。
真剣に考えてやる方が、バカみたいって思わせる。
今時の子、そのもの。そういう意味ではいいとこ突いてる本。

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