わがやの個人情報を根掘り葉掘り聞く「田舎者」に対応する為の参考として借りました。

まあ、突き詰めて冷静に「結婚って何?」って聞かれたら「別にしてもしなくてもどっちでもいいんじゃない」ってことになってしまうのは「結婚」というものを一回でも体験した側だから言えるんですけどね。
「結婚っていいよ~~~」と誰彼にも勧めれるものではないとも言える。適性があるんですよね。実は。

と言うのもこの本に誰かに結婚に対して何か言われたらこうやって言い返す、って言う例題が載っているんですが
この本を先に借りた誰かが消えないペンでボックスにチェックを記入している ですね。

おい、お前!
男か女か知らんけどな、図書館の本に平気で落書きするような常識のない人間が『結婚しない』じゃなくてな
「結婚してもらえない」人間なんだよ!



それもチェック入れているところをから推測すると
女だとしたら「どうしようもない可愛げのない女」であり
こんな風に反論をするとしたら「口ばっかりで、すぐ理論ぶるし。賢いとでも思ってんのかね?この勘違い女」という烙印を押される事必至。
皆から煙たがられるだろう。
てかまだ「結婚しないの?」と口を聞いてもらえるだけありがたいと思いやがれ!ってなタイプ。

男だとしたら「権利、権利」とかざすばっかりで口が先に出て実際の仕事が満足にできない奴。
「ああ、ヤナ奴」という烙印を押されるタイプ。
ので、絶対に女にはモテナイ。=結婚できないと言う図式。

こんな本読む以前に結婚できないのは「お前の日頃の行いに非がある」と分かれよ。
「しないの?」じゃない、「できないの」「してもらえないの」「かわいそうな人」なの。

結婚と言う思いっきり他人と生活する小単位すら形成できないってやっぱり「人としてどうよ?」って問題なの。


「結婚」の制度そのものにはどっちでもいいと思うけれど
「共同生活を維持できるか」という適性テストとしての
結婚と言うレベルで考えてみては?
何の気なしに借りてみました。
「こんな家は危ない」という項目のほとんどに該当するぐらい防犯意識の無い我が家。特に私。

『敷地内にオープンガレージがある家は危険だ』
を読んで今月から旦那がベンツを置いて電車通勤になってしまったのは非常に痛い&危険。
ベンツ=金持ち って図式が一般的だけに内にみたいに15年以上「車貯金」した結果買ったとはやっぱり思わないもんねえ…
車会社のマークが入っていないカバーをするか、この本では
高級車のオーナーになるのであれば、維持費の一環のつもりでブラインドシャッター付きのガレージを設けてください。危険な目に遭わない為には高級車
である事を隠しておくことです。


あはは~~無理無理。

で、極めつけはこの夏、夜、一階の窓を網戸状態で毎晩寝てました!!
だって、毛皮の子どもが暑かろうと思って。
(扇風機も各自一台づつ回している状態)

うちの家で一番高価なものと言えばこの「奇妙な毛皮の動物」ですから!!
婚約指輪のダイヤより高いし、3連ダイヤネックレスよりも高い。
ブランドバックは持ってないし。
外にある車が一番高くて、うちにあるもので一番高いのが
「なまもの」だとはねえ…
盗んで行くかなあ…
「これ」がそんなに高いものだとは知る人ぞ知るの世界だけに。(価値観の世界とも言う…)

まあ、うちほど防犯意識の無い家もある意味珍しいかも。
アトレーも普段施錠してないし。
(取るんなら、取れって感じ。むしろこじ開けられるよりも良いという考えから)
旦那からは「車検証だけは取られるなよ」と言われてるけど…


「取らないでね。泥棒さん」
京都出身の建築家の目から見た京都の仏閣及び空間。

貴船は『象徴させる』の項目で取り上げられてました。
<貴船神社> 気の生まれる場所
貴船神社は京都の町中から離れた北山の中にある。
賀茂川を北上した先、その源流に近い貴船川に沿って位置している。そのため、この神社の起源は下流から上ってきた船にちなんだものともいわれ、船にまつわる史跡や場所がある。また別の解釈では、気が生まれる根元と言った意味の「気生根」からだともいわれる。
創建されたとされる奈良時代以前よりこの地が不思議な「気」を感じさせることからきたものだろうが、今もそれが頷けるような場所である。
貴船川は現在ではその清流のせいか、川床で料理を食べられる場所として有名で、夏の季節には特に観光客で溢れる。ただそれ以外の季節には人もまばらなようで、そのような夏を外した季節がこの地の雰囲気を味わうには相応しいように思う。
貴船神社には本宮と奥宮があるが、二つは近くにあってどちらもそれ程大きなものではない。
元々は奥宮のあったところに本宮があったようだが、それが出水によって流された為、今の本宮の場所に造られたようである、だが、それも平安時代の事である。
私は観光地となった今の姿を見ていると、このような料理旅館などの施設ができて、その本来のイメージがかなり変わってしまったような気がしている。
この地に神社を造ったのは、まず鴨川の源流出会ったことが第一であろうし、その源にできるだけ近い場所を造ろうとしたことも想像できる。
その中の特に神性を感じさせる場所が今の奥宮の場所で無かったのかと思うのだ。
今の道路部分が当初は山道のような参道であって、そのような川の源流を求めて川に沿って山道を辿り、この「気」に溢れた場所に至る事が本来の感覚ではなかったのか。
そこには常に水音のする中に崇高なる場所があった、それがこの神社の起源ではないかと思えてならない。


旅行後に読みましたがものすごく共感できます。
なんと言うか…今まで読んだスピリチュアルとか占いの本とは全く「異質」。
著者は「運命学」なるものを研究(?)しているのですが
運命学において『「幸運」と「幸せ」は別である』との見解。
『運命学において「幸運」とは「お金をたくさん得る事」と「出世など名声運をつかむ事」の二本柱で構成されています。』とのこと。
わかりやすいっちゃ、分かりやすいんですけど。
お金がありあまるほどあって、夫婦仲も良く、子どももいる女と、収入は1億、自分で会社経営、10年来の不倫相手がいる女もどちらも「幸運」。


そんなもんか??

で、運命学は人間の欲望をかなえるアプローチであり、客観的な視点からしか物事をみない、そうです。
幸運をつかむためには「お金か出世のどちかを目標にするか?」と決定することから始まる。普通「どちらも」と言ってしまうのですがそこがもう「間違い」だそう。
例えば学歴が無い人はどちらを選ぶか、と問われたら『学歴が無ければ出世は望めないので「お金」をもくひょうにするしかありません』とくる。

…まあ、こんな調子で「運命学」を展開していくのですが、競馬とかバクチなりで「楽して一攫千金」を得るような人やどんだけさげすまれようとも(プライド一切無し)他人に取り入って出世しようと「心に堅く誓う」人には読んでいても役に立つと思うけど、そうでない人特に女性にはなかなか書いてある事が受け入れることは難しいと思う。

夢も希望もないやんか。あるのはただ欲望のみ、って感じ。
そこまでして手に入れたいか?そんな疑問が多々出てくる。
手にした後で絶対「むなしさ」や「喪失感」に襲われてまともに生きていけるんだろうか?
金持ちだけど不幸、そんな結果が待っていそう。


作者も何のことはないあとがきで
もしかしたらあなたは不運だった頃の方が幸せではなかったかと、しみじみ感じるかもしれません。けれどもひとたび幸運を求めて舵を切ってしまうと、もう後戻りはできません。そこにあるのは、幸運ではあるけれど殺風景な心です。
幸運は、実は異常な運気の爆発なのです。
お金や名声を手にする代わりに、あなたは重要なものを失います。
平凡で幸せな生活を破壊したところにこそ、真の幸運は存在するのです。



いらね~よ。そんな悪魔と契約した結果の様な真の幸運なんて。
財力は与えられる。でも、心と交換ってことかよ。
どっちが自分にとって必要かよく見極めてから「お金が欲しい」っていう口癖を言った方がいいような気がした。
これは単純に比較した本。
とはいえ、一つのジャンルに絞った比較ではない為「雑学」に近いものがあり、興味が無い部分は面白くない。

ソシテ思ったのはこのような「関東」VS「関西」の「関西」=「大阪」が取り上げられてる事がほとんどの為、ひとくくりに「関西」としないで欲しい。
大阪だってミナミ、キタと性質も違うからこれまた「大阪」と表記するのも厳密にいえばおかしいのだが。

「関西」とひとくくりにされた文章の中で「へえ~そうなん??」と思うこともしばしば。
例えば家族が家を出る時に「行ってらっしゃい」の代わりに大阪弁には「お早う、お帰り」と言うと言う下り。
京都の本にはこれを言う、という表記があったので大阪弁じゃなくて京言葉じゃないのか?と。
ちなみに元神戸人の私は朝子どもが行く時は「行ってらっしゃい」で遊びに行くとか塾の時は「気をつけて。はよ帰っておいでよ」と言う。

比較する時は言語や習慣に特記する方が面白い。
電車に乗る時も東京は列が崩れることは無いと書かれる一方で大阪は割り込みが多い…と書かれても気分が悪いだけである。
なんというか…
もっと比較文化的な本だと思っていたけど…
比較と言うより結局、大阪寄りの意見でしかも大阪を語る=商人の町となり、行きつく先はヨシモト…

で、大阪文化を語るものの、なぜか「性風俗」にまつわる話…
文化、語るだけの高尚なものが大阪には無いんか?!って感じ。

例えばエスカレーターの立ち位置の違いとかもっと具体的な生活の違い習慣の違いを列記していると思ったんですけどねえ…

大阪=阪神、ヨシモト、性風俗って…
レベル、低く!!
作者は伏見育ち、結婚後洛中住まい、明治に建てられたチク105年 程度の家に住んでます。
伏見の人は昔洛中に行く事を「京都に行く」と言っていたので正確には「京都の人ではない」ってことになると思いますが、本人はその事に気づいて無いのか「いかにも私は京都人です」と言ったプライドを持って本書をお書き。
本来なら文頭に「伏見育ちの築100年程度の家に住んでいる私の様なものがこのような本を書かせて頂くのは本当におこがましいのですが…」と「お断り」の一文を入れておく方が後々宜しいのではないでしょうか…

とは言うものの「生粋」の京都人が書いたわけではないので「イケズ」とも「ひねくれ」とも無縁な毒のない読みやすい普段の日常をエッセイ風にお書きです。

しかし、ご本人さんは「京都人ですから」とお思いでお書きになっているのかもしれませんが例えば「もっとこましな格好を」と祖母から言われていたとありますが京都生まれではない私も言われて育ちました。
ので、地鎮祭の時の兄嫁の服装に度肝を抜かれたんですよ。
よそさんの家に行く時はちゃんと挨拶するようにも。
何もそんな事は「京都」でなくてもちゃんとした家なら「当たり前」のことなのでわざわざ書くことの事でもないとかと。
先祖代々、京都生まれ、京都育ちの人が書く「歴史を踏まえた」文章ではないのでものすごく読みやすいですが、例え京都に住んでいてもそれは ただ住んでいるだけの事であって、このような本にするにはもう少しお勉強をなさってからの方が良かったのでは?

京都に関してはおいそれと文章にするのも「資格」がいるのでは?

…って、これ読んだ生粋京都人から陰口叩かれているんとちゃうか?と思った。
「私の様な、新参者が…」とへりくだった方が身のためですよ、と。
と、京都風に「イケズ」な書き方をしてみました。
え?いつもと一緒って?!
むちゃむちゃ、興味深く読みました。
というか、自分の「神戸人」としてのルーツを教えていただいたような…

ちなみに著者は大阪人だとか。
京都人を表して
京都人のイケズはもっとじめじめと陰湿なのである。人間の行動に例えれば、顔はにこやかにほほ笑みつつ、一方、腹の中では舌を出し、ついでに相手のつま先を踏んづけているようなものである。
京都人はとてつもなく都会人である。
逆な言い方をすれば、都会人の原点は京都人にある、と言いきることもできる。田舎の村社会とは対極の位置にあるのだ。都会で暮らすには最低限のルールが必要で、それは他人の領域に踏み込まないことである。
この場合の領域とは、個人の私生活だけに限らず、その意識から地域社会にまで及ぶ。


そう、怖いとされるイケズは何の事ない、「不作法者」を排除する手段でもあったのか!!
ちなみによそ者は京風の決めごとをわきまえてさえいれば、親切にしてもらえるのだそう。(バスで親切にしてもらったのは、これが理由かあ~)

共感できる部分として
大阪人のイラチな性格は京都人のイケズと双璧をなすと言えよう。
神戸人が所用で20分の距離の大阪へ行き、用事を済ませて神戸へ帰ってくると「なんと神戸はゆったりしているのだろう」と心底ほっとするそうである。とにかく、大阪のイライラセカセカした雰囲気に揉まれると、神経が根本から疲れ、ひたすら「ここから早く脱出したい」と思うそうだ。

めっちゃ、思う!!電車でも車でも大阪方面から帰宅する時、東灘に近くなると山が迫って来て、海も開けて来ると「ああ、帰ってきたんだ~~~~~~」とものすご~~~くそこで、一気に緊張の糸がほぐれる。「ここからはゆっくり走っていいよ~~海見えるし~~」って感じ。
旦那が足を怪我して、大阪の病院に担ぎ込まれた時なんか、もうその時はどうやって通ったか記憶にないほどだけど、毎日くたくたに神経つこたし、大阪の友人と会った時も歩くスピードについて行けなくて、帰宅後寝込んだし。
「げんきやなあ~~」
「そうか?学生時代は、すずめちゃんの方が、歩くの早かったのに~それとショッピングもみるだけでたのしいで~」
「無理。無理です。こんな人、多いとこ。しんどすぎ~」
ってな会話もしたっけ。人をよけて歩くのが精いっぱい。

最近はさっぱり言われなくなったけど、学生時代よく「京都の人??」とよく聞かれた。
なんで京都なんだろう??と不思議に思っていたら結婚後ある本で私が住んでいた地域は「没落した平家が隠里として住んでいた。よって、一部の地域に言語が残っている」と。あ、そうなん??でも、納得。

自分の他人に興味を持たないという性格も
神戸は人種民族の坩堝である。戦前から様々な国の人が住み、人種のわだかまりもなく、フレンドリーに暮らしてきた。だから、人種的な偏見や差別区別の意識もなく、真の意味で国際都市である。外国人と上手く付き合うには、必要以上に他人の私的領域に踏み込まないのがコツであるが、神戸人はそのあたりのコツも心得ている。反面、それが神戸と言う町に感じる、淡白さにもつながるのだろう。

「必要以上に踏み込まない」これが染みついているからこそ、自分が「踏み込まれることが多々ある」今の現状にどうしても納得&理解しがたいのだろう。
そう考えると、「踏み込む人」って、「田舎」な人だな、と。少なくとも神戸より西が出身地だな。
田舎もんだから、他人との距離を測る「知恵&習慣」が無いんだろう、と切って捨てるのが一番!

それと最近テレビを見ない。それは「低脳な芸人ばっかり出ているテレビを見ても面白くない」のが理由。
その理由も、ちゃんと解明してあった。
目下テレビで売れているヨシモトを主とした関西系の芸人たちに、純粋な船場言葉など喋れる人間は皆無で、ほとんどの視聴者が大阪弁と信じ込んでいるのは、彼らが撒き散らす、正体不明、無国籍風の関西なまりなのだから。またこの無国籍風の関西なまりは、不思議なほどに、下品なイントネーションとニュアンスに富んでいる。
なぜそう聞こえるのかの理由の第一は、発音の汚さ、発音時の口の開け方のあいまいさにある。


そうか、あの、必要以上に「下品」な雰囲気がどうしても受け入れられないのが原因か。すっきりした。
『お笑い』が葵の御紋の印籠のごとく通用するのは大阪だけで、隣の京都や神戸となると少し様相が異なってくる。
京都人にヨシモト的な笑いについてどう思うかと聞くと「下品どすな」とか「20代までの人はともかくとして、30代、それも家庭人になったら途端に背を向けます」と言った答えが戻ってくる。
神戸人もしかりで「まあ、どっちでもよろしいですけど、品がないですなあ」とか「たまにテレビで観ますけど、ちょっとでよろしいわ」と素っ気ない。
京都人によってははっきりと「背筋が寒うなりますわ」とさえ言う人がいる。


極めつけは、常々私はネズミーランド 大嫌いと言っているけどその理由が
京都はテーマパークの元祖 
近頃盛況なのがテーマパークと称する大型遊園地である。当然全体の造りは映画のセット風であり、書き割り風である。言いかえれば人工美の極致だ。
確かに子どもも大人も楽しかろう。けれどそれも一時のことで、一週間と通い続ける事が出来るだろうか。
子どもならがそれでも喜ぶかもしれないが、大人はよほど頭の中が風変りで無い限り、飽きが来るだろう。
流行りのテーマパークと直に比べるわけにいかないが、少し見方を変えて眺めると、京都は歴史と雅をテーマにした
大人の為の壮大なテーマパークと言える。
もっとも、満艦飾の人工美が大好きで、歴史や風流に興味はないと言う人には無縁の話だが。


そうか、あのネズミーランド全体を覆っている 偽物の建物とその中で働いている人間の偽物の笑顔 にウソ臭さを思いっきり感じて、嫌悪感 として捉えていたと言うことか。納得。
独身時代にイギリス&フランスで ホンマもんの城を見てきた者にとってテーマパークにある
外国にありそうな、城風な建物に美しさを感じるわけがない。
なんだ、この、張りぼてってなもんだったのだろう。
ホンマもんがありがたいことにゴロゴロと店先に並べられていて、買わなくても自然とそれらを目にすることによって審美眼は養われていたのである。
神戸に生まれ、育つ事が出来た事はなんという財産!

今、住んでいる街はそういう意味で「ほんまもん」がゼロに近い。これじゃ、目を養う機会もない。その証拠として神戸にもここにも同じチェーンショップがあったとしてもディスプレイに大きな差が出ており、「え?ここにこのショップ入っていたの?」と驚く事数回。
定員もスマートさが無いから、自然神戸で買い物をすることになる。「いや、アンタのセンスより、自分のセンスを信じるわ」ってなもんだろう。
着こなしにセンスが無いから、簡単に言えばユニク×の服をこの地では「そのまんま着る」のに対してこれが神戸だったら小物で変化をつける、異素材を合わせるなど、変化をつけてなんぼ。今の土地だと、変化を付けたら「あの人、変」とばかりにものすご~~い注目を浴びてしまう。
ので、自然「おしゃれ」と言うものから遠ざかるのである。もっと好きなように着たいよ~

それにしても、自分がどこに生まれて、どんな土地で育ったかによって全く違う感性を持って生きて行くことになるんだなあ…とつくづく思い知らされる。
やっぱり高くても「いいもの」を小さな頃から目にしているのはひじょ~~~~~~~~~~~~~~~~~に大切なことである。
安いから、簡単だからと言ったものばかりを目にし、口にしていたら大人になって「軽い人間」にしかならない。
直感でも「これが、いい!」と判断できる「基準」を持つべきである。
…と、自分の子どもに「ほんまもん」を目にする機会が無い現状としてどうすればいいのか…

KYOのお言葉

2010年9月3日 読書
うえ~~ん。
今度は書いていたらフリーズした…
前回は途中で全部削除。
京都に関する「悪口」を書こうとするとこんな現象が起こるのはなぜ?ほんま、イケズやわあ~

てなわけで、この一冊も「私は京都生まれの京都育ち。よそさんにそう簡単に京都の良さがわかってたまるかい」っていうイケズな視点、満載で書かれております。

ほんま、いやなやっちゃ。
更にこの本には2×ャンネル用語かと思われる語彙が載っていたり(例:デフォ)その時代背景を知らない人が読んだらさっぱりわから無いネタが載っていたり。
雑誌掲載時はある程度の年齢層を見据えた上で書かれているからそれもありだけど、このように単行本になったらもう少し考えた方がいいと思う。


とは言うものの、最近京都の言葉(京都弁とは言わないらしい。理由は「弁」は「田舎の方言」なので。京都はどこまでもいつの時代でも「中心」だから。「方言」ではないらしい)に関する本を読んでいると「イケズ」も使う側にも言われる側にもある一定の「レベル、基準」が存在することに気付いた。
と言うのも、言ったところで相手がぜ~~んぜん言われた事を理解できない頭の持ち主だったら言った側も面白くない事に気付いた。
例えば私が姑&兄嫁に言っても効果がない、みたいな。
直接的表現でやっと理解できるかできないかの頭の持ち主に間接的表現それももってまわった間接だったら余計の事。
「あ、この人に言うてもあきまへんどしたな」って感じ。

相手にそれとわからないように、でも、理解できたらめっちゃ腹立つような言いまわしができたら最高なんだけどな。
心おきなく、姑にボロクソ言えるのに…

例えば私の右手にできた傷跡も「おかあはんでしたら、こんな傷、目立ちまへんのになあ…(色黒だから)ウチはめだってこまりますわあ~(色白だから)」
って、本当のイケズならどんな風に表現するか教えて欲しいなあ。

もっと例題的に「こんな時はこう言う」みたいな本がでないかな?
メイン登場人物が祖母、母、姉妹その4人がすべて「血のつながらない他人」であるのに、実の親子関係以上で生きている。
新聞に掲載された内容だけに、数日前に読んだ多分20歳ぐらいの独身女をターゲットにした「恋愛、仕事、そして結婚したら全てハッピーさ!」みたいな単純さはなく、むしろこれで上手くいくのかな、って思った矢先に次々と問題が起こって行って…
そう、そう簡単に上手くいかないところが人生さ!って共感する部分多し。
セリフにも共感&重い部分もあるし。

さて、問題は主人公の一人の名前。
「理々子(りりこ)」と言うネーミング。
なんか思いっきりセンスがないなあ…と。
唯川さん、結構、名前のセンス無いよなあ…
最後に名前のオチがあるのかな?と思っていたのにそれもなし。
もう一人の姉妹が「雪緒」(ゆきお)」なので、釣り合いのとれた名前にして欲しかった。
同級生の名前も「純市(じゅんいち)」。
せめて「純一」にしなよってばよ、って感じ。
今時「字画」だけで「それ、普通名前につける漢字じゃないよね。 在日の通称名かよ」って言う名前がゴロゴロしているけど。
犯罪を起こした在日が通称名で使っている名前って当て字系が多いから、すぐ「あ、在日」ってわかると思うんだが。無理やり「金」とかに別の漢字を付けくわえた
日本の名字にない、漢字をつかうから。あと「鉄男」とか。70歳代ならいるけど、20代でこれは…


いや、全く関係ない話で。
付けるならもう少し、マシな名前をってことで。
今度はパン特集

でも、やっぱり元町、三宮周辺ばかりで…
ケーキ屋は兄弟弟子同士でレシピを教え合うそうなので
パン屋も修行した店のレシピを再現するのかな?
結局、修行した店の味+αってことかな?
そう考えたら、自分で超我流でいろんなレシピを真似して作った結果出来上がった店が一番「個性的」なんじゃないだろうか?
2009年発行
久しぶりの唯川さんの本。
発行されて1年しかたっていないのに、中古しか表示されないとは…

「美人百花」という本に2005年から2008年に連載されたものをまとめたと言うもの。
小説ではなく主人公の「日記」という形式にして仕事と恋愛(結婚)について書かれたものなんだが…

正直、当たり前の展開と使い古されたかの展開すぎて、正直「20年前の本??」って感じ。
全然意外性のない展開と広がらない人間関係。
主人公の性格に「結婚したら私は幸せになれる~~」とばかりの思い込み。とても雑誌編集者として日々邁進しているとは思えない思考。
これじゃあこの作者がかつて得意とした「キャリアウーマン(この言葉すら古臭く感じる)VS専業主婦」みたいな感じで。

あと、掲載当時で30歳と言う主人公なのに
レンタルビデオ屋で懐かしい「ゴースト」を借りる。中略 そう言えば、この映画、 俊哉と一緒に観たな…


でみ・むーあの「ゴースト」。私が20歳の時ぐらいに映画館で観たんですが…
最近もリバイバルで劇場でしたんですか????
年齢設定に「無理」がありませんか?

もうひとつやはり29歳の妻子持ちと不倫している友人の由美がカラオケでテレサテンの「愛人」を熱唱するくだりとか…
今時の30代でもテレサ、歌うんですか!!!ってびっくり。
まあ、不倫している人間にとって「ドンピシャ」な題名だけれど…
へたくそでも上手に歌える曲だし

う~~~ん。
作者ご自身の青春時代の思い出とオーバーラップされてるんですか?って感じの展開、内容、すぎてこりゃだめだ、って感じでした。
久しぶりに読んだだけに「残念感」たっぷりな一冊。
前半は京都ジン(人、ではない)のイケズについて書かれていて興味深かったが、後半は京の町、歴史について書かれており、それはあんまりおもしろくなかった。

イケズの構造

2010年8月29日 読書
昨日この本の感想を書く為に本文を引用用に打ちながら論文的にまとめたのに、それも結構長く、バックスペース押したらなぜか全文消去の憂き目に…
これはもう、京都のイケズがパソコンに憑依したとしか思えない!「こういうのを、イケズっていうんどすえ~」。

もう、書く気も失せたので適当に感想を描くけど(投げやり)、読んでもちいいいいいっともわかりゃしません。
先の大戦を「応仁の乱」である、と認識している人種に「第二次世界大戦では?」と教えられている人間が何を言っても通じるわけがない。もう、日本人じゃない、と思えばこの人達の思考回路を「京都人のイケズは、意地悪、陰険、皮肉、イヤミ、毒舌、天邪鬼、ではない」と言われたところで「全部あてはまるやん!」としか思えない。
これらをひっくるめた「技」が「イケズ」として昇華され、文化として息づいている…
うんなわけ、ねーだろ!!(怒)

根性が曲がってるねん!
素直じゃないねん!
自分らが一番で上やと思ってるねん!
うちら京都人が一番すぐれてると思ってるねん!
としか、この文章を読んで
本全体にイケズがちりばめられている 。どや、このイケズ気がつきました?って陰でせせら笑われている感じしかしないんだけど。


京都、なんかツンとすましている感じは漂っていたけど、商売しても「アンタにこの商品はふさわしくないから売ってあげない」とさりげなく拒否するところなんか、神社仏閣の恩恵がなければ商売として成り立たないと思うけど。
また、その拒否の言いまわしの「イヤらしい」こと。
ホントはこんな意味で言ってるんですよ、って解説されたのを読んだ時は…

はんなりした物の言い方(喋り方)がこれだけの「毒」を上手く隠すためにあるのかと。
言っていることと本当の意味が全く逆であること。
でもね、なんかそんな風に遠回しな言い方せんとはっきり言ったらどうよ!卑怯者!と言いたくなるんだよな…
いくら外部の時の権力者に翻弄された経験から「直接非難しない」習慣を身に付けたとはいえ、「よそさん」の私から見たら「グダグダと何をいいたのかさっぱりわからん、要領を得ない喋り方しやがって。あたま、めっちゃ悪いねんな!京都の人間は! 」てなもんですが。

京都に遊びに行っても京都の人間とは極力喋らないようにし~~~よおっと!

でも、京都外で「毒舌家」とか「口悪い」と言われて疎外感を感じる人間は「楽しい」と思う。
なんぼぼろくそに人を貶めるような事を口にしてもどっこいどっこいの人たちが(でも、京都人にしたらこれはイケズと違う。下品や)とかなんとか言っちゃって自分らを正当化するんだろうけど。


「ああ言われた」「こう言われた」「次はこう言ってやろう」と喋るのに考える必要があるので脳の老化防止には役立っているのかも。
「乙女の京都」よりも少し洗練された本の作りになっているかな?
と言うよりも、「乙女…」は個人趣味に偏っているのに対して、これはテーマに沿った品々を見やすくレイアウトしてくれているから。
同じ品物が掲載されていても、すっきりと見やすいレイアウトとバックの色合いもパステル系で「まったり感」をうまく演出している。

可愛い品々が沢山あって、欲しいなと思わせます。
京都はやっぱり女どうしで色々な店を冷やかしながら歩くのが一番だなあ…と思わずにはいられない。
旦那と歩いても「あ、これ、かわい~~」が通じないと言うよりも歩くの嫌がるから。
京都の狭い道を車でそれも車幅のあるベン×で行くこと自体、終わっている。

著者は1976年生まれて私より若いんだけど…
この本に掲載されている品々の趣味がちょっと…
まあ、私とは趣味が違いますね、ってことで。
渋井真帆 訳

本書はレス・ギブリンなる人の著書を翻訳したもので、訳者は原文を読んで実践したから成功した、成功したら翻訳することを誓って…てなことで。

以下、15の習慣を列挙

1.人間は自分にしか興味がない、と知っておく
2.相手の事だけ話題にする
3.認められている、と相手に感じさせる
4.とにかく、同意する
5.聞き役に徹する
6.相手の求めているものを見つける
7.あなたの意見は「ある人の意見」として語る
8.「ノー」とは言わせない状況にする
9.会った瞬間に笑顔を向ける
10・一日に3人、褒め言葉をかける
11.相手のミスに、怒りで反応しない
12.「ありがとう」と声に出す
13.自分には価値がある、と信じる
14.5つのルールを守って話す
   ①話す内容をきちんと知っておく
   ②言いたいことを言ったら、すぐ終わる
   ③聞いている人の顔を見ながら話す
   ④聞き手が聞きたがっている事を話す
   ⑤演説をしようとしない
15.この習慣を実践する


う~~~ん。
なんとなくカフェに行ってみたくなったので借りました。
今住んでいるところはカフェどころか住宅地と言うことから普通の喫茶店すらどんどん姿を消して行ってます。
規制で店舗を造ることができないんですよね。
で、駅前まで出ることになるんですが、その駅前も…
「ゆっくり」「センスのいいインテリア」「おしゃれな」と言う言葉からほど遠い店が微妙に生き残っている程度。
それもなぜか老人が「指定席」のように居座り続けるという土地柄。スタ×的な店ですら老人がグループで座ってらっしゃる。ここは病院の待合ですか?状態。
若者は電車に乗って三宮まで出るのか??
私みたいなどっちつかずの年齢はどこでお茶をしたらいいのだろう??

で、本書をぱらぱらめくってみますと、やっぱり三宮、元町、神戸駅周辺の店しか当たり前ですが載って無くて。
載っている店って掲載媒体が変わっても大体同じ店。
いくら神戸といえどもやっぱり紹介するのは同じ店に結局はなってしまうのだろうか?

カフェ、始めてもやっぱり人が入らないのかな???

さて、各店舗の一押しとみられるランチプレートが写真で掲載されているのですが…
う~~~ん、例えばパン+サラダ+肉+ドリンクで大体1000円。これにケーキが付いたら1400~

少し不便な土地になると900円ぐらいで店によってはデザートがつくのが一般的。
…主婦の目から言わせてもらうと「これだけの量に1000円…高い」と言うか家で食べてる食事で1000円設けることができるのね、って感じ。
「なんで、これがこんなに高いの??」と怒りたくなるようなメニューも合って、ああ場所代、人件費ですか??としか言いようがない。
ちょっとボリュームあると1500円だもん。
主婦の皆さん、このようなものに「ランチ」と称してお喋りに興じてらっしゃるんですね。

カフェっぽいお皿にパンを乗せて、サラダとコーヒー付けたらはい、出来上がり!
家が一番さ!
なんか笑っているかのような表紙の写真。
写真家の旦那様が撮った写真に奥様が付けた文章。
これだけ大切にカワイがられている「サン」は幸せな犬。
廃墟本ではありません。(笑)
れっきとした人の血、人情が通った温泉ばかりが載ってます。
温泉ってこうやってみると社交場だったんですね。
大阪と京都では作りと言うかやっぱり考え方が違うから構造が違う。
とはいえ、京都の作りはゴージャスと言うか外観からして洋館風。大阪は…まあ、なんというか庶民的。

当時は何とも思わなかったけど自分の家の風呂のタイルがそれはそれはめんどくさいぐらい小さいのがはめ込まれていたり、大きなタイルは均等にきちんと整然と並んでいた。それって今から考えると相当な熟練を要するのだと。

「こんなタイルの風呂、古臭いわ!!!」とどれだけの人が古き良き昭和の文化を壊してしまったのだろう。
残念なことに、これまた今住んでいる所は銭湯なんか一つもない。
庶民の楽しみなんか一つも存在してない土地柄。
なんかつくづく人と関わり合いを持ちたくない土地だと感じてしまう。

高級住宅街とか何とか言ってるけど、所詮は田んぼや畑が点在していて農家が一番力を持っている土地柄だと。

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