2006年発行 

生まれながらに持っている3つの数字で「運命の人」がわかる、というのが「売り」ですが、もったいぶって「運命の人との出会いの情報はDNA遺伝子に組み込まれている」とありますが、所詮「数字占い」「誕生日占い」じゃないですか、って思った。

やり方は
「心相数」はこうして算出
1、生まれた年を西暦に直し、足していき、1けたの数字になるまで足す。例1980年生まれ 1+9+8+0で18これを1+8にして「9」

2、次に生まれた月日を同様に一ケタになるまで足す。
例8月24日なら8+2+4 14になるので「5」

3、一つ目の数字と二つ目の数字を一ケタになるまで足す。例 「9」+「5」 14になるので「5」
左から順に並べて「955」これが心相数


この数字を元に「運命の人」を探すのですが
1、相性の基本は「同じ数字を持った人が一緒になりやすい」
2、例外の法則で結ばれているのは「5」を一つでも持っていれば上手くいく。
3つの数字の最初に「9」が来る人も上手くいく。
「9」と「8」を持っている人は結びつきやすい運命

さらに「運命の人には5つのパターン」がある

1、自分と相手の心相数を合計して「999」になる人
例「257」「742」は合計すると「999」で運命のカップル。「371」「516」だと「887」になるので「1」を持つカップルではあるが運命のカップルではない。
2、「同じ数で結ばれた人」
3、「並べ以下絵の数字で結ばれた人」…一番目と2番目の数字を入れ替えた数字。
4、「受胎数で結ばれた人」
5、「基本数で結ばれた人」


基本数は本に数字が掲載されており、そこから探し出す。

ので、やってみた

   心相数 →  基本数
私  595 →  393 
夫  999 →  999
長男 437 →  696
次男 696 →  696

心相数で足してみてもだれも「999」にならないのに、
基本数で足したら私と長男次男は「999」になる…

で、この説の 不備を指摘するのですが旦那のように元々「999」の人は一体どうすればいいの?
「999」にどんな数字をたしても「999」になるわけないじゃないですか!つーことは「999」の人には「運命の人」は現れない、存在しないってこと??
いくら「例外」に「9」が最初に来る人はOKとはいえ、なんかなあ…

私と旦那は 絶対に「999」にならない関係だけど「5」と「9」があるからOKってことっすか?

さらに
心相数の理解では、性格傾向を決定するのは3つの数字の中で一番目を基準としています。
ですから「257」と「527」の人は同じ数字を持っていながら違う傾向を有した人と言うことになります。
「257」は「2」のグループで「5と7」の要素を持った人。
「527」は「5」のグループで「2と7」の要素を持った人と考えて見ていきましょう。



でも、一番目の数って 生まれた年  ですよ?! じゃ、同じ年に生まれた人はみんな同じ数?同じ性格ですか??ってことになる。
んな、あほな!!

ちなみに
「5」の特徴
○人を結びつける働きをする「人脈の人」
○安定志向であまり冒険を好まない
○気配り上手だが、それだけに気疲れもしやすい
「気配りの良さは天下一品!人を大事にする安定志向」

「9」の特徴
○その人を中心に周りがまとまっていく守護神的な存在
○何でも受け入れる柔軟性、包容力がある
○全体を隅々まで見通して分析し、系統立てて考察する
「広い視野で物事を判断し、人を活かす」

「4」の特徴
○直観力、決断力に優れ、思ったことはすぐに実行する
○人に好かれ、人が好き
○涙もろく、人情か
「行動力が人を引き付け、人脈に生かされる」

「6」の特徴
○人のコーディネートやマネジメントが得意
○トラブル処理の能力に優れ、人から頼られる
○何をさせてもそつなくできる器用な人
「人や仕事を結びつける才能に優れ、マネジメントが得意」


と、うちの家の一番目の数を拾ったけど、みんな「いいこと」ばっかり書いてもらってね~~(笑)

ちなみに私は「誕生日うらない」だと「5」です。
旦那は「9」で長男は「7」じなんは「33」。
長男以外は同じ数(誕生日占いだと33は6にならずに33のまま。けど、一ケタにしたら6になる)

所詮、数字は1から9までしかなく、組み合わせはおのずと決まってくる、ってことっすか?
数字に詳しい人、解明してください。
長男に頼まれてゲームを売りに行きました。

…それにしても、古本、中古ゲーム、古着と売りに行って帰って来る時ほど「むなしさ」を感じずにはいられません。
ps×のソフトとポケモ×と言ったゲーム類だっだのですが
「箱が壊れているので…」「破れているので…(攻略本)」という理由で引き取ってもらえなかったし、引き取ってもらえたのも
ps×のモンハ×…1100円
p×2のソフト…200円
ポケモ×  …500円(箱なし)でした。
あんだけ大枚はたいて買ったソフトもこれだけかい…と思うと。
子どもたちよ、これからは売れるようにきれいに扱え ゲームなんか買わずに、勉強しろ!

で、ついでに「動物のお医者さん」全巻セットがあったのでつい、購入。ああ、意志が弱い私。
とは言うものの、長男が農大を舞台にした「もやしも×」にはまっているから「獣医学」を舞台にした話を買って読ませてもいいじゃないか、という母心。←嘘

本当は高校の時獣医になりたかったんだよね~私。
本気で「北海道に行きて~~」と夢見た頃があったわけで。とはいうものの、自分の学力に現実を知らされて諦めたわけですよ。

でも、この漫画がきっかけになってハスキーも人気犬種になったし、獣医を目指す女子学生も増えたと聞くのでみんなけっこう単純に未来を決めてませんか?と思うわけです。この結果から、漫画界ももっと「学校」「どんな勉強をしているところなのか」を掘り下げた作品をバンバン書いて学生に「夢」を与えて欲しいと思います。

大学で「どんな勉強をするのか?」がわからないままに偏差値だけで学校を決めざるを得ない現状ってのもどうかと思います。中学の頃にこの手の漫画を読んでいたら少しは夢と希望を持って前向きに勉強してくれるのではないかと母は密かに思っております。

…、というのが、「また、マンガ買ってきてる~~」と非難されるのを避ける口実であります。(笑)
うわあ、表紙のおこちゃまの泣き顔いいですねえ~
とはいうものの、本文におこちゃまは出てきません。
どの話も「じ~~ん」「うるうる」というか、それなりに感動します。
悲しい涙ではなく、どこか照れくさいような、安堵感といった「すぐには叶えられないけど、どこか明るい未来」を感じさせるような話ばかりでした。

特にラストの「君の卒業式」は不覚にも涙が出ました。
よく「検索キーワード」に「あらすじ」とか「感想」とかでひっかかっているので、なんか腹立つからこの作品の詳細は書きません。


お前ら自分で読んで、自分の気持ちを書けよ!他人の感想キリバリせんと!!(怒)
感想すら他人任せの生き方する人間にはこの本に書かれた内容とか主人公が感じたこと思ったことなんか共感すらできないんだろうなあ…


ちなみにこれはゲームにあるそうです。
さっき体験版を「読んで」みましたが、ゲームで読むよりはこのように「小説」にしてくれた方が読みやすかった。
今時の中高生ならゲーム機から読むような文章とは言えないような文の方がいいのかな?
そりゃ、未来の日本人が情緒も感性もない生き物になってもおかしくないだろう。



収録作品

真菜の来た夏    あさのあつこ
雨坊主       芦原すなお
きみに連帯のメールを 石井睦美
げた箱は魔法のクスリ 大島真寿美
白いタンポポ    加納朋子
愛生園       川島 誠
窓         松村栄子
フェスティバル   森 絵都
月蝕        山尾愁子
花筐(はなかたみ) 壇 一雄


副題に「昼下がりに読みたい10の話」とあるのですが、ひるさがりに、とくるとなんとなく「まったり」とか「のんびり」って感じが来ると思うのですが、この収録作品を読んだ限りはどれも「頭、ガ~~ン」とされたり、「え!」とか読後「眉間にしわ」が寄るようなはなしばっかりで。(笑)
一体、撰者はどこをどう推して選んだんでしょう??
「短い眠り」とありますが、読んだら「目が覚める」こと必至。
小学生でも理不尽なことに悩み、怒り、苦しみ…な話ばっかりで。みんな必死に生きている、みたいな。
強烈な作品ばかりでした。
児童文学書出身(?)でありながら、文頭いきなり「西の魔女が死んだ」とえらく衝撃的な一文で始まる一冊。
ちなみにこれを読んでいると次男が「それ、いきなり西の…って始まるやろ」と。
「読んだん?」と聞くと「学校の図書館にあったから」とのこと。
確かに主人公の「まい」は中1でいきなり不登校になってしまい、おばあちゃん=西の魔女のところで「魔女修行」することによって学校に復帰し中3で魔女の死に遭遇する。という流れから「児童書」扱いなのだろうけれど、はっきり言ってこれは成人図書でも十分通用する。

本文内でのおばあちゃんの家での暮らしは「懐かしさ」を感じさせるぐらい「昔の生き方、生活習慣」がたっぷり盛り込まれており、日本の話ではなく、イギリスの片田舎に居るかのような錯覚さえ覚えるほど「カントリー生活」である。ワイルドストロベリーを摘んで、ジャムを作り、足で踏んで洗濯をしたものをラベンダーの枝の上に置くことにより香りがしみこみ、ぐっすり眠れる=リネンウオーターそのものだし、生みたての卵を朝取りに行って朝食に食べる。
今の生活にそんな「余裕やゆとり」があるだろうか?
ただ、まいのお母さんのようにおばあちゃんの生き方を「古い」と嫌う人もいるだろう。
でも、まいが「心のリハビリ」を必要とした根底にはそんな「昔ながらの生活=規則正しく寝起きし、自分で時間割を作って家事も生活の一部とする」というのは本当に大切だと思う。
おばあちゃんには色々な話もできる=話を聞いてくれるゆとりが相手にもある、ってことではないだろうか?

またおばあちゃんがイギリス人ってことも重要な気がする。これがコテコテの純粋ジャパニーズばあちゃんだったら不登校になった孫を「快く受け入れる」ことなんて絶対無理でむしろ「どうして他の人と仲良くできないのよ?」と攻め立てそうだから。
これが、日本人の「村意識」で他人を傷つける根底にあるからではないだろうか?
一方、イギリス人だと「個人主義」があるので「その場にそぐわないと思うのであれば、無理にそこにとどまらなくてよい」とさりげなくアドバイスしている。
「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからと言って、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、ハスの花は空中では咲かない。白クマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、誰が白クマを責めますか」


そして、「死」も疑問の一つとして心に芽生えるとお茶目なウイットで返してくれる。
「人は死んだらどうなるの」
それを聞いておばあちゃんは声にならない唸り声のようなものを出した。それからため息と共に、
「分かりません。実を言うと、死んだことがないので」

ああ、この人好きだな、って思った。
正直に、中学生の孫の質問に丁寧に答えようとしている。
これが純粋ジャパニーズだったら「何、バカなこと言ってんの。そんなこと考えるだけ、無駄、無駄」とか言いそうで。
これは子どもだけでなく大人にも老人にも「余裕」がないからこんな夢や想像力のない答えばかりが行きかっている世の中になっているのかも。

ただ、物語はちょっとしたことで仲直りできないまま、まいとおばあちゃんは離れてしまう。そして再会の時が「死んだ」時でもある。実感として受け入れられないまま、茫然自失状態にある時におばあちゃんからの「約束」それも愛に満ちた約束を見つける。
この部分は本当に良いと思う。年食った私でも「ああそうか」って感じられるほどに。
この部分に多くの子どもに色々な「思い」を感じて欲しいと思う。
ラスト、本当に良かった。
序章にこんなことが書いてあります。
人は生きていく上でいろんな人間関係をしょいこんで行かねばならない。まるで、そのしょいこんでいる重さが人生だ、と言わんばかりの人生訓もないではないですが、そんな苦しみはもっと偉い人やお金のある人やもっと才能のある人に任せておけばよい。
私たちは、もっと軽やかに、言いたいことを言っていいのではないでしょうか。

「人生には、いらない人間関係がいっぱいある」



「会社・仕事関係」の章
「近所や友人・知人」の章
「恋愛」の章
「お母さん同士」の章
「家族関係」の章
「自分自身」の章
に分かれています。
作者の本業は精神科医なので、悩みの相談を口語体で書いてくれているのでカウンセリングを受けているかのような体裁を取っています。
ただ、ところどころに「ん?」と思わないでもない回答があることはあります。
多分それは著者が「男」であり地域に密着した「しがらみ」をイマイチ理解していないところから来る回答だと思います。


まあ、私を悩ませている問題の一つはこのようにお答えになっていらっしゃいます。
(最近、もう、言われたら言われた時までよ、って位開きなってきましたが)

人の事を根掘り葉掘り聞いてくる人
根掘り葉掘り聞いてくる人は、その人の持っている情報とか知識、要するにその人の持っている情報料で、人間の繋がりを考えてしまうタイプの人なんですね。
情緒的な交流に問題があったり、コミュニケーション能力があまり高くない人。
だから人を評価するのに情報で、あるいはその数値化で判断しようとしてしまう。
当然相手の気持ちを忖度(そんたく)するような能力に欠けてしまうので、肝心の人間関係がおろそかになってしまう。
根掘り葉掘り聞いてこられた時は「根掘り葉掘り人」にふさわしいどうでもいいような情報はたくさん教えてあげて、本質的な情報は隠してしまうということが一番賢いのではないでしょうか?
全てを拒否して、一切何も教えないという態度を取られると「あの人はこんな簡単な質問にも答えないで、なんかすごく陰のある人だよね」とか「嫌味な人間だ」とか散々陰口を叩かれますから。表面的に色々教えるようで本音を言わないことが肝心です。(中略)
コミュニケーション能力と言うのは、このような様々な複合的な物の組み合わせの中から、場合に応じて必要なものを選び出す能力と言っていいでしょう。
情報通と自称する人の陥る最大の誤りは、表層の情報だけでは何も語られていないことを知らないことでしょう。



長い引用ですが。
とは言うものの自分の情報の中で「何が一番大切な情報なんだろう???」と思ってしまった。
私が一番嫌なのは喋った記憶のない=面識の薄い人間が 私の事を知っているって事に不快感を感じる。
「え?アンタにそんなこと、しゃべったっけ?」ってこと。ということは私が喋った相手が私の事を「ネタ」にしているってことで。
一体どのような場でなんで私が引き合いに出されたのか、それが知りたいと言うかめっちゃ不快なわけで。
ネタにされない為にも「一切言わない、教えない」って陰口叩かれる悪循環に陥るわけですが。(笑)

キ×コーヒーの「書茶(しょさ)」というサイトに掲載された作品をまとめた本、らしい。

お題は「香り」なんだけど、「コーヒー会社だから…」と簡単にコーヒーで話を作り上げるのは安直かと。
むしろコーヒー以外の香り、を取り上げた作品の方がおもしろかった。

1、夢の香り…石田衣良
2、父とガムと彼女…角田光代
3、いちば童子…朱川湊人
4、アンタさん…阿川佐和子
5、ロックとブルースに還る夜…熊谷達也
6、スワン・レイク…小池真理子
7、コーヒーをもう一杯…重松 清
8、何も起きなかった…高樹のぶ子

この中で意外だったのは「2」。
私、この作家嫌いだったのよね。
いっつも陰キャラの理屈ばっかりこねた可愛くない女が主人公の作品多かったから。
でも、この作品は結構「いい線いくなあ…」と見直した作品。主人公が中高生じゃなくて、「大人」になったからかもしれないけど。

あとミステリアスでスリリングだったのが「8」。
高校時代の同級生が同窓会でメルアドを交換してメールのやり取りをするだけの話なんだけど「そこに触れるか、ふれないか」のぎりぎりの線で留まり、お互いの気持ちをぶつけあっている作品。ちょっと、怖い。




私も「鼻=嗅覚」だけは自信があるのだけれど、確かに思い出や記憶に「匂い、香り」はあると思う。
なつかしくて、そして思い出すだけで涙が出てしまう「香り」。
その匂いを嗅ぐだけで思い出したくない記憶がよみがえる「臭い」。
臭い、匂い、香り、と鼻で感じる感覚なのに感じすら違う。できるだけ嗅ぐと気持ちがよくなるニオイを思い出にしたいもんである。

そういや、旦那が「好きな奴の匂いだったら普通だったら臭い、と思う匂いも許せるのはなんでだろう…」とぽつりと漏らしたのが妙に印象に残っている。

毛皮の子どもでも人間の子どもでもクンクンと匂いを嗅いでしまうオイラってちょっと変態。
でも、臭いんだけど安心するんだよね。
「ああ、これは××の匂い」って。
この匂いが受け付けなくなった時は「別れる」時かもしれない。
1、石田衣良 『びっくりプレゼント』
2、三島由紀夫『仮面の告白』(抄)
3、山田詠美『ひよこの眼』
4、志水辰夫『旅立ち』
5、笹生陽子『サンネンイチゴ』(抄)
6、三田誠広『いちご同盟』(抄)
7、中場利一『岸和田少年愚連隊』(抄)
8、佐藤多佳子『ホワイト・ピアノ』


続きを読みたいな、と思ったのは5。
三人の関係がどうなっていくのか興味しんしん。
ちょっと切なかったのが3.
この人は初めのイメージが黒人の恋人、ってのがあったけど、こうやって文章を読むと全く違う顔を持っていることが分かる。深い悲しみ、みたいなものが。
7は登場人物の全員が『じゃりんこチ×』の「鉄」にそっくり。鉄が最初から最後までず~~~~っと1人であれこれトラブルを起こしているみたいで。それも全員がこのキャラ一色、ってのも面白い。
梨木香歩『西の魔女が死んだ』(抄)
内田春菊『田中静子14歳の初恋』
多島斗志之『嘘だろ』
五木寛之『青春の門』(抄)
志賀直哉『母の死と新しい母』
川端康成『故園』』(抄)
三浦綾子『積木の箱』』(抄)
野中ともそ『宇宙でいちばん明るい屋根』』(抄)
森 絵都『DREAD RED WINE』
井上ひさし『汚点』(しみ)
宮本 輝『蛍川』』(抄)

今回の家族兄弟編はなんか』(抄)が多かった気が…
全体で6篇しかないにしても、読んでいて「おもしろいな」って思ったとたんに「はい、終わり」って感じで。
続きは本編でどうぞ、ってまるで映画の予告を見せられたみたいで、消化不良。

ちょっと、古めの作品が多かったせいか今まで読んだことのない作者=初めて読んだ作品が多かった。
とはいえ、比較的新しいと思われる「西の魔女…」は全編読んでみたいぐらい、引き込まれた。
『嘘だろ』はこの本の中では異色、というか超サスペンスでドキドキものなのでいい意味で面白かった。
あとは、なんか「時代」を感じさせると言うか暗い、ってのもあるし、淡々と自分の気持ちを書いている気がして、それはそれでいいかもしれないが、気は滅入る。

内田さんと森さんは世代的に近いのに、なぜか遠く感じる。内田さんは完全に家庭内レイプが基本だし、森さんは普通の子なのに親に反抗もできずただ平凡。
「親に逆らえない」悲しさは共通。
私、自分の子どもにここまで「強制」「矯正」「共生」を強いているだろうか???
読んでいて「反抗しろ!!」と憤りを覚える。
無力な子どもを虐待しているのは、中学生でも幼児にでも変わらないものなんだろうか?
中学の部活は1年だけして、後は帰宅部だった私にとって部活は「青春」そのもののあこがれに似たものになった。
まあ、実際に部活にいそしんでいる長男、次男は「苦痛です~~~~~」って感じで、全然「楽しい」の次元を超えているようで…
先生が「熱い」クラブはどこも大変そう…

さて、内容は
1、角田光代『空のクロール』
2、中沢けい『ブラス!ブラス!ブラス!』
3、森鴎外 『ヰタ・セクスアリス』(抄)
4、井上靖 『夏草冬涛』(抄)
5、氷室冴子 『クララ白書』(抄)
6、川西 蘭『決戦は金曜日』
7、松村雄策『F列十二番』
8、大岡昇平『青山学院』

3、4、8はもう「時代が違う」ので読み飛ばし(笑)
1、はこの作者独特の「根暗」な主人公の「丁寧かつ詳細」な描写が延々と続き、結果のまあホンマ、嫌われても仕方ないような行動といい…ホンマ、嫌いや。この作者。
この人の書く、女が同級生やったら絶対いじめてる。
自分の視野に入るのもイヤ!なんでこんな女の書く小説が支持されるんだろう…ってのが本音。

読んで懐かしいのと楽しかったのが、5!
特に学生時代に読んだから、あの時の自分と主人公の「しーの」の学生時代が重なる。女子校、万歳!ってか?!

機会があったらその他の部分が読みたいのは2。
今回の短編の中で一番「部活で青春」を感じられたから。

後のはあんまし「部活」と関係ないように思えた。
部活を通して「悩み」「成長」が感じられないと、ただの青春記録になると思う。
夏休みって楽しい!って感じのものなのに、どうしてさみしさも伴うものなんだろう?
夏休み前と夏休み後、色々体験した子は明らかに変わってしまう、そんな不思議な期間でもある夏休み。
元の自分には戻れないから、さみしさを伴うのだろうか…


収録作品
1、梨屋アリエ 『夏の階段』
2、石崎洋司『Fragleーこわれもの』
3、石井睦美『もう森へなんか行かない』
4、前川麻子『川に飛び込む』
5、川島 誠『一人称単数』
6、あさのあつこ『幻想夏』

5以外は全部面白かった。
5は理解不可能。京大卒らしいけど、賢い人が言いたいこと はよくわからない。多分他の本も読まない。
それ以外特に1、4,6は「夏」独特の体験を経ていく過程が鮮明だった。

色々な作家の短編を一つのテーマに沿った話で読み比べるとこんなに個性が出るのか~~と思った。
気にいったらその作者の本を集中して借りる癖があるのだけれど、しばらくはこのアンソロジー系にはまることに。

…って、やっぱり勉強から逃げてる。
今年はなんてのか、今までとは同じやり方、考え方だと上手くいかないようだ。これから3年間、やっぱり今までとは違う生活の仕方をしないと。
やる気がわいてこない。なんで私こんな勉強してるの?と目的目標が見えない。
せっかくの自分の時間が得られたのに、どっちでもいい勉強に時間を取られているのがもったいないというか、無駄でしょうと。ストレス溜めてどないスンねん状態。
やっぱり「手放す」って行為は大切。
ええねん別に、せんでも死なへん、死なへん。そんな感覚で「自分がしなくてもだれかするやろ、ほっとこ、ほっとこ」の気持ちでいなくては。
1999年単行本発行

サカキバラ事件が起こった時、高2の長男が3歳だった。
事件が起こって大騒ぎしている時私は幼稚園でバザーに出す作品を作っていた。そして帰宅してその事件を聞いた時
気分が悪くなり背筋がぞっとしたことを覚えている。
「もう、聞きたくない。知りたくない」と。
今中3の次男を持ち、もしあの時に子どもが中学生だった子を持つ親のほとんどは思っただろう。
「うちの子じゃなくて良かった」
「うちの子はこんなことをしないだろう」
多分私もそう思ったと思う。
「絶対にうちの子はそんな事をしない。するはずがない」と。


題名の「うつくしい」とは相反する内容。
サカキバラを思い出さずにはいられない事件背景。
読んでいる間ず~~っと胃痛に悩まされるほど、重い気分になる内容だった。
でも、さすがは石田衣良。最後はきちんと落ち着くべき所に着地してくれた。
この事件を通して1人のそれこそ顔にニキビのある兄弟とは全く違う容貌を持つ「美しくないこども」が成長し真実に到達する。
ただの推理小説でもなく、社会派でもなく。
全ての子どもに「夜の王子」になる素質がある。
勉強もでき、スポーツもでき、先生に信頼され「完璧」そのものに見える「うつくしいこども」の裏の顔…
そして「矯正」と言う名のもとに「意思を失う子どもの製造工場」…
殺された側にしたら許すことができないけど、傷ついたのはその家族だけではない。
何が正しくて、何が正しくないのか。
一言では言い表せないほど深いことが描かれた一冊。

読むのは辛いけど、でも、やっぱり多くの人に読んでもらい
考えてもらいたいと思う一冊。

田舎者と都会人

2010年4月8日 読書
人間を都会人と田舎者に分けた面白い分類法。
また、その付き合い方のアドバイス。(ただし書かれた方法を実践して、思いっきり険悪になりそうだな…と思った)

1、混じり気なしの田舎者
2、都会人気取りの田舎者
3、田舎に戻れない都会人
4、都会生まれの田舎者
5、どこから見ても都会人

と言う5分類である。ちなみに行動を分析しているから実際の「出身地」はあまり関係ないような…

混じり気なしの田舎者
田舎の価値観や考え方をして都会になじめないタイプ。
もちろん実際に田舎に住んでいるとは限らない。
時には都会に出て数年、数十年の人もいる。
だが、いつまでも田舎丸出しで、田舎の価値観で生きている。
都会人気取りの田舎者
都会に出てきたのはごく最近であっても、あるいは今も田舎に住んでいたとしても、ずっと昔から都会で暮らしてきたかのように振る舞い、そのような気分でいる。
そして田舎者であることを他者に対してだけでなく、自分に対しても隠そうとしている。
田舎に戻れない都会人
都会に違和感を覚えているが、だからと言って田舎者に戻ることもできずにいる人間。田舎を懐かしみ、田舎は良かったと思いながらいざ田舎に本当に戻ると窮屈さに堪えがたくなってすぐに都会が恋しくなってくる。
都会生まれの田舎者
都会で生まれ都会で育ったはずなのに、なぜか田舎くささを持っている。都会的な雰囲気が無く、田舎くさく、人間関係も苦手。そのくせ自分は都会人だと思っている。
どこから見ても都会人
洗練されており、物腰が都会的。何をするのにもさりげなく
ごく自然に行動する。しかしそうでありながら、自分が都会人であるという意識も持たず、田舎者を軽蔑することもない。


読んでいて「田舎者」に当てはまる、と最初に思ったのが
姑、ボス母、そして私の出身より西側に位置するところの出身者が当てはまる。
そう、あれこれ人の事を聞きたがる人たちね。

中にはボス母みたいに「都会生まれの田舎者」に当てはまる
都会人であることが特権階級だと思っている人は一見余裕がある。自信に満ち溢れているようにも見える。社内のあらゆる立場の人たちとも上手くやれるし、パーディでも浮いたりせずに楽しめる社交性も備えている。
だから周囲は騙されやすい。つい油断して愚痴ってしまう。
他人に漏らしたりしないだろうと踏んでいるのだ。ところがさして真剣に聞いていない振りをして実はこうした情報をインプットしている。そしてそれを裏でこっそり仕事の戦略に役立てる。
こうした裏情報がどんどん入って来る。「ふ~ん」と涼しい顔をしながら実は社内随一の情報通だったりする。


ああ、なるほどね。納得した。
ちなみに何のためかと言えば「出世ゲームに勝つためだ」そう。子どもの進学先とかその他を情報を得ても出世ゲームなんぞ主婦の世界にはないのだから、あれだけ必死になって私の情報や他の人の情報を嗅ぎ回っても仕方ないのに…

一方、真の田舎者の姑を表現するには
だから勝手に親切を押しつけておいてそれに対する感謝が足りないと「あいつは礼儀を知らない」と陰で悪口を言う。相手が迷惑がっていることに気づかないため、ともすれば自分の行為を無にする奴だ、と自分を否定されたと思い、怒り出す。
親切にされた方は親切の向こう側にある、この手の人の視野や了見の狭さを感じ取り、息苦しくなるのだが。


そう言えば長男の出産時、病院に 毎日編み物片手にやって来て、夕方旦那が来る頃にやっと帰っていくという「地獄」を味わった。「お母さんも忙しいだろうから、もう(来なくて)良いですよ」と言ったところ素敵な解釈をしそれを旦那に言ったらしく来るなり
「お前、おふくろに何を言ったんや!!!!(怒」と
怒鳴られたっけ…
帝王切開で2週間動けない人間が、他人の姑を気遣って、寝るに寝れないっていう状況は全く無視されて…
ああ、思い出しても腹が立つ!!!!
とか、何か貰っても正直うれしくないからスルーしていたら
「向日葵は何あげても喜ばない」と旦那に言いつけるし。
いや、趣味に全く合わない物をもらってもね…
兄嫁はその点「賢い」から喜んで受け取っていましたが。
あんた貧乏だから、何もらっても嬉しいよね

ので、お気に入りは「兄嫁」なんで、これからも田舎者ばばあ 姑の話し相手をしてよね。(もうすぐ法事あり)
ああ、田舎者ばっかりが集うのかああああああああ~
うぜ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
独身から今まで「canca×」って一回として読んだことがない雑誌の一つ。
ので、申し訳ないが「押切もえ」さんと「えびちゃん」の顔の区別がつかないぐらい「知らない」という…
20代から30代のこの雑誌を読んだ人なら知っていて常識なんだろうけど「自分とは違う世代」と切って捨てていたのかどうか知らないけど、彼女を知らない人間も世の中にいるんですよ、ってことを言っておきたい。

内容は今や「誰もが知っている」モデルとして成長した押切さんですが、そうなるまでには紆余曲折がありどん底も体験し、それでも「愛されたいからモデルを続けてます!」って感じのエッセイ??
ので、20~30代の「もえちゃんを真似したい世代」にとっては「完璧に見えるもえちゃんですら、こんなに苦労して努力してるんだ!私もがんばろう!」と共感するであろう世代向けに書かれていると思うんだけど、それを超えちゃった世代から見ると「私もまだ発展途上です。これからもがんばります」的ななんてのか「意思の強さ」的なものに「 欠ける文章だな」って感じた。

う~~~ん。文章は上手くまとめてるんだけどね、なんか訴えるものが弱いのよね。いまいち心に響かない。
本人も「人見知り、臆病、あきらめが早い」と言う自己性格判断を下しているように「人見知り」部分がどうしても文章にも現れているのかもしれない。

イラストで日本の衣服の変化を紹介してくれていて
古くは1899年の「明治初期の武士や牛乳配達人」さんが描かれていて。
女性の服で一番色っぽいと言うか着てみたいのはドレスが導入された「鹿鳴館時代」のドレス。あと戦前の竹久夢二が描きそうな可愛いワンピ時代。女性らしさと言うか華奢な感じが素敵!!おしとやかと言うか。
2000年の服も載っているけどいるけど、当たり前すぎて可愛くともおしゃれでも何でもない。
1980年代はもうなつかし~~~の一言!
「刈り上げ」の髪型とか、全身真っ黒とか。
ただ段々色使いとか組み合わせに品が無くなっていくような…
古臭く見えないコーディネートで「モガ&モボ」の服を着て見たいな~~

ひとみしり道

2010年4月7日 読書
自分も小学校までは「人見知り」「大人しい」「目立たない」「大きな声を出せない」そんな人間でした。
転機が作者と同じ「女子校に中学から大学まで行ったから」
と言うのは偶然でしょうか?
私の場合は「男子と接するのがいや」と言うのも大きな理由だったけど。
男子がいない世界で伸び伸びと過ごし、小学校のように「みんなで一つの事」を強制されることない環境と言うのは私には最適だったようで。
これが中学も公立行っていたら、今の幸せな生活は
絶対に手に入れられてなかったでしょう!

最近、夢を見ます。それも毎日。
内容がまた面白いことに「誰かに正々堂々とクレームを付けている」のです。
時には夢の中ではっきりと物を言うことにより「あ~私この人にこんな感情を持っていたのか」とか「あ~~私、この人きらいだったんだ~」と気付かされたり。
今日の夢は小学校の時の男子にはっきり物を言ってました。
それを夢に見た日にこんな本を借りるとは…シンクロだね~



中学生の次男が図書館で借りてきたものの
「えぐすぎる~~」と途中放棄したので
「それならば」と私が読んだのですが
「こんな、気分が悪くなる本をよく書くなあ…」
ってのが感想です。

「闇」「陰湿」「グロい」そんなマイナスな言葉と感想と読後感に「あ~嫌なものを見てしまった」って後悔させる本の存在価値って…

やっぱり読んで「楽しい」「面白かった」「前向きになる」
そんな読後感を持つ本がいい。

まあ、感想的には「いじめはやめましょう。いつか仕返しされるよ。それも、絶望感と恐怖感とともに…」そんな感じ。
4月になりました。
去年の4月はまだ働いていたんだ…と手帳を見比べながら思ったり…
家に居るとどうしても運動不足になるのでついつい表紙の「おうちでこっそりカー美ボディ」というコピーに惹かれて買ってしまった。
でも、根本的にここに取り上げられている人たちと生活環境が違っているので(使用している化粧品のレベルとか、かけられる金額とか)「参考程度(以下)」にしかならないんだけど、つい買ってしまうんだよね~~~

1月に髪を切って以来、伸ばしてきましてこの4月には絶対美容院に行くんだ!!と3月中そればっかり考えてました。
ええ、暇の極致です。
問題は「どこの美容院に行くか」それだけ。
どこに行っても自分の思うようなスタイルには「絶対に」してくれないし、ならないこのもどかしさ。
で、パーマかけたら1万5千円ぐらいかかるし…
大枚はたいて、精神的満足は絶対に得られないというこの状況、ものすごくストレスの元!
「どこ行っても一緒で満足しないんだから、ワシと一緒の坊主頭にしよう!」と旦那が横から口を挟むので大枚はたいて「…」だったら口が裂けても金額は言えない…
(結構「どこで切った?いくらぐらいするん??」と聞くんだよな~~うちの旦那…はああ~~)

今回の雑誌にも「髪のリフォーム」としてトリートメントが取り上げられているけど「21000→15750円」とか
「15225→11550円」なんて書いてあって「トリートメントだけでもそんなにするんか!!」って感じです。
そう言えば候補に挙げている店の一つで「クリームバス」を受けたけど「いまいち」だったし…(座って施術してもらったから毛が多いので肩が凝った)


ああああああ~~どこのどの店がいいんだ~~~~~~~



みんなの温泉

2010年3月31日 読書
「温泉」とは絶対に言えない温泉に行ったので、急に温泉に興味を持ってしまいました。(笑)

この本(マンガエッセイ系)には色々な「温泉」が取り上げられていて、例えば「海の中に有る温泉」「洞窟に有る温泉」「滝つぼ状の温泉」など。
要は自然界にさりげな~~く存在している温泉を取り上げてあり、私が旅館やスーパー銭湯で満足しているのは「温泉ではない」とさえ思える代物。

混浴露天風呂なんて入ったことないし、海の中の海水と混じる温泉とか入ってみたい~~~~

深い話、って思ったのが「熊野古道の先に有る湯の峰温泉」にて旅館のおじさんが
「古道を歩きに来たと言うことは道によばれたということやからね」

と言われ、著者と同行編集者は一瞬、固まってしまうのだけれど
「どんなに来たくても道に呼ばれんとこれんのよ。来るつもりで予約していても急に怪我したり、病気になったり…」

実は一緒に行く予定だった友人が「急にけがをした」のを二人は思い出し「心当たりが…」。
さらにおじさんが
「途中に蛇形地蔵さんというのがあり、なんでも一つだけお願いをかなえてくれるから、そこに行くまでその願いだけを思って歩いて、地蔵さんに着いたらお願いするんやで」
といわれ、俄然活気づく二人。4時間半で着くコースを6時間もかけて
発心門王子につくと、けがをした友人が車で待っていてくれて「私たち、呼ばれたんですよ~」とにやにやしていたら
この友人が
「あ~あたし神様とか、エライと思ってないから。どっちかっていうとあたしの方がエライ…」

著者と編集者は後ずさって「呼ばれないはずだ~~~~」と神様に許しを請う図、で終わるんだけど
普段人間には偉そうにしている私でもさすがに「神様」だけには「自分の方がエライ」なんて思ったこともなかった。
神様の方が絶対にエライ!ってフツーに思っていたので。

私も古道に呼んでもらいたいな~~~~
頑張って歩くから。(携帯の万歩計では古道は完歩したんだけどな~~~パワースポットを歩いてみたい!!)
九州に行ったついでに神社が寺かに参れたらな…と言う気持ちから借りた本。

まず、家の片隅にでもいいので「マイ神棚」を作れとのこと。仰々しく考えずにたんすやテーブルに神様にふさわしい色や柄のクロスを敷き、美しい石や鏡、像などを飾ろうと言うもの。そこにお供えスペースも設けておき、例えば給料明細をもらったらお供えし、頂き物を頂いたらお供えするなど。お供えすることにより「感謝の気持ち」を持つことが大切だそう。

神社での参拝方法
1.軽くお辞儀して神社の鳥居をくぐる。
参道の真ん中は神様の歩く道なのでやや左側を歩く。
2、手水舎で手と口をすすぐ。
3、神社によっては鳥居がいくつもあるが、くぐるたびに軽くお辞儀し、お清めさせていだだく。
4、拝殿の前に来たら、お賽銭を入れる。
5、鈴がある場合は大きな音で鳴らしてから拝礼する(全国的に2回お辞儀をして2回拍手、手を合わせて祈願し、最後に1回お辞儀をするのが正式。なお出雲大社では拍手が4回。)
6、帰りも行きと同様、真ん中より左を歩き、鳥居をくぐるたびに拝殿の方を向いて軽くお辞儀する。


ちなみに著者は出雲大社の関係者なので注が付いています。

植物パワーを頂く
花の色のパワー
ピンク…愛情運、女性性、母性を強める
赤…勝負運、活力、生命力を強める
白…清らかさ、健康運(精神的&肉体的)を高める
黄色…頭の回転、計算能力を高める
オレンジ色…明るさ、コミュニケーション能力を高める
紫色…精神性、直観力、自尊心を高める
植物の生命力は最強で、常に生き生きとしたオーラを発し、私たちを元気にしてくれるので飾りましょう。


あと「輝いている人のをもらう」のもいいそうです。
「人の気」を吸収できる最も良い方法が「輝いている人」からいただくことです。「たき火」にぽかぽか当たるような感じで、ただ「人の気」の強い人のそばに居るだけでえることができます。どうしても身近にそういう人がいない場合は人気タレントのコンサートや舞台に出かけたり講演を聞いたりしてもパワーをもらうことができます。ただし悲しい内容の物や批判的なものは避けましょう。  とのこと。
野村監×の講演会は行かない方がいいってことね。(笑)

家の中にこもっているから「輝いている人」と接することもないし、そもそも今まで自分の周囲に「輝いている人」っていたかな????
この人と話したい、会いたい、ずっと付き合いたいって思うような人ってほとんどいないような…
べっきーとかイッコウさんとかを見たいなあ。

出雲大社に行ったことないので夏休みに行けたらいいなあ…

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