さっそく借りてきました。
が、だんだん飽きてきて次第に「この人は何歳だ?」と言うゲームに変更。笑
40代は40代で2~3歳の差はあっても当たるし、ごめんね。50代の人はやっぱり50代にしか見えなかった。←当てました。

中には「カットだけで…」と言う人もいてできるなら私もカットのみで形が決まるヘアスタイルにして欲しい。
けど、これは雑誌だからそれができるのであって現実だとカットだけだと単価が安くて売り上げにならないから「トリートメントは?」「パーマをかけておくと扱いが楽ですよ」とカット+αを勧めてくる。
基本思うのは「あんたたち、本当はカット下手なんじゃないの?パーマ等でごまかしてるんじゃないの?」と。
カットだけで済んだらやれ「リタッチ」だとかこまめに行かなくて済むと思うんだけどなあ…
ブックおふで105円になっていたのと「月猫占い」と聞いたこともない占いだったので買ってしまった。

後悔

こんなに内容が薄いとは…
しかも当たっていないし…
大体占いの本って自分では当たっていない気がすることが多いので男三人衆の個所を読んでみて当たっているかどうか判断するのですが、これもまた見事3人とも「違う…」と。

買うんじゃなかった。
105円でも惜しい。

ちなみに私に該当するのが
行動を起こす前にウオーミングアップの時間が無いと思うように頑張れません。
「まずはお茶を一杯」が口癖。


誰やねん!誰が「茶飲んでから仕事するねん!」逆やろ!
むしろ茶ばっかり飲んで仕事しない正職員が多数生息しているからその隙間を縫って短期のバイトとかゲットしていたのは誰やねん?!って感じ。

「茶、飲む暇があったら仕事せえよ!!仕事してから茶あ飲めよ!!」って
飲んでる同期とかをどついているのが私やと思うけど。
「お前らがちゃあばっかり飲んでるから、そのしわ寄せが私に来るからしんどくなって辞めるんやろ」と過去を思い出す羽目に。

ああ、やだやだ。

正直、めっちゃ重たい内容でげんなり。
このままダークトーンで進むのか…救いはあるのか…と不安な気持ちで読み進めた一冊。
ネタバレさせると「希望」はかすかに残る終わり方。
でないと、ちょっと苦しすぎ。

親が子供を想う気持ちって一つ間違えると子供をダメにしちゃうんだよなあ…
かまいすぎてもダメで構わなさ過ぎてもだめで。
むしろ他人の方が適度な距離で救ってくれる。
確かドラマ化し映画化もしたと思ったのだけれど…
なんだこれ、陳腐すぎてイライラしっぱなし。
先が読める(読めてしまいすぎ)の展開。
心理描写が無さすぎて、共感せず。
精神年齢低すぎ=自分の事しか考えていない登場人物ばかり。
20年前に大量に作られた内館牧子のドラマにそっくり…
(男が死んで、女が妊娠して残される…てのありましたね。)


今時、長野でオーベルジュって…
ペンションが潰れまくっている時代にですよ…
なんで20年も男日照りの女が次々モテだすか…
書いていて辛くなかったですか?あまりの設定提示で。
思いっきりベタなタイトルに魅かれたあなた!
離婚されないためにもしっかり熟読しましょう!笑

と言う冗談はさておき、夫婦と言うものは結婚して子供が出来ちゃうと自然と役割が当てはめられるようになり、妻はお母さんにそして夫は父親ではなく
長男 」へと変貌し関係も疑似母子関係 に。

そういえ今日みたいな休日、公園なんぞに行きましたらお母さんであるところの妻に「(弟妹である)子供たちを公園に連れて行って」とお手伝いを指示され、
「本当はゲームしたいのに…」と内心思いつつも「お母さん」に言われたら従うしかないと言った風情の所在無げなぼんやり顔の「おにいさん」達がいるのを見かけます。あれ、正直、イラッとするんだけどね。
表情、態度から「××君、だめだよ」と遠慮しいしい感がど~~んと漂った、どう接していいか僕わかんない状態の兄たち。
イクメンにみられる「自発的に子供と一緒にいます」オーラナッシングの情けなさ100%の男=兄たち。
会社でも仕事できないんだろうなあ… 」自分から仕事を見つけて切り開いていくタイプじゃないんだろうなあ…と嫌でも感じさせる奴らが。
デパートでも妻じゃなくお母さんに引き連れられて弟&妹を抱っこする係を任命されてお母さんの指示ひとつであっち行ったり、こっち行ったりと「邪魔!」の一言で片付けそうになるぐらい判断能力の無いお兄さんたちの多い事よ。

そんな夫や父親ではなく「妻の長男」を演じて数年。子供も巣立ち、退職した時に「長男」の役をどうすればいいのか、妻はすでに「お母さん」役を降りているのにその差がひずみを生むのだそうだ。

分析の項目において私が日頃思っていることが書かれている。
夫側にしてみると「自分はよその女に色目を使ったりしない真面目な男で、それのどこが悪いのか」となるわけですが、人間はアンビバレンツな動物ですから、妻にしてみれば夫が浮気をしてくれないでくれるのは嬉しいけど、浮気すらできない夫はもっと悲しいし魅力を感じない、という事になるのです。

矛盾しているけど、まさに本音はその通り!

他の女に全く持てない情けない男と結婚したのか自分は…と思うと自分はそんなしょうもない男と一緒にいるのか、と自分の選んだ品がB級品の様に思われる反面、じゃ、浮気されたら今度は自分の価値が女として低いのか…とみじめになる。と、説明できない感情があるわけで。
たまに思いませんか?人の旦那さん見て「ま~よくこんなしょうもない、男と一緒にいられるなあ~。これやったら旦那の方がマシやな。」と思うような場面。

でも、美容院のチラシを配っている時に自分に配ってもらえなったら内心ムッとしたりもするんですけどね。笑
ああ、やっぱり普段から身だしなみを整えておこう!
実年齢より+10、つまり10年後までにどのような事を気を付けて過ごしたらいいのかを知っておく為に同時借。

美容に関しては45歳とほぼ同じ内容。
子供の手も離れている人が多い年齢でもあるので、少し高めの化粧品を使うことは未来の自分に対する「投資」と考える。

50代にさらに追加される項目は「髪」。
肌同様劣化していくのでお手入れには気を使い、できることなら月一回美容院に行くことを提唱。顔に影ができると老けて見えるので、この年齢だとショートカットもしくはシニヨンヘアを。
そして「茶髪」ではなく「栗色」に染めること。
茶色と言うのはぼやけて見えるのでただでさえ落ち気味のぼんやり顔をさらにぼんやりさせてしまうのだとか。

実は今月パーマをかけたので来月10数年ぶりにカラーをしてみようかな、と思っていたのでどうしようかな?
40過ぎても顔がきつく見えるから茶色で薄めたかったんだけどなあ…
もしかしたら自分ではきつく見えると思っているだけで、実はしっかり垂れてぼやけているのかもしれないけど。笑

50代にもなれば不幸の場に出ることも多いので、急な場合に「髪がこれだと…」とあわてないように日頃から「きちんと感」のある生活を心がけないといけないのだとか。
確かにそうかもしれないなあ…
2年ぐらい前に同じ本を読んだ時は「自分はまだ45歳ではない」と言う意識だったせいか真剣に読んでいなかったような…

今回はジャストの年齢だけにまじめに。
ちなみに佐伯さん、旦那さんが40歳の時に倒れて看病後、45歳の時にゲランに再就職なさったとか。
45歳でもまだ仕事に就けるんだなあ…とうらやましいような。
先日も求人の広告を見て私が「週一回のがある」と言ったら旦那が
「行かんでよろしい。家に居てください」と言われ「ラッキー」と思ったけど
もしかしてこれは自分の人生の選択肢を一つ失ったのかもしれない、と思ったり。45歳なんて人生これからまだまだ~!って感じで佐伯さんが書いているから特に。
すんません。怠け者で。

ここでも化粧水について書かれていたのが
一方年齢を重ねてきた肌は様々なトラブルを引き起こしやすいのが現実。

そうした場合、娘がドラッグストアで買ってきた980円の化粧水やクリームではどうしても補いきれない部分が出てくる。

あなた自身の為に少し贅沢だと思っても揃えていただきたいと思うのです。


すみません。
やっぱり、千円以上する化粧水しか40代の肌には許してもらえませんか?

ちなみに佐伯さんは当然ですが「ゲラン」をお勧め。
クレンジングだけでも9種類もあるとか…

わかるけど、デパートコスメってデパートに行くための服もいるし…
カウンターのお姉さんに気後れするんだよなあ…
ハードル高いわ!


最近メディアによく登場されている皮膚科医。
私も別の本でレビュー書いてました。
医者がこの手の本を書くことで受け取る側がメリットがあるのは美容ライターや化粧品会社の人間が書いたものはやっぱり自社製品等を「ピーアール」することが目的の為効果が無くてもさもあるかのように書くのに対して、中立な事。
これがまた男性医が書いたらミニ医学書?って思うようなかた~~い文面とイラストで構成されて読む気しね~~ってことになるのに対して、女医さんが書いている分女性が知りたい事をピンポイントで書いてくれているし、さらに風水かスピリチュアルかのように錯覚するイラストが多分好感度を上げているな、と。
このイラストで成功している例かと。(親しみやすさ、手に取りやすさ)

先日このままオルビ×の化粧水3000円台を使ったものか、ドラッグコスメの1000円弱のを使ったものか?と悩みましたがこの本では
美容液は「セラミド2」など数字が書かれているものは本物です。
価格は3000円以上を目安に。

とのこと。
ちなみに化粧水で保湿は 間違いとのこと。
肌のうるおいに必要なのは水分ではなく、
水分と結合して蒸発を防ぐ「保湿成分」。
その代表がセラミドです。
水がメインである化粧水には保湿成分があまり含まれていません。


とのことで、化粧水は何を使ってもOKで「美容液」にこそお金をかけるべきなのね。

ということで、医者の立場から「このメーカーのこの製品がいい!」とは書けないのでしょうが、やっぱりこちらとしては「AメーカーのBと言う商品にはビタミンC誘導体」が入ってます、的な成分分析された物が掲載されていたらもっと嬉しいんだけどなあ…

☆☆☆     ☆☆☆       ☆☆☆     ☆☆☆  

ところで17日に地震の夢を見た、と書きました。
大体母親が夢に出てくると、現実にも電話がかかったり、うちに来たり…とあまりうれしくない事が起こるのですが、17日当日ではなくさっき電話がありました。しかも、
 私の幼児期の絵が出てきたので自分では処分できないから、
一度来てみて欲しい
だって。笑
私の予知夢能力は50%ぐらい????笑

捨てて頂戴!!

もっと画期的もしくは具体的な例が書いてあるのかと期待したのに、
すでに知っている当たり前の事しか書かれてい無くて超残念。
書かれていることをしていても痩せない人はどうすりゃいいんだ?


これでいくと、間食を防ぐためには夕食を午後5時に食べないと私は持たない…
「本文内容よりあとがきが(常識がなさ過ぎて)面白い!」と評価した作家さんの作品。
今回もやってくれちゃってます。ありがとう、愉しめましたよ。
今回の作品は作者曰く
象の墓場=未完もしくは世に出していない作品が引き出しに眠っている
その引出しから発掘した作品が3篇。そして最近書いたもので前回の続きにあたるものが収録されています。

古き時代の作品をそのまま出すには問題なので自分で読み返し、担当に渡した。
つまりありがたい事に、ちゃんと面白く読めたのです。
さらに
それにしてもーテーマやキャラクターはもちろん、小道具の使い方まで今の私が書くものとさして変わらないのには、苦笑しつつ、なるほどと納得しました。人間そう変わるものではないのでしょうね。

けれど実はちゃんと面白かったということが、自分でも多少複雑で、つまり今とは技術的に変わってないんじゃないかとか、長く書いてきた割には、全然うまくなってないんじゃないかとか、微妙に滅入ったりもしました。
で、そんな話を担当編集者の一人のH氏にはなしたところ、

「それはつまり、村山さんの才能は若くして完成していたという事ですよ!」と明るく言ってくれました。
「そうかなあ。とにかく昔と全然変わってなくて、作家として進歩も進化もしていないなあとか思っちゃって…」
「時代の方が村山さんに追いついたってことですよ!」
「あ、そうか。そうなんだ!」
「そうですよ!」





あほか…呆


この人、子供どころか結婚もしてない人かも。
児童作家にしてはあまりにも「今」の子供の現状を知らなさすぎでは?
今時、学校で自分の事を
「私、かわいいでしょ」「私、べんきょうできるの」「私、文章書くの上手なの」なんて口に出して言ったが最後明日からたのし~~「シカト」人生まっしぐら!!!!!おめでと~~~~~!!!
今はただひたすら頭を低くして目立たず、他人と足並みをそろえて「私、普通よ」をアピってナンボ。そのことに気を使いすぎて子供は疲れているの。
人間関係に疲れているの。あなた書く今回の子供の様に直接的ないじめで歩けなくなるとかじゃなくてただ単に「親の代わりに頑張ろうとして頑張りすぎて疲れた」なんて通じないの。

また、子供が浮く原因としてやっぱり母親の行動&性格も反映してくるの。
母親が「うちの子はよくできて~~」なんて堂々と発言したらその場にいたお母さんたちは顔は笑顔でも心中般若になってるって。笑
そしてあっという間に「あのお母さんって…」と一気に情報は伝わって、親子ともどもびみょ~~な位置に立たされるのに。
だから付き合いたくもないママ友関係から一刻も離脱したくてパートとかに逃げる人多数。(パート先でも似たような上下関係に疲れるんだけど)

ちなみに次男が「その本、おもしろい?」と聞いたから
「これはまだましだけど『竜宮』の方は、クソ。あんた世代だったら読めるかもよ?」と貸したら、数ページ読む間もものすごい罵詈雑言。笑
さすが毒男。
「なにこれ?全然テンポ悪いし、「~た」の多用しすぎ。方向性がちっともわからん!」と放棄いたしました。

ラノベにしたら文章はうまい。けれどラノベのようなテンポの良さも無ければストーリがあるわけでもなく。児童文学にしたら中途半端のご都合主義でレベルが低い。どっちつかずの作品。チョイ昔だったら「ティーンズ文庫」で活躍できたかも。(花井愛子の時代)
文章はうまいが、内容は全くなし。あとがきは自画自賛の嵐。
頭の中、お花畑でうらやましいですな。
(1963年生まれだとか…)
元々1994年に発行された児童書を改題加筆にしたのが初めの4編で、
古いものをそのまま新刊文庫として出すのは「どうよ?」という事で新たに(2011年11月頃)に書いた『17年後(前編)』を収録したもの。


まず、最初の4編を読んだ段階で思ったのは
このひと、全然進歩していない。」ということ。
先日読んだ『竜宮ホテル』が2011年9月に書かれた物(あとがきより)としたら1994年に書かれたものと比較していくと…

1.風早と言う土地がお約束
2、元はホテルだった建物がアパートになって利用
3、お母さんは妖精のような線の細い儚く弱弱しいタイプ←今どきこんな設定す                           る?????
4、お父さんは手のひらが分厚く、あったかタイプ。
  娘にプレゼントを渡したいのだが渡せず
5、猫耳娘、幽霊等摩訶不思議な住人が出てくる
これらが「定番」らしい…汗

それでも1994年に書かれた物はあとがきによると
「担当さんに7回書き直しを命じられたのでした」
とあるように、まだ「一生懸命書いてます」感があるので許せるのに『竜宮』はどうよ…内容も全く無かったし。ただの過去の作品の焼き直しもいいとこ。
なのにこの人
「今はもう、私は原稿の直しはほとんどしません。
直してくださいと言われないからです。第一稿でそのままゲラにできる作品を書ける作家であるということが、私のささやかな誇りです。」





痛い
痛すぎるよ、この女

そりゃ、言わんでしょう。今時の20代30代のいかに人に嫌われずに当たり障りなく存在感が薄い事にかけてはピカイチの世代の編集者が本人いわくの
20年くらい物語を書いて生きている、とうのたった児童文学作家です。
という「局」に対して

「先生の作品、全然面白くないです。いつもワンパターンで」とは言いませんよ。
ただ、ひたすらに褒めちぎって使いまわしすぎて擦り切れた内容でも読者層は低学年なので永遠に読んでくれますから、おだてて新作を出させさえすれば彼らの仕事はこの段階ではOKですから。
読んでつまらなくて、読書が嫌いになる子供が大量に発生してもその頃には
もっと違う作家の担当をしてますから。

後半の『17年後』は『竜宮』に比べてまだ読みごたえがありましたが、2巻目も同じような内容が延々と続くんだろうなあ…はあ…

読んでよかった…と言う感想は絶対に書けないだろうな、と期待は果てしなく0ですが、まあ、読んでみるかあ…
それにしても世間知らずな人だなあ…子供向けな話を書いているから世間で言う
「お世辞」なんてものが存在すること知らないんだろうか?とある意味「あとがき」の自画自賛振りが一番面白い作家さん。
最近読んだ本を足して割ったような感じ。
「キレイな文章を書こう」「心温まる文章を書こう」と意識しているのが丸見えであざとくさえ感じる。
誰かが見た一日の「夢」を語られたような。
夢ってストーリーがあるようで全く切れ切れで内容が無いですよね?

「妖怪」「SF」など見えない物とか全く抵抗が無い方ですし、梨木さんのようなタイプかな?とも思ったのだけれど読み終わって感じるのは「表面はきれいなのだけれど中身が無い」の一言。
小説なのだからストーリーがあってこそでは?
表紙がかわいいですが、内容は無いです。ジャケ買いはしない方がいいかも。


この本も片親で父親とうまく行ってないタイプ。出版社がこういう傾向ばかりを流行りとしてテーマに提案しているのだろうか?

『クラウドクラスターを愛する方法』
非常に嫌な作家だと思う。多くの人が生きていくうえでできたら見たくない深く考えたくないという問題を提示し、そしてどっちでもいいことに悩んで見せるそんな「逃げ」の生活をしていることを浮き彫りにするのだから。

問題点を抱えている当事者に対して、周囲の人間は自分が悩んでいるわけでないので簡単に「すべき行動、とるべき対応」が一瞬にしてわかり大体少し問題を上からの目線で見ているので全体像がわかる。
それに対して当事者は大体視線が下向きなので「点」でしかとらえることが出来ず結果「間違った方向、やり方」を選択してしまう。
そこでつい親切心で他人がアドバイスするのだが、はっきりと「そのやり方は間違っている」と言うと当事者と揉める結果になるのでソフトに「どうかなあ?それよりこっちの方がいいんじゃない?」と言う結果、切羽詰まった当事者にしてみればその微妙なニュアンスを感じることが出来ず「こっちに決めたから!!」とかたくなになり、結果アドバイスした人とも疎遠となる。
もしくはそうやってアドバイスしたことを素直に受け取ることができないタイプだと長く付き合ううちにわかるので誰も何も言わなくなる。
「どうせ、言ってもききいれないでしょ?」と。
なので昔からそう小さな頃からそんな風に素直に人にアドバイスも求めもしなければ、人の忠告も聞かない人は人間として形成されていくうちにどんどん「間違った方向を選択する」思考が身についていくのかもしれない。

事実主人公はその典型。
読んでいて「世の中不幸な人って基本から不幸なんだなあ…」と思ったぐらい。
深く突き詰めることを放棄しているのに、簡単な逃げの方法をすぐに選択してしまう。要は「わがまま」なんだなあ。自分の事しか考えていない。
人を許すことも受け入れることもしない。ただ自分のやりたいことだけ、したい事だけを求め、そして同じような失敗を繰り返しそして30歳を過ぎていく。

気の毒に。


『キャッチアンドリリース』
冒頭に
子どもがいる夫婦がね、ひとっことも口を利かなくなって、目も合わせなくなったら、大体短くて一年、長くて三年くらいで別れるんだって。
だからヒカルの家もあと少しの我慢なんじゃない?
ま、うちの場合、最後まで仲良く喋っていたのに、結局別れちゃったけどね。

で始まるように主人公は離婚して片親と住んでいる小学6年生の話。
光(♂)と莉子(♀)の視点が交互に描かれる。
が、結局は先日読んだ『ボーイズビー』同様、親にまで遠慮して言いたいことも言えない気の毒な小学生像が浮かび上がる。
むしろ「遠慮」じゃなく「あきらめ」と「絶望」かもしれない。
もしかしたら「憐み」さえ子供に持たれているのかもしれない。
子どものように自分勝手で自己中心な親と言う大人。
そんなわがままを黙って見ているしかない精神的おとなな子供。

こんな風に今の世の中好き勝手に子供を振り回してやりたい放題の親が増えたら、その親に育てられた(????????)子供たちが成人して政治家になった時「親は60歳になったら全員皆殺し!苦痛を味わえ!」と法律改正しても大人は抗えないんじゃないかな?
自分たちがやるべき「親業」を放棄した結果なんだから。

それにしても「親」を当てにしない子供の話って今流行っているのかな?
先日読んだ『からくりからくさ』の前編(?)に当たる本。
こちらは児童書として発行されている。
『からくり…』を読んだ時はスッキリしなかったものがこちらを読むとなるほどこうやって伏線張っていた「答え」がこうだったのか…とわかるのだが、やっぱり『りかさん』を読んでいない読者にも楽しめるようにした作りにして欲しいなあと思う。

児童書にしてはかなり難しい内容だと思うし、小学5,6年生から中学生の女子ぐらいがターゲットかな?古典が好きな子なら最後まで読めるかもしれないけど低学年だと100%途中放棄しそうだ。

これを読むと今年もちゃんとお雛さんを出さないとだめだな、と思わさせられる。
最近は男雛と女雛をまっすぐに正面を向かせて置かず、若干内側に向けて置いている。せっかく明るい場所に出てきたのに正面を向いていたら「喋りにくい」でしょ。ヒソヒソ喋るにしても少し内側を向いていたら顔も見れるし。笑
せっかく二人で一年で一回の再会なんだから楽しく過ごして頂戴!そんな感じ。
雛は自分たちを現しているのだとしたら…

自分が小学校の頃、母親が「お雛さんは人形のお祭りだから他の人形も下の方に並べて良いよ」と言っていた。お雛さんの前で人形遊び(主に動物の形をしたぬいぐるみ)をしていたっけ。
あれもあながち間違っていなかったんだな、と。
後は人形の言葉が聞き取れていたら良かったのかも。

…こんな風に感じ取れる子ならこの『りかさん』は面白いんだろうな。


ようこのおばあちゃんの言葉が折り返しに書いてある。
「…人形の本当の使命は生きている人間の、強すぎる気持ちをとことん整理してあげることにある。木々の葉っぱが夜の空気を露に返すようにね。
…気持ちはあんまり激しいと、濁っていく。
良いお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけ吸い取っていく。
…修練を積んでいない人形は、持ち主の生気まで吸い取りすぎてしまうし、濁りの部分だけ持ち主に残して、どうしようもない根性悪にしてしまう事もあるし。
だけど、このりかさんは、今までそりゃ正しく大事に扱われてきたから、とても、気立てがいい。」

70の偏屈爺さんと12歳の父親にまで気を使う少年との交流。
母親が死んで小1の弟の「世話」を引き受けざる少年が正直不憫。
そこまで他人、特に父親にすら言いたいことを言えずに我慢するのが今時の子供なのかと…
事実爺さんも「もっと言いたい事を言ってもいいんだぞ」とアドバイス。

話そのものはもっと膨らませる要素を残している気がする。
「え?これで終わり?」ってぐらい尻つぼみ。残念。

ちなみに作者はユージ・オダ主演で映画化された『県庁の星』の作者。
今年初の「駄作」認定第一号。おめでとう!って感じ。

文頭から
坂本ららと小杉純也が初めて出会ったのは。
運動会のマラソンでのことだった。


運動会 ですよ?!
てっきり後に続く二人の会話から中学生 かと思っていたら
高校生でした…汗
運動会
今時中学からでも「体育大会」「体育祭」であって、「運動会」は小学生までかと…
会話にしてもまるで10代の吉永小百×が出てきそうな映画かのよう。

「君、放したまえ。嫌がっているぢゃ ないか」みたいな。
そんな雰囲気。ありえね~
さらに、ありえね~度は高まり、ららの姿を見て「ハイレグじゃないのか。ジョイナーみたいな」って一体いつの話よ?ってなり、
ついには初めて出たマラソンで2千番台という走者としては最後尾に属する位置から1位になるわ、走りながら招待選手に話しかける時に
「キャハハハハ!」
が常に付くし
走っている途中で純也に話しかける為に立ち止まるわ、あと少しでゴールなのに急にコースアウトして海でおぼれている子供を助けてその後、遁走…

あまりに現実離れしたリアル感の無さと古臭さに閉口し、この後も似たような展開であれよあれよと才能を開花させるんだろうなあ…とうんざりしたので
ラストに目をとせば案の上「病で死亡」って…
40年前の少女マンガ?!かよ!!!怒

ありましたよね~
この手の展開。
はつらつ元気いっぱい(だけが取り柄の)主人公がある日突然不治の病で倒れる。
「君、頑張るんだ」「はい!!先輩!」etc.

陳腐だ。あまりにも陳腐だ。
今時のラノベでもあり得ない陳腐さだ。
ラノベの方がマシかと言えるレベルだ…と、作者紹介を見ると「1949年生れ」…
そっか。しかも「1989年」に発行されたものを文庫化して2002年に出された物なのね。
納得しすぎ。と言うより、これだけ「古臭さプンプン」なものを2000年以降に出版しなくてもいいでしょうに。

当時は「夢オチ」「病死オチ」も定石だったのかもしれないけど、今ではむしろ「禁じ手」ですから。
古くても今でも十分通じる本もあれば、こうやって過去の残骸でしかない本も存在するってことで。
4編からなる短編集だが、初めの3篇を読んで途中放棄しようかと思ったのだけれど最後が表題作なのでこれを読まずに「駄作」印を押すのもどうかと思ったのでしぶしぶ読む。

なんだこれ?面白い面白くないという単純なものではなく、理解不能。
これ、一体だれを読者として書いたものなんだろう?
例えばマンガの持ち込みで「うちの出版社にはちょっと…」「読者層が…」と様々な理由を付けてことごとく門前払いを食いそうなタイプ。

なんというか…
例えて言うなら「コ×ン君(当然小学生ね)が双眼鏡で覗き見をしつつマスかいていて、放出している姿を暗闇から母親が覗いている」様で他にも中三でありながら彼女と同衾している姿をやっぱり母親が覗いているわ、しまいには母親にピー(自粛)って感じ。
まあキワモノとして性に興味のある層にはある意味インパクトがあるかもしれないけれど、それ以外の層には…

ちなみに「37章」はなぜか「白紙」。
よっぽど放送禁止用語に近い表現があって「その部分をカットしたら文庫化しますよ」てな条件付きで書かれたのか?とすら思う位に。
意図的な「白紙」の部分が読みたい気もするが…
映画の『のぼうの城』は何の予備知識もなくただ予告を見て「面白そうだな」と言う理由で鑑賞。それはそれで面白かったが残念なのは歴史的背景と今時の若い俳優さんの顔の区別がつかずに「あなたはだあれ?」状態だったから、見た後すぐに予約。

ほぼ映画と同じ内容。

ただ、残念なのは「小説」のはずが書くことに慣れていない素人くささ丸出しで
学者の書いた論文、もしくはエッセイのような文面には閉口。

筆者は泰季の墓を求め清善寺へとお邪魔しご住職にも話を伺ったが、残念ながら泰季の墓を探し当てることはできなかった。

とかいたるところに
『成田記』によると…
と説明が入る。


きちんとした小説家であればその『成田記』などから作者が感じた事実&人物に想像等の味付けをして読者に差し出すものではないだろうか?

この本から「のぼう様」の人物像はどこまでも「不透明」なままで結局よくわからない人=のっぺらぼうみたいな感じがした。
このシリーズの中では読みやすい部類かと。
いつもの「えーあい」讃歌もないし「政治バッシング」も色薄し。
それなのに、なぜ私が借りる図書館は本の流れが悪いのか?
3月に予約した時は予約待ち65人。蔵書数5冊が一人2週間でまわるのが、
手に届いたのが12月末…(10か月待った)
この人の別の本でも予約数37人でも3月予約が10月に回ってきた。(7か月待った)
遅すぎ~~~
有川さんの本で予約待ちが66人のを9月に予約して現在16人待ちになっている速さと比較したら明白。
この海堂さんの本を借りる人っていい加減な人が多いのか?


若き世良先生のことを書いた本は別にあり←題名忘れた、内容がうろ覚え。
今中先生の事は『極北クレーマー』を読まないと意味不明。
3冊目にこの本を読めば流れがわかる。

この本の感想としては一言「意外なカップル成立」に驚愕!


読み始め正直「ちょっと苦手かな…」と中断しっぱなしで「我慢して」読んでました。で、中盤戦から一気になぜかこれでもか~~~とテーマと言うか課題がどんどこ放り込まれて「おいおい、一体どんな流れにしたいのよ?」って感じで。

この人の本って現代日本を書いているようでどこか異国の匂いがする。
国内でもどこか山奥で軽井沢とか自然が大量に残っている土地とか。
染色とか野草を摘んで料理…と言った描写が出てくるからかもしれないけど。
そして娘たちの環境が映画「八日目×蝉」の主人公が一時隠れていた女ばかりの宗教ぽい施設のように感じられる。というか、あのイメージ。
どこか閉鎖的で男はいない。集団生活。宗教ではないにしても「りかさん」と言う人形を中心に心のよりどころになっている。

男が介入してくることで4人の気持ちに乱れが生じる…って、一体いつの話よ?
って気もしないでもなかったし。

ミステリーの要素もあるのに前半の乙女チック&牧歌的な描写もあり、野草のうんちくは正直もっとさらっと書いて欲しい。

ただ面白い一文があったので抜粋。
「彼らには家って言うのは一つの文化で自分のアイデンティティの全てなのよ。
その地方全体の共通した特色と言ったものはあっても、細かく言っていけば一軒一軒違う。
だから、嫁が入ってくる時は、その家の文化が一瞬危機にさらされるわけ。
嫁はその実家の文化を引きずってくるわけだから。
しばらくは文化と文化の衝突が続くの。
相手に優越したい、相手を屈服させ、自分の文化に隷属させたい、て言う欲求が暴走するのね。」


う~~ん結婚20年経っているのにむしろ最近の方が衝突が激しい気がするのは
私の我慢がもう切れかかっているというとこかな?笑

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