題名からドロドロ系?と思っていたら意外とあっさり系。
しかも男性作家なのに妙に女性が魅力的に書かれている。
それは男性から見た理想の女性像が反映されている結果だろうか?
だから男性を描いている章は自分と重なるのかイマイチ。笑

Aクラスの女が一番好きかな
江戸しぐさとは
見ず知らずの赤の他人や、異文化とうまくやってゆくための予防医学的ノウハウなのです。
長い時間と叡智を傾けて洗練され「商人しぐさ」「繁盛しぐさ」、
つまり「江戸しぐさ」なっていきます。

江戸の共生は自立した人間同士が「互角に向き合える、互角に言い合える、
互角に付き合える」という感覚なのだそうです。



読んでいて「江戸」と言う時代が本当にうらやましいと思いました。
なぜ、これだけの細やかな他人に対する心遣いの文化が今ではきれいさっぱり
消失してしまったのかと思うと…

思いやり気遣いは無くなり、残ったのは自分さえよければ…のみ。
ただでさえイライラのストレスの多い現代こそここに掲載されているような
文化が残っていればもっと気持ちよく過ごせるものの。
要は年だけ取って、精神はどこまでも「子ども」へたすりゃ「稚児」状態な
現代の日本人。

特に印象深いのが「三脱の教え」
初対面の人に
「お歳は?
ご職業は?
お位は?」とこの三つの事は聞かない事です。
その理由は先入観でその人を色眼鏡で見ない為です。


「人を差別しない口のきき方をする」のが江戸しぐさなんだ。
男と女、肩書や年齢、お金のあるなしによって物の言い方を
ガラリと変えたりする人は井の中の蛙(井中っぺい)と
言われたんだ。

今は聞きますよね~~~~
なぜか「御主人は何をされているの?」ってやつも。
(某ハイソ幼稚園では旦那の職業によって、嫁がグループ化して固まるのだそう。あまりの幼さに笑ってしまう)
ハイソぶっている奥様方がどれだけ「いなかぺい(田舎ペイだと思っていました)」なのかわかって陰で笑ってやろう。

江戸の方が見知らぬ人に対して懐が深いというか、対等に付き合おうという
考え方があったという事は今は思いっきり「退化」しているってことですね。
日本人。

あと、有名な「傘傾げ」
これ、最近本当にする人少なくなった気がします。
堂々とどれだけ狭い道であっても自分が真ん中を通ることを主張しますね。
こちらだけが「傘傾げ」するのが心底馬鹿らしくなるほどに。
なので、最近一旦かしげた傘を通り過ぎる時にバッと相手の方に
傘を思いっきり振って やろうか!!って気になります。笑
傾げている相手に対して「すみません」的な態度を取らない奴には特に。

あと、狭路の坂道を自転車で下りてくるやつがいて、すれ違うまで立ち止まって
待っているのに「ありがとう」「すみません」と言って行く人の少ない事!
かなり前ですがその様に待っていたら男の子が珍しく「すみません」と
行って去って行ったので「今時、めずらしいな~」と振り返ったら
長男 だった…さすがや~
多分、次男は言わないだろうなあ~~笑

30代40代の子供を連れた母親が結構、そんな躾の無い人が多いように見受けられるので「ああ、やっぱり親がやっていないのに子供ができるわけない」と
日本の衰退は明らかですなあ~~
先日も狭路を子供に「一列になって歩きましょう」と注意も即さず
堂々と横並びの親子がいたのですれ違いざま、子供の顔を見たら
白人系ハーフ(母親は思いっきりもっさりした日本人)だったので
「このままちゃんと躾けられずに大人になったら「外人のくせに、マナーを知らん奴!」といじめられるだろうなあ…」と思ったほどでした。
道徳の時間にこの「江戸しぐさ」も勉強したらいいと思う。
この本なんてマンガだし。
さあ、借りよう!とカウンターに近づいたらこの本が「返却された本」の棚に
置いてあった。
正直、「この手の本はどうも…」と思っているものの小説でも一冊読んで「合わない」と思いつつももしかしたらこの本だけが合わないのかも…ととりあえず他書も読むようにしているのと同様に借りた。

本作、この手の本にしたら珍しく表紙は女優の坂井真紀である。
20年前にデビューして当時はボーイッシュかつナチュラルではあったものの
どこか生意気でわがままそうな印象があるのでこの手のいかにも「ナチュラル&リラックス」な服を着るような人には思えなかったのだが、月日は人を変える…
ってとこ?

しかし、女優が着ても「残念だ。太って見える。もっさりさん」の印象はぬぐえず。

で、パラパラめくって感じたのがじぶんがなぜ、この手の本に嫌悪感を抱くのか。
それは昔自分がイメージする「白いワンピに麦わら帽子の夏の美少女」とか
白いワンピに白いパラソルをさす美少女」が来ていそうなワンピを
どう見ても「デブでブスで」とは言わずともそれと大差ない人がもっさりと
重ね着して写っているのがどうも許せない。

例えて言うなら大好きなアニメキャラのコスプレをどこをどう突いても
「似てね~~~だろ!!」って人が着てさらに勘違い度は進んで
得意げにポーズをとっている…あんな感じ?
「俺の嫁を汚すな!!!」ってとこでしょうか?
倉庫に拉致して出てこれないようにしたいぐらい…

ワンピはワンピでそのままストン、と着てほしい。
スパッツとか邪道と思ってしまうのですが…

ところで最近ワンピとチェニックの違いが判りません。
私が着ると全てワンピですが…
彼女に振られたので思い切ってカップリングパーティに参加しました。
本書は成功するまでのその道のり!
って感じの本だとか、ゲットできた時の「テク」とかかな?と思ったのですが
要はパーティ業者の「太鼓持ち」本でした。

だって目を通した限り
「どこそこのパーティでこのような過程を経て、
知り合った女性と結婚しました」という一文が無い!

それが無かったら「なんだまるで参加したかのように書いてあるけど、
この業界からアピールするように頼まれた記事」じゃん!って感じ。

これと併せて「履歴書の書き方」と「必勝!面接法」もお読みください、って
感じでした。(書いてあることがそのまんま就活と重なるので…)
う~~~ん。
ただひたすらに「残念だ…」としか言いようのない一冊。
よくモデルさんが女優に転向して「声」があまりに残念な時ってありますよね?(カクチカコさんが自分的にはそうだった)
黙っていれば「美人」に思えるのに「声」を聞いた途端そのギャップと言うか…
こちらもニュアンス的にはそんな感じ。

文章の書き方がね、
「下町のおばさんが書きました」
って感想を抱かせる。
おばさんは「まし」で、たまにおっさん にすら変貌する時もあるし。

親しみやすくするために「だよね~~~~~~~」と言った表記を多用しているのかもしれないけど、それ、読み手としては
「頭わるいんじゃないか?」とか思ってしまう。

よく美容関係の文章って「私たちは常に美しさを保たねばなりません!!」って
感じで「上から目線」の文章を投げつけられ「けっ!えらそ~~に」って
反発心を持たされることが多々あるけれど、逆にこんな風に「ね~~」とか
言われちゃったらそれはそれで「説得力に欠ける」感があります。

もっと言えばこんな風に軽い言い回しをされると
「品が無い」「エレガントさに欠ける」印象がぬぐえない。
「美しさ」について書かれているのにその要素が無ければちょっと…
せっかく自分が試した「研究結果」が残念!って感じ。

他にもこの本、気づいただけでも誤字が2か所。
美しさについて書かれた本なのに、誤字が見つかるとそこだけ
「シミ」を見つけたような気分になる。
校正さん&編集さん、もっとしっかりして!!って感じ。




わざわざ「女」限定してまで分析&解析したいのか?って感じですが。
性別限定なしの「取説」も読みましたが、その後連日のように検索ワードで
訪問される方(複数及び個人限定)がいたのでうっとおしいのでそちらの分の
ブログは削除したのですが、これをアップしたらまた引っかかるのかなあ…って
感じです。

てか、連日検索しないと気が済まないほど、迷惑をかけられたんですかあなた?
って感じでしたね。あの、検索ワード一覧表を見る限り。

じゃ、簡単に説明してあげますとも。
B型男と結婚して銀婚式まで秒読み段階のA型の私が!!

ぶっちゃけ努力型A型以外のただの凡人でしかないその他大勢の数にもカウントされない雑魚キャラのA型が「天才型ひらめきのB型」に
逆立ちしたってかなうわけなが無い 、ですね。

理解しよう?ましてや「服従訓練」しよう?はあ??
む~~~~~~り、無理、無~~~~理。
時間の無駄!
(今なら流行りのセリフで「無駄、無駄、無駄!!!」ってノリですね。)

絶対君主に逆らえない平民のごとく、膝まづいている方が「楽」ですね。
実際、そんな関係ですから。
自分が上司だろうと同僚だろうと友人だろうと、乗りこなそうなんて思わずに
好き勝手させておく。放置!ただそれのみ!
相手は天才だから自分でどうにか解決しているし。

ただ、取扱いの注意点は「事務的ミスをする」事が多々あるので
そこをカバーすることだけ注意を払っておけばOK!
仕事はできる。ただ、実生活面での問題が多発する。ただ、それだけ。

例えば旦那。
忘れ物防止の為に、出勤前に持ち物検査をするのが我が家の習慣。
私「財布持った?」
旦「よし!」
私「携帯?」
旦「ある」
私「時計は?」
旦「ある」
私「弁当は?」
旦「持った!」
これが基本「点呼」

で、「行ってらっしゃい!(定刻まで家に帰ってくるな)」と機嫌よく送り出そうとしたらその瞬間

旦「あ、薬飲むの忘れた!」となる…

そうなるかあ…そう来るかあ…的な展開は「お約束」。
人の出鼻的なものをくじくの好きですね。
「普通は…」は期待してはいけません。

次に、
人の話を聞かない のも「お約束」

我が家のゴミステーションは駅に向かう方向にあるので
旦那の出勤時に私がごみ袋を持ってそこまで「同行」後、
お見送りをするのがお約束。
で、いつものように袋を持って玄関先で点呼をしたので旦那が玄関を開けると
雨が降っている。
引き返して傘を取り出すためにごそごそしている旦那に
「ゴミ捨てるつもりだったけど、雨、降っているから捨てといてくれる?
出来たらステーションの奥の方に置いてくれたら助かる」と。

で、再び向き合あって「行ってらっしゃい。これ、お願いね」と
袋を渡すと

あ?ゴミ、捨てに行くの? 」と。

今、たった今説明したでしょ!!!!!怒
昨日でも1時間前でも無く、今の今、説明したでしょ!!

「はあ?今、捨ててねって言ったんだけど…」

で、話はこれで終わらない。
別の時に「ホンマ、あんたって人の話聞かないよね~~
先日だって、今の今言った『ゴミ捨ててね~』ですら聞いてないし」と言ったら

「はあ?何のこと?ゴミの話って何? 」と。

そう、ゴミを捨てる話を聞いていないどころかゴミのエピソード自体が「いつの話?そんな話全く記憶に無いよ」と無かったことにされているのであった…

これは話を聞いていないというより単に「軽度認知症」の始まりなんじゃないだろうか?と慄いている次第。
まあ、それだけ自分に都合のいい話か自分の興味のある話にしか反応しないってことで。
後は、耳が付いていてもタダの飾りか?!ってことらしい。

相手が「わかった。わかった」と返事してもそれを鵜呑みにせず
陰ひなたで「チェック」し続けるのがA型の役目なんだと思う。

こういう場で「O」や「AB」が取りざたされないのは
「O」は自身が「あ、忘れた~~」ってポカが多いから気にしないし
「AB」は冷静に物事を見ているから、す~~っとBの行動が流せるんだと思う。

というわけで、どうしても「合わない」のなら「去れ」ばいいし
仕事でど~~しても顔を突き合わせないといけない場合は
「はいはい」と従う振りをして漏れが無いかチェックに徹した方が楽だと思う。

凡人は天才にかないませんから。
表紙の写真を見て「あむろちゃんみたいだなあ…」と思っていたら
やっぱり、あむろちゃんをメイクされている方でした。

こんなふんわりメイク、あこがれます。
(眉が濃すぎてできないんだよなあ…涙)
自衛隊を舞台にした話ならもう有川さんを他に置いてない!って感じですね。
『県庁おもてなし課』や本作など「この作家さんにお願いしたら間違いなく広報としての認知力が高まる!!」って他のマイナー業界から引っ張りだこになりそうですが。

正直、最後に収められた「あの日の松島」を読むまでは
「そうかあ…春と秋にTVでよくやる『警察24時』って実は警察の広報の
一環だったのか???」とか思いながら読んでました。
そういや、春秋の交通安全週間にひっかけたものなのかな?と。
(免許取って約20年。初めて切符切られた去年の4月。
あんな悔しい思いはもう二度としない様にしよう!!と再度誓うのであった…)
広報に金額換算する感覚って最もわかりやすいな、と。
そしていつもの有川節が炸裂するのかな?と展開を期待していたのだが。
ここまでの読書感想なら正直、☆3つ程度。けれど、

「あの日の松島」を読んで、自然と涙せずにいられない人は何人いるだろう?
これだけで☆5つに昇格。

自分たちの日ごろの生活は、臭いセリフで言えば
「大いなる、そして揺るぎない確固たる信念を持った、
いわば父性の愛」とでもいうもので守られている、と。

私がこの本を借りるのに136人待ち、私の後にも164人の人が待っている。
全員がいや、その半数でいいから最後に込められた
「ずっと見ています」
に泣いて欲しい。

p.s
『阪急電車』を読んでこの作家さん本に手を出し始めた人には
「面白くない」と思うので読まないで欲しいな。
あと、「あの日…」が入った作品とそれが入るまでとの話は完全に「トーン」
が違うので「お子様」にもあんまり読んでほしくないなあ…
自分が知らないことを少しでも「知ろう」とする積極的な姿勢の無い人間には
面白くないと思うよ。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130401-00000007-khks-l04
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130331-00000020-jnn-soci




どんなにスタイルのいい人が着ても、100%「もっさり」もしくは「残念な人」になる服の形。
この服のスタイルがいいように見えるのは、登場するモデルさんが
「デザイナー」「絵本作家」など普段から「色彩・配色・形・バランス」を熟知している職業の人たちだから成り立っており、これをただの素人さん特に
「ゆったりとしてるから好き」の感覚で着ちゃうとどこまでも残念な人になると思う。

昨日読んだ本の「着やせのポイント」をどこまでも無視!というより
適応しているコーディネートを見つけることが不可能。

むしろ「もっさりさん」にどこまでも近づく。
言い換えてみればこのスタイルが好きな人って「和服が似合う」体型の人なら
いいのかもしれない。
ずど~~~~~んとした体型を「こんな服を着ているからそう見えるだけ!」
と言い訳できるし。

細く見える。少しでも魅力的に見える。
と、世の女性の大半が求める物を一切「放棄」したかのように見えるこのスタイル。
潔い、と見るかただの「自分が好きだったら何してもかまわない」と周囲から冷たい視線を浴びても「ぜ~~んぜん平気。」な人なのか。

雑貨屋&服屋以外の職種で私服のOKのオフィスにこのスタイルで
出勤する人がもし同僚にいたら私なら間違いなく「頼むから時間内に仕事終わらせてね。残った分をこちらに回すのは絶対に止めてね」とお願いしたくなるような感じの「ぽわ~~~んとした」 明らかに知的には見えない顔立ちの
人が好んで着ているような気がしてならない。

せめて、背筋を伸ばしてさっさとリズミカルに歩いてくれるならまだしも
大体が「ずるだらぺたぺた」って擬音語表記されそうな歩き方で
狭い道を後ろの人が抜きにくそうにしていても一切関知せずにトロトロ歩く
あの感性をどうにかして欲しい。

って、私なんでこのスタイルを「目の敵」にしちゃうんだろう?
休日限定でこのスタイルなら許せるけど、普段からこのスタイルでモソモソ
歩かれたり、似たような口調で話されるといら~~~~~~っとする。
着やせ=目の錯覚 という事になります。

手首を出すか出さないか。
髪型も同じようなショートなのにもっさり見えるかスッキリ見えるか。
比較する図が載っているの一目瞭然!

シルエットの「キモ」は
Xライン
縦長ライン
ハイポイント

を取り入れるとスッキリ!

着やせポイントは
首&鎖骨の見えるネックライン
七分袖で手首見せ
ウエストシェイプのある服やXラインでウエストのくびれをアピール
ふくらはぎの隠れるミディアム丈で足首を見せる

描かれているイラストはまあ!何という事でしょう!!
「エレガントスタイルのそれではありませんか!!」でした。

マーメードスカートが意外と下半身をすっきり見せることのできるアイテム!
でも、歩きにくいんだけどねえ…

自分の欠点の一点だけを見ずに「全体を見る」!
バランスを見る!
目からうろこですわ!

しかも。
和服ナイスバディは
「首長OK なで肩OK 
 鳩胸NG 腰のくびれNG
 出っ尻NG 内股」  という条件に対して

洋服ナイスバディは
「首よりも肩重視
鳩胸 OK 
腰のくびれ OK
出っ尻 OK
外股」         と言うことで

今まで自分の欠点だった「出尻」はイコール「洋服が似合う体型」ってこと!!

着物を着る時にタオルで補正しまくられたことを考えたら
「そうか!似合う洋服さえ見つかればいいんだ!
私の体型は洋服が似合う、それなんだ!!」と思考転換。

春からハッピー&ラッキー

スピリチュアルとくぎ打ってますが、オーラ系ではなく、
体と色の関係を取り上げ「チャクラ」の色と部位を上げているタイプ。

むしろ「配色例」を挙げているので服の組み合わせ等に参考になるかと。
「デザインイメージ」も挙げているからポスター等を作る参考にも。

というわけで、正直一体何をターゲットに作成した本かイマイチ不明。

2007年発行当時はTV等で「スピリチュアル」と言う言葉が流行っていたので
売るためには枕詞として使用したのか??????
オーラソーマの本でもなく、パーソナルカラーでもなくカラーセラピーが若干かな????????程度。
むしろデザインを勉強している人には役に立つかも。

超中途半端な内容
カラーパーソナルではなく色の持つ力を利用しましょう、タイプ。
恋愛に効果のある色などが取り上げられているので、彼氏が欲しいとか
結婚したいと思っている人は一読して色を味方につけるべき。

色の力を味方にする、と言っても「似合わない色」をチョイスしない為にも
お金を払ってでもカラーパーソナルを受けて、自分の色を分かった上で
さらに色のパワーを持つ方が「近道」だと思います。

お金も時間もかけずに何かを得ようなんていけずうずうしい。

昨日自分の身の上に起こった事も踏まえてちょっとチラ裏。
「彼氏が欲しい」と言いつつ、結婚式に「黒」を着てくるなんてどうよ?!と
思う。しかも「黒なら無難だし、アクセサリー次第で普段着に…」なんて
言っているヤツに男が出来るもんか!できたとしても、それなりのレベル。
それ以上に「結婚式にも葬式にも使いまわせるし…」レベルは最低。
その男と付き合っても、貧乏&非常識は覚悟しやがれ!

十人並み、もしくはそれ以下の女の集団で少しでも「いい条件」の相手を
見つけようと思ったら3万の祝儀以上の男をゲットするためにも
自分に似合う服を着て、頭一つ飛び出る努力&工夫ぐらいしやがれ。
人と同じ黒、しかも黒ほど似合う人を選ぶ色は無いってのに…

それにしても「彼氏欲しい」だけじゃなく「お金欲しい」って言っている割に
な~~~~~~ンの努力もしない人が多数いるのってどうよ?と思う。
色の力なんて「誰でも知っている事」だと思うのに、
「自己啓発本」や「ビジネス本」も何一つ読みもせずに
口だけ「ほし~」って言うのかな?
なんでそんなに努力も時間もお金もかけずに「言うだけ」でどうにかなるって
思うのかな?
情報収集力も無いのに、勝てるわけないでしょ!

こんな自分から何もしない人と付き合っている事こそが「時間の無駄」って思う。

と、チラ裏しました。失礼しました。
たった7行のあらすじしかない状態から2つも話を紡ぎだすって…
作家って本当に「感性豊か」な人なんでしょうね…
北島マヤが一つのお題で色々なショートドラマを演じて「恐ろしい子」
扱いされるように。(違)
ただその一方で一つ間違えると、現世では生活しにくい人になる。
まだ、子供がいて学校に行って世間と接触があればまだしも、
未婚、子無しタイプになるとどうにもこうにも…
マヤが身近にいたら周囲、本当にしんどいと思いませんか?

あ、本作は普通に良かったですよ。はい、普通に。重みも深みもなく。

一作目は若干構成にもたつきがあるというか、同じような描写があったでの
しつこいなと言うかスムーズ感に欠けるな、とは思ったけど。
でも、編集部の担当さんがゲラでチェック入れなかったから問題ないんでしょうね。
一作目はどっちかって言うと編集部の内部事情描写もある感じ。
作家と担当がお互いに協力し合って一冊を仕上げて世に出す。
作家が偏屈にこだわりを持ったら、うま~~くリードして修正させて世に出す。
めんどくさい時はそのまま雑誌掲載して、ハード本の時に修正させたらいい。
ああ、だから描き下ろしは駄作が連発するんだな

2作ともどっちがいいとは言わないけど、
2作目はちょっと軽い感じ。ありきたりというか。
1作目は複雑構成。だけど、もたつき、下手したら文章力でごまかされているのかもしれないけど案外「無理」があるような感じ。
(推理物でトリックに無理があるのをいかにもっぽく書いてごまかす感じ)


パーソナルカラーの関連本。
貴女は何色、的な基礎はもう別の本で紹介済みなのでこの本では
「どうして似合う服を着るのか」と言う具体的な例と似合う服を見つける為の
やり方などどちらかと言えば「著者の考え」がメイン。

自分に合わない服を着ていることを著者は
ファッションの「ゆがみ」

と表現しています。
その「歪み矯正」の根本に挙げられたのが
母親の影響が7割以上! との事。
めちゃくちゃ、共感できるので長いけど引用。
クローゼットの中に似合っている色に偏っているのなら、
特に問題はありません。
偏りがある場合、これらのケースのほとんどが似合う、似合わないに係らず
「それしか選べない」
結果です。
その原因として、私は母親の影響が大きいと思っています。
歪みの原因を探っていくと、最終的に母親との関係に起因するお客様が
7割以上です。
幼い頃、
「あなたにはこの色が似合うから」
「あなたはお姉ちゃんなんだから」
と母親に言われた言葉は、その後も娘にとって想像以上の影響力をもたらしています。


どう影響するかは2パターンあって、お母さんが大好き、と言う人は、
母親が選んでくれるような色、形の服、ほめてくれるような服が選び方の基準になっています。お母さんに喜んでもらえるから、ですね。

反対に母親とうまく行っていない、母親の権限が強すぎる人の場合、
子どもの頃、着たいのに着られなかった服を無意識に選んだり、
母親が選んだ色のイメージで見られたくなかった反抗心から、
全く反対の色をかたくなに選ぶようになります。

「自分らしさ」と思っている物は実は周囲の人、母親、姉妹、過去の彼氏などに
「あなたはこう」とイメージを決められた「刷り込み」の偶像かもしれません。



めちゃわかるわ~~
私が服選びを「楽しい」と思わずに「苦痛&難しい」と思うのも「選び方がわからない」もしくは「着たい服が有っても買ってもらえないし、着れない」から
もう何でもいいや~って感じで今まで来たから。
「どうせ、買ってもらえないんでしょ。自分で買っても後で文句言われるし~」って感じで。
それがやっと結婚して自分で選べるようになったけど、正月とかに着て行ったら開口一番「似合わない」と言われるし。
子どもが小さい時は「安い服」に特化していたし。
自分で着たい、値段を妥協せずに買える服を手にしたのはやっぱりパート等に行きだしたあの頃だけ。(自分の収入で心置きなく買えたので)
今また無職生活だからユニ黒などほどほどの服で過ごしている。

後半にクローゼットの見直し方法が書かれてます。
一週間着まわせる服を数点だけ残して、後は処分する。
そしてスッキリしたクローゼットに「似合う服」だけを考慮して数点ずつ追加。
服の断捨離方法とでもいうのでしょうか?
ただ、捨てるのではなく、自分の「歪み」を再チェックしながら処分する方法が乗ってます。

これ、実行したらもう服なんて残らない。
ただでさえ、自分が「好き」とか「気に入った」様な「気が入った」服なんて存在していないから。心置きなく処分できる根本はこれなんでしょうねえ…

毎週のようにチラシが入るユニ黒。
特売品だけ買って、それに合わせるトップスを定価で買うなんて「来週、もし、特価品で出たら悔しいし…(千円も安くなるなんて許せませんな!)」と買い控えてそのままコーディネートしきれずに終わる服も結構あるし。
このパターン、最悪かも。

あと、たまにしか服を買いに行かないのもダメ。
目を肥やしておかないと、自分の「似合う」に出会う確率が低くなる。
私なんて外出しないから出たらつい「せっかく出たのに…」と買ってしまう傾向が大なだけに。

まずは、色、形、すべてがあなたにピッタリなそれ一枚で
輝ける「なじむ色」の一着を探してください。


晴れた日に一度朝からじっくり服をひっくり返して総点検して見ましょうか。
どこか懐かしく、端正な文章。
わざと漢字表記を止め、ひらがな表記にすることにより柔らかさを感じる文体。
ラノベ慣れした人間には違和感すらある言い回し。
ぼんやりとした午睡を誘発する様なトーン。
格調高い、おっとりとした雰囲気。

で、何も起こらず、何が言いたいのかわからずにフィニッシュ。

芥川賞を受賞するポイントはなんですか?

誰かの夏休みの思い出日記を読んだような気になる。
意味が解らないしちっとも面白くないから、芥川賞受賞作品なんだろうなあ…
教科書に載ってこれを解明しろ、って言われたら苦痛…

オムニバス形式の短編集

「女性作家」に戻ってしまった。笑
登場人物は今まで読んだ作品で書かれた人と似ている。総出演?
ただ、今までこだわってきた「マイノリティ」や「普通って何?」「人と同じじゃないとだめなの?」的な攻撃的、疑問、あせり、あがき…と言った悩みが封印され(多分、作者の中で昇華されたんでしょうね…)至って普通=どこにでもある短編小説になってしまった。
個性を封印したら、そう、こんな風に角が取れ、普通、どれを見ても同じって事になる。
本を閉じたら今までどんな本を読んでいたかその内容さえ忘れるほど、普通に。

その中で最後の一遍『どこかで誰かに』は読み終わった後「やられた」感がありました。
最後の最後にこれを読んだらもう一度、この回だけは読み返すことになると思う。

その一方でこの本のP232で
桜田君の歓迎会以来よね。
と言う文章
君の誤植では?

こんな風に「事務」って失敗しても「誰も死ぬ」仕事じゃないのが大半。
名前が違っていても読者はそのまま気にせず読み進める。
本文でも他書でも「事務なんんて、誰でもできるし、座っているだけの仕事でしょ」的な記述が多数みられた。
事務は「間違い探し」に似ている。二枚の絵を比べてその些細な「違い」を見つける、「ン??あれ?どこか変」。
このちょっとした引っ掛かり、こだわりを「知識と経験」と言う言葉に置き換えるんじゃないのかな?
本来よどみなく流れている川の水が、異物に引っかかたり、逆流していたり。
それをいち早く見つける為に神経を使う仕事。
「ん?」が無かったために、書類がどんどん流れて後で大事故に繋がることがあるけだけど。責任を問うような仕事を派遣や新人に任せる方がどうかと思うんだけどな、と思わないでもないけどやっている本人がやっぱり責任を持って処理するって言う気構えを持てるようにして欲しいな、と思う。
って、感想と全く違う流れになってしまった。


普通でいる事、大多数でいる事って本当に「楽」。
責任を感じなくて、済むから。
題名通り、学校の男性教諭が主人公の話。
とはいっても『金×先生』や『GT×』の様に熱く生徒と接するタイプじゃなくすべてに渡って「めんどくせ~~~な~~」が口癖のタイプ。
自分では上手く世渡っている、と思っていたのにベテラン先生から「もう少しこの仕事に熱くなってもらっても…」と苦言を呈される始末。

ところで、今回は男性が主人公だった為、全編男性視点&口調の文体で構成されている、当たり前だけど。
けれど、こちらの方が断然良かった
今まで表紙のイラストや名前だけで「女性作家」と思っていたけどもしかして
「男性作家」かな?とも。
もしかしたら「両方の性を持つ人」なのかも。

そういった意味では本作でも「普通でいる事」や「セクシャルマイノリティ」について触れた部分があるので。
相当、この作家さんこのテーマが根底にあるのかな?とか。

とにかく、本作では「普段からこんな思考を持ち、こんな口調で喋っている」と言うほど自然で違和感の無さ、と言うよりそれが「素」なのかなと言う位スラスラと読めるほど自然な文体だった。

今までのは無理に少女漫画を描いていたので、女性心理や行動に不自然な態度が見られて違和感があったのに、こちらでは少年漫画を描いているから、無理なく何も加工せずに描けました、ってぐらいに感じた。

これからはこちらの路線でよろしく、って感じですが。
もう、感想書くのもめんどいな、って感じ。
なので、テキトーに。

2対2の男女の結婚観、恋愛感の話、であれば、どこにでも転がっているテーマ。
ただ、マイノリティである「同性愛」が扱われているので重いというかやっかい。
結論としては「ま、当事者がそれでいいと思ったらそれでいいんでないかい」って感じ。当方、恋愛は異性としかしたことないので同性との経験が無いので何も語れないし、語る気にもならず。
けれど、世間はそれが「普通」なのではなだろうか?
作者は文中もしくは他書においても「大多数がいいの?普通って何?」的な考えをお持ちである。
日本は民主主義である。数が全てを決めるのである。多い方が強いのである。
長いものには巻かれざるを得ない。要はあきらめも覚えねば自分が傷つく。
そんな「過去」に捨てた「諦め」をいまさら提示されてもな、って感じ。

なんか、喧嘩売られたような気持になったんだよな…

読書感想はさておき、本文で気になった点を列挙。
まず、主人公の一人である「朋美」の性格の「激変ぶり」が不可解。
29歳の女の設定なのに、まるで22歳前後の幼稚ぶりキャラにしか思えない言動がなぜか後半一気に大人の女性的な知的&冷静さを持つ描写になった点。
この「変化」についてもっと記述しないと、どうしても違和感大。
この箇所を丸々「落とした」かのような感じ。
ママのスカートのすそを握って後ろからこっそり上目づかいにこっそりのぞいているかの幼女がいきなりおっかさん的な堂々とした態度になるのだから。
他の3人にしても読んでいて全く人物像がイメージできない、と言うより
コロコロ性格が激変しすぎて一人の人物とは思えないような感じ。
貴人なんてもう完全に「逝っちゃっている人」。
こんな「逝っちゃってる」人と朋美を今後選ぶのかな?
まあ、選ぶのも別れるのも個人の意思だから部外者は何も言えないし、
言ったら言ったで「個人の自由でしょ!」と怒られるんだろうな…

登場人物各自に語らせる手法がメインだけれど、一度一人の人の視点からじっくりと物事を見据える書き方にしてもらえませんかね?
確かに各自の立場で各自の意見を聞くのは全体が見えていい反面、オチがしっくりこないと部外者は「で、何が言いたかったわけ?」となるので。
なぜその人がその心境に至ったのかをじっくりと辿りたいと思った。
彼と別れた翌日に高校生の時付き合っていた男と、これまた高校時代親友と思っていた女が結婚すると招待状を送ってきた…

ま、へこんだ上にさらにへこむよな、この状況。
ただし、元彼とは大学が別々になった後、しょうもない事で喧嘩してそのままフェードアウトし、10年近くこの招待状が届くまで「鼻くそ」ほどにも思い出さなかった存在だし、親友とも「連絡するね…」と言っておきながらそのまま放置した関係なのになぜか「落ち込む」のはなぜなんですかね?
元彼に「好きな奴が出来た」とか何とか言われてこちらが好きな状態で別れたのならまだしも、で、まだ好きなのに招待状なんて…「行くわけないでしょ!」と
速攻「欠席」に印を付けて返信するわけでもなく。
高校当時に仲良かったメンバーから連絡を受けて「なにかプレゼントする?」なんて心温まる申し出 を素直に受ける主人公…
って、全然好きじゃないな、この主人公の女!怒

てか、存在すら忘れている高校時代の男の事をまだ引きずっているのか?お前は!!!って感じ。
それより、最近別れた男との仲を修復するのならまだしも。
この男とも「なんとなく別れを予感していた」間柄だし。
過去から学習しない女だな、お前は!!の二乗。

で、散々(まあ、本一冊丸々)高校時代の思い出をなぞって「私は元彼が好きだった&親友も」とわけわかんないオチ。
あんた、27さいにもなって「何かイベント」が無い限り自分の思いを整理することもできんのか!怒 
このパターンは『はるがいったら』でも周到済みですが。

この作家さん、どうもパターンが決まっているらしい…

高校時代の思い出をあれこれ思いめぐらすより、最近別れた男とはどうで、自分の何かがいけなかったのかを考える方が有益だと思うんだが。

高校時代が楽しかった、っていう話を書くならもう少し違うアプローチがあっても良かったのでは?
この作家さん、どうも「無駄」なエピソードを入れ過ぎ。
作者が書いた部分と本来書くべきところがびみょ~~~~にずれている気がするので読後感がすっきりしない。

独身の20代の子なら「うんうん」なんて共感できるのかもしれないけど。

そもそも招待状を受け取った時点で
自分はどうしたい って判断を即座に下せないようだと、
今後運がいい女 にはなれない。
チャンスの女神の前髪を掴むか掴めないかは、一瞬の判断力。

とりあえず「出席」に丸をして、プレゼントを選ぶ間に「私は本当は祝なくないんだ」なんて寝ぼけた事を言うな!失礼だ。

それよりも招待状を送ってきた二人の「常識」をも疑う。
送った相手に中には主人公のほかにも元親友の元彼までいるという…
しかも「オチ」的には「二人も高校時代のことを大切に思っていたのであった」…にしてはこのやり方はどうよ?
「大切」なんであったら「元」とはいえ付き合っていた相手を招待するか?
むしろ「高校時代から彼のことが好きだったのよ」と開き直る方がいっそすがすがしいと私なら思うけどな。
大切な高校時代の思い出と思うのなら余計に共通の友達を招待するのではなくひっそりと式を挙げるべきでは?

旦那の知り合いでもA男とB子は中学からの付き合いで結婚するだろうと思われていたのに、A男と結婚したのはC子。
そう、お約束の様にB子とC子は友達でした。
共通の友達だっているのに。
旦那ですら「A男とC子が結婚なんて、どんだけ
不義理やねん!!!!」怒。
って感じで、さすがにA男君はこの小説の元彼&元親友のカップルとは違い「ひっそりと」結婚をしたのである。
まあ「どの面下げて、そいつと結婚するねん」ですもん。
これがZ美と言う全く面識のない女性ならありだけどね。

それぐらい「昔の関係を知った人間同士」が結婚するのって
色々なことを考えた上じゃないとだめだと思う。

所詮「きれいごと」を書いた小説、って感じ。
設定自体が「ありえね~」って思う。

むしろ、主人公が元親友に向かって、
「ねえ、あんた
私のお古が良かったのね。 これって、どう言うんだろ?
ホールブラザーズならぬ
ホールシスターズ?
きゃは!」
ぐらいの毒を吐けないとダメね。

さらに怖いのは、この本を読んだ子が「感動した」的な事を書くこと。
「不義理ですよ。常識のない事をしているんですよ!」と私がリアルで怒ったとしよう。
すると「涼女さん、今時10年前の事なんですから時効ですよ」とあっさり今時風に軽~~く返すと思う。
じゃ、その「軽~~い感覚」をお持ちの世代のはずの主人公がここまで「凹む」理由は何?  だから余計に不成立です。この話、ってなる。
むしろ凹まずに上に書いた「毒」を吐いて「出席すっか~」のノリの方があり得る。
この作者さん、意図的かもしれないけど「悪者を出さない様に」している気がする。本来「悪者」がいないとおかしい図にいないからそこからひずみを感じて違和感が出まくった挙句、こうやってしつこく攻撃文を書く読者が出てくる。
「自分はいい子。嫌われたくない」と主人公に設定しているように、作者自身もそうやって生きてきたんだろうなあ…

嫌われること、傷つくことなしに生きていくなんてそんな甘えた根性でどうするんだ?イラッとするわ!!怒

題名を表紙のイラストと連想して
「はる(犬の名前)が逝ったら」か
「春が行ったら(過ぎたら)」位の話かな???と思いながら読む。

園(その)と行(ゆき)と言う姉弟の話。
だからどうよ?って感じ。
まあ、青春だからこんなもんでいいのかな?

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