350円で買ったマンガを60円で売り、105円でこの本を買って帰りました。手相の本は何冊か買いましたがいまだに自分の線が載っている本には出会いません。
それどころかAカルチャーの先生に「これは××線」と言われたのでその後××線で読んでいたら、先日のBカルチャーの先生に「これは××線じゃなくて、△△線よ」と言われ「おい…」状態。
結局、見る人の価値判断にゆだねられる世界。
線は変わる、と言われているので常に前向きに幸せな気持ちでいい方に変えていこうと思います。
面白いとツマラナイ、クソの境目ぎりぎり綱渡りって感じで、
一つ間違えば地面に直撃!!!!の寸止めのバンジージャプ?の
可能性も大。
独特の文体は健在で何に似ているかと言えば「飲み屋のオヤジのクダ」。
おっさんが一方的に「ホラ」を語っているにしてはリアルだし、
つい「それ、本当?」」ってついつい聞いてしまう…みたいな?

仕事場にこんなおっさんがいたら仕事にならないし、
客にこの手が来たら話し相手だけならまだしも本業が手につかずで
迷惑。
この人の本は読み手に「精神的余裕と時間的余裕がある」人だけに
薦めたい。
それでもこれシリーズ物の2作目らしく、驚くことに3冊目まであるらしい。
(引っ張ってくる時に在った)
私なんてわざわざ一作目を図書館で予約するほどでもないなあ…と思ったのに。

それより一番気になるのが表紙の女の子のイラスト。
「目」が逝っちゃってると思うのですが…
笑っているようで全然笑ってない。
絵は描く人の精神状態を現すとしたら…
第二回日本ラブストーリー大賞受賞作品。
第一回が原田マハさんの『カフーをまちわびて』ですが、
あれを比べて読んでいて「これって一体なんだろう???」と
ものすご~く不思議な感覚で読みました。
これ小説だよね?でも普段読む「小説」とはなんか感覚が違うし、
じゃラノベ?としてもあまりにもおっさん臭が漂いすぎて
若者向けではないし…
独特な何とも言えない強烈な個性が全体にちりばめられた摩訶不思議な
一冊でした。
生きてりゃそりゃいろいろあるさ。
ちょっと「旅」と言う名の「寄り道」でもして
ゆっくりしていきんさい、てな感じの一冊。
短編ですがどれもいい。
『旅屋 おかえり』は読者ダーゲットが「こども」だったせいか
ここで泣かそう…みたいな「あざとさ」が目について興ざめだったけど
こちらの方が大人向けで感じるところは人それぞれに違っていると思う。

表題作が結構気に入った。
さすが芥川受賞作品!!!!!!!
受賞するにはふさわしい一冊でした。
ちっともどこがいいのかわからないところが特に!!!!
素晴らしい!!!!

これが教科書に載って試験受けたら私は0点…
中高生の頃彼女の漫画が好きでした。
けれど文章となると…
なんていうのかなあ、まじめすぎるというか追求しすぎてちょっとしんどい。
もう少し余裕と言うか気持ちに幅をもちましょう~よ。
肩の力を抜きましょ~よ、と声をかけたくなる何かがあります。
ご本人も「力が入りすぎる」性格なのはわかっているみたいですが。
P21
体がガチガチだと自然に仕事もキツくなってきます。
事故と言うのはある日突然起こったように見えますが、
良く考えてみると原因は自分の生活に潜伏していたように思います。
何かのきっかけで、牙がこっちに向かってくる。
特に対人の事故はそう。自分を正気で運転していないと、
相手の事をいつ傷つけてしまうかわからない。
そして自分も同じだけダメージを受ける。
だからこそ力を抜くって大切なんでしょうね。


若さと老けの間、のイラストに
不幸ヅラ
50過ぎて堂々としてなかったら幸せそうでなかったら
辛いっす。(周りも)

とありました。そうですね。笑っていましょう。つらい時でも。
あの「不幸そうな顔」を見たらこっちも感染しますね。
あれ、なんででしょう????
顔の筋肉も動かさないと老化する。
トイレ、PC中など意識して「変顔」しましょう!笑
『連続殺人鬼 カエル男』と同じく渡瀬と小手川が出てきますが今回の生贄は槇畑と言う刑事。
猟奇殺人と言うより陰惨と言うか人間がバラバラよりももっとひどいミンチ状になって見つかる…と言う読者の興味をぐっとひきつける。
途中、柴田よしきの『RIKO』シリーズを思い出させる
グロイ表現が出てきてさらに目が離せなくなる。
ネタバレとしてこの作者、結構主要に見える登場人物をあっさり強制退場させます。
「え…マジで」状態。

もっと言えば『カエル』同様、刑事があまりにも女に弱すぎ~~~笑
そして相手にぼろぼろにされすぎ、かつ、スーパーヒーローの様に闘うシーンが延々と続き食傷気味。
というか、同一パターンすぎるのでここら辺はあっさり描写にしてくれたら助かる。

そしてネタバレに類するかもしれないけど、
普通潜入する対象物が「医薬品会社」とか「研究所」って
聞いただけでもやばそうな気がするのに、たとえば
そこが「細菌兵器」を作っているかもしれないし
未知のウイルスが浮遊している可能性だってあるのにも
関わらず何の装備も味方もなしに潜入するというその愚かさに「こいつ、バカ?」と。
と言うより、自分自身が「敵の正体」がおぼろげながらわかってきているのならそれなりの対策を取れよ、と。
ここら辺がイラつきましたね。

とはいうものの、作者の考えはこんな風で
犯罪は時代の鏡であり、その萌芽は日常の中で発生し成長していくものだ。
だから犯罪捜査とは負の要因を一つ一つ拾い集める作業とも言える。
可能な限りのデータを蓄積しなければならない。
それらは全て等価値の物であり、正常だとか異常だとかの区別はない。
たとえば古手川はこの事件を異常者による犯行と決めつけているフシがあるが、何も異常者のみが猟奇的な犯罪に手を染めるわけではない。むしろ、普通人が異常な事件を起こすことこそが今日の犯罪の異常性なのに、この男は自らを
良識の安全地帯に置いて事件を俯瞰している。


ただ、この作者さんどうも警察嫌いのようですが
もう少し本当の警察の組織についてもっと勉強して
書いてほしいなあ…って気がします。
単独行動が許される組織って認識している日本人はほとんどいないと思うのですが…


先日読んだ『要介護探偵の事件簿』の文庫化における
改題と加筆版。
さらりと読んだところでどこが「加筆」がわからない。
ただ、この題名、秀逸だと思う。

「前奏曲」
これを読んでから『さよならドビュッシー』を読むか
後から読むか。
前奏曲ではありますが、個人的には後から読むほうがより一層「ああ…」と感慨深いものを味わえると思います。
単独でも面白いですが。
『さよならドビュッシー』と同時受賞した作品。
審査員が「明と暗」と評したようにまさに正反対の作品を同一作者が書いて同時受賞。
共通点は「ピアノ」ぐらいか。
青春音楽ミステリーと残酷な猟奇殺人に刑法第三十九条が盛り込まれサイコサスペンスの要素もありとてんこ盛り状態。
正直、第一の殺人の気持ち悪さ=女性の全裸死体がマンション13階から吊り下げられ、頬を貫通してフックで吊り下げられているし。何よりも「それ」がぶら下がっていても廃墟に近いマンションでは住民が気が付かずに3日過ぎている…
あまりの都会の無関心さを象徴しているようで不気味。
第二の殺人は行方不明になった老人が車のスクラップ工場からミンチとなって見つかる。さらに新聞の写真に血が滴ったものが掲載されパニックとなる。
第三の殺人は小学生が殺されご丁寧に内臓から一切合財全部摘出され死体の横に並べられていたという…
もうここまで来たらミステリーと言うよりパニック小説か?てな感じで不気味さ倍増。群集心理も狂気をはらんでいつ破裂するかわからない風船のような描写に気の重さと同時にページをドンドンめくってしまう面白さがある。

まあ、どんでん返しもばっちりあるけど何よりもこういった
非常事態に露出する人間特に日本人に特化されるのかもしれないけど正義の名のもとに魔女狩りを平気でやってしまうこの怖さ。自分がいつ魔女狩りをする側に回るのかまたは
される側に回るのかそれはイジメ同様に誰もわからない。
いじめの構造って案外今に始まったものじゃないのかもね。

P342

この世には完全な健常者もいなければ完全な異常者もいない。
どんな人間も心の奥に狂気を飼っている。
例外はいない。
ところがその奥底に隠れている狂気が何かの弾みで
ひょいと表に出る時がある。
そして、それを見た周りの人間がこいつは異常者だとレッテルを貼って自分たちから一刻も早く遠ざけようとする。
どうして、そんなに大騒ぎするのか。
答えは簡単、自分もそうなる可能性があることを知っているからだ。だから人はその狂気を飼い馴らそうとして努力する。自分を善なる者に踏み留めようとして闘う。


あなたは人を殺したいと思ったことはありませんか?
私はあります。それも残酷極まりない形でほふりたいと。
けれどその昏い願望を日常生活において飼い馴らし、
表に出ないように闘っています。
あなたの隣にいる「一見まとも」「一見普通」の人が
ある日突然昏きものに負けて行動に移すかもしれない。
それは明日、あさって自分の身に起こっても不思議ではない
。だって、誰もが昏きものを飼っているのだから…
『さよならドビッシー』で結構強烈な個性で準主役級だと思いながら
読み進めたのにあっさりと死亡フラグが立った「香月玄太郎」氏の
スピンオフ的な作品。
あっさりとお亡くなりになったので「お気の毒に…」と思っていたけど
本作を読めばおじいちゃん、結構かなりとってもとんでもなく個性が強すぎで
ある意味「生き方が死にざまに繋がるよなあ…」と思わなくもなく。
収録作品最後の『要介護探偵最後の挨拶』が『さよならドビッシー』に
繋がる伏線的作品になっています。
とはいえ、5編中ところどころ「ん?」的な内容になっているのも確か。
後から設定なのでどうしても最初と繋がらない部分もある。
ドビッシー以降の「音楽小説」ではなくミステリーに特化(とも言い難い部分もなきしもあらずだが、まだましと言う意味で)
しているのでスラスラ読めます。

ただ、この人の本を読んでいて思うのは「障害」に対して色々考えをお持ちかと。
デビュー作の『ドビッシー』では遥が全身障害を持つことになり、
『ラフマニノフ』ではチェロ弾きとピアニストが手の障害を持ち
何よりもこのシリーズの「主役」である岬氏が突発性難聴を抱えている。
そういった「負荷」をかけることにより小説としての重みをもたせているんだけどね。『ショパン』に至ってはその部分が全くなくなっていてただただ演奏シーンに重点を置いた私的には超残念な代物になってしまった。
要は作者の主張と言う名の毒が無くなり万人向けになったというか。

玄太郎じいさんの毒も小気味よいので受け入れられる人を選ぶというか。
実際現実でもアクの強い人を好む人とそうでない人がいるし。
私は正直、アクの無い人と喋っても面白くないので毒のある人と付き合いたい。
(とは言っても自分で許せる範囲があるので無条件に誰でも…と言うわけではない。そこをはき違える人が多数いることは確か。)
まあ、どこかで読んだようなありきたりなコメントしか言わない人はごめん被る。喋っていてもホントつまらん。本人自覚あるのかね?あれ。
「私はいい人。人の悪口絶対言わないわ」的な人。
いやいや、申し訳ないがその「いい子ぶりっこ」が他方面では「うぜ~」と
言われているのを本人に言ってあげたいもんだが…

P279
「だれ だって、本心では氏素性のわからない人間を店子にしたいと思わないでしょうからね」
「岬さんとやら、自分の事をどこかの馬の骨とでもいうのか。
アンタは面白い人やな。
大抵の者は、自分の事を世界で一番信用のおける人間と吹聴したがるのに」
「香月さんは、そういう人を信用されますか」
「絶対にせんな。自分の事を信用の置ける人間などと胸を張るのはたいてい詐欺師や」


障害についてはP167
障害と言うのは外観ではなくその者の心の裡(うち)で
どう捉えるかによる

P179
世間なんぞどこにいようと毎日が競争の連続じゃ。
身体のどこかに障害を持つ者は現実に存在するし、能力や容姿に差がある以上、
優劣が生まれるのも当然や。それを子供のうちに教えんでどうする。

と言うわけで自分の上司がこれだと正直気が重いけど、対等の立場で喋れるのであれば面白い友人になれそうだと思う。
シリーズ第三弾ですが、私はこの人のデビュー作で「ミステリーとして楽しむもしくは音楽小説として楽しむことより、『小説』の部分を評価する」と書きました。
先編は読後ドビッシーとラフマニノフのCDを掛けましたが、今回はショパンを掛ける気にもなれず。
読書めーた×や密林のレビューでは絶賛評価されている「音楽の描写」ですが
私には「うっぜ~ダラダラ長すぎるねん!!怒」ってぐらい饒舌すぎ。
あのさ~こっちは本を読んでいるのであって音楽を聞いているわけではないわけで。うんちくされてもね、って感じでした。
そんなにショパンを理解したいのであればCDを聞く、コンサート行くなどの
選択肢がこちらにはあるわけで。それを本一冊丸々この曲はこうでああでと
やられた日には…

この展開海堂尊に似ている。さすが宝島社!って感じなぐらい酷似。
例えば海堂がバチスタで医療物とミステリーを混ぜ合わせた物を書き、
それ以上に白鳥と田口の凸凹コンビでエンターテインメント性を高めて
人気が出たのに、その後はまるで「えーあい、えーあい」と連呼しまくった
作品ばかりを書いたり、はては厚生労働省と言った役人や制度に対する
批判と言うより愚痴に近いものを書いてそれを金を出して読ませるという
「あんた、本を出版して一体何を訴えたいの?誰に訴えているの?」と
疑問視する様な作品ばかりになりましたが。たまにエンターテインメント性が
強く出て、その部分だけが映画化&ドラマ化として世に出てきてますが。

それと似て本作ではえらくうんちく描写に重きを置いていて、
つまらないと思った次第。若い人は「感動した」ってなるんでしょうが、
例えばこれは「音楽」ですが医療物だとして延々手術のシーンが書かれていたら
ウンザリしませんか?
A医師のメスさばきはこうでああで…みたいな。
人間の皮膚の下を見た事のない人間が読んで楽しい??そんな感じ。
他の人は「音楽描写が良かった」と散々褒めちぎっているけど、その感覚が
ちっとも理解できなかった。むしろ荒削りであっても「ドビッシー」の方が
良かったと私は思う。

音楽で戦争が止むのなら帰国せずに
戦場でピアノを弾き続けるってのはどうですか?(毒)
ああそういえば『マクロス』が音楽(歌)で戦争を止めさせようと
したんでしたっけね。

音楽描写に重きを置きすぎて他のエピソードとの比率がかなり悪い作品に思えた。全然心に響きませんでしたが。何か?
「マグダラ」と聞いてキリスト教に染まった人間には
「マグダラマリア」しか思い浮かばず、
「マグロとタラのキメラ」と言われても…汗

実際、マグダラのマリアは娼婦で一番最低のレベルの人間としての象徴でして、一説にはイエスキリストの女とも言われていますが。
最低の人間でもキリストを信じていれば救われる!と言う象徴。
ちなみに聖書で言われる「マグダラ」は地名。
神戸の花子、大阪の花子みたいなもんで、外国って名前に凝らないのか
同じ名前がバンバン出てくる。イエスの母もマリアだし。
まあ、ヨセフさんとHしなくても妊娠してイエスを生んだので、聖母も娼婦も同レベルだと思うのにそこを触れないのが聖書の不思議さ。笑

マリア(本名は有馬りあ。前から読んでもありまりあ、後ろから読んでも
ありまりあ。語呂がいいからマリアと呼ばれるようになった)

主人公:紫紋(しもん)

他にも丸狐(まるこ)、与羽(よはね)、名戯寺(なざれでら)、箱舟島(はこぶねしま)、花南(かなん)と言った聖書を読んでいる人には「ん?」な
名前がゴロゴロ…

カツオさんは漁師ですがそういえば十二使徒のペテロさんだったかが
漁師だったような…要は貴族と言った地位のある人ではなく市井の庶民が
信仰する宗教の位置づけの象徴として普通の人が選ばれているんでしたよね。
最後に「聖母子」の絵の様な…と言った描写があるのでその絵からインスピレーションを得てこの話を書いたのかもしれないけど、それにしたら「底が浅い」
なあ…という印象はぬぐえず。
聖書に出てくるような人名を使うからにはもう少し凝った深い話にして欲しかった。

マリアの過去から料理屋をするほど腕がいいとは思えないのに繁盛しまくり…
と言ったなんというか設定がイマイチ。
自分の命と引き換えに…と言う「まぐだら伝説」は十字架に貼り付けになった
イエスと重ねるものがあるのかもしれないけど…
聖書を知らない人が読んだら何ともないんだろうけどね。

あと、再生の話ってどうしてこう「食事」が象徴的に使われるんだろう?
この作家だけでなく、全般的にその傾向がある気がします。
で、絶対人間の再生にはイタ飯でも中華でもなく和食。
特に「おふくろの味」でご飯が特に激ウマ~~~って展開がゴロゴロ。
どの作家もワンパターンですよね

悠太(ゆうた)の死にしても紫紋がそこまで責任を感じることもないし、
ましてや自分も死のうと考えるのも意味不明。
悠太を間接的に殺したのは晴香なのに、ここはなんか軽くスルーされているし。
というか、男ってちょっと好意があったらここまでお人よしになる?って感じ。
アホ過ぎだろ!!って突っ込んでしまうご都合展開。というかやっぱりアホ。

読後感はあまり良いとは言えなかった一冊。

久しぶりに再読
本当に「最後に誰と手を繋ぎたいか。一緒に居たいか」って思いながら読む。
そりゃ~夫の事が頭をよぎってるんですが、相手の方が「嫌だ」と
言いそうで…

名作です!

芸術に関して知識も興味もないので合わなかった。
途中放棄
読めば和菓子が食べたくなります(ちょうど、ひな祭りだし)
けれど、それだけ。斬!
せめて表紙の和菓子の写真を作中の和菓子にするなどもう一工夫欲しい。

作中の和菓子職人である兄:晴太郎と弟:幸次郎のキャラの違いとして
のんびり者の晴太郎は総左衛門(家主)がほんの少し苦手だ。
ほっそりして小柄だが、京の出を思わせる典雅な所作に切れる頭、
どんな時も揺るがない信念で、自分を一回り大きく見せてしまう男だ。
何の気なしに口走った事を厳しく掘り下げてくるから、
その場その場、つい相手に合わせてしまう性分の晴太郎なぞは、
相槌一つ不用意に打てない。
弟の幸次郎は清太郎と違って総左衛門と気が合うようで、
総左衛門も商い上手で頭のめぐりも良い幸次郎に目をかけてくれている。


私もこの「その場その場でつい相手に合わせてしまう」性格だったので、
それで痛い目に遭ってきたわけですが、自分で飲食店を開いた友人に言わせると「どんな味でもいいって人は店が持てない。『これ!』と頑固に自分の味にこだわる、こだわりを持つ人しかなれない」と言われたことがあるのを思い出した。
要は「ぶれない」人じゃないとふらふらとなってしまうから。
なのに本文ではこんな人が和菓子を作っている。
一方、作る才能は無いけれど商い上手の頑固者に書かれている弟の方がよっぽど
一つのものにこだわる性格に思えるのですが…(昔の女の執着する描写など)
性格設定にちょっと無理がある気がするのですが。

けれど一般の生活において誰しも「相手に合わせた会話」をしているものだと
思うのですが…
それこそ自我を張った自分の「正しい」意見を言い続ける人と付き合うのって
正直疲れませんか??
その一方で何をしゃべっても何を聞いても「さあ??」とはぐらかす、会話を成り立たせないような事しか言わない人とも付き合いきれませんが。
それこそ「相手を傷つけないウソ」で成り立っていると言っても過言ではない
日常会話。特に「ママ友」なんかねえ…
それをイチイチいい年して「あなたはあの時こう言った!」とか言って
引き合いに出してくる人も大概にして欲しいんだけど。
「その場のノリってわかりません?」とかマジ切れして逆に幸次郎的な
スパッと相手を切り落とすような捨て台詞を言えたらどんなにいいか。

総左衛門にあることでこういわれる晴太郎。
あちらこちらにもいい顔をして、波風が立たないようにする。
それはあちらこちらの為を思っているんじゃない。
お前自身がイヤな思いをしない様に。
厄介を背負い込まずに済むように、だろう


誰が喜んで仕事でもないのに厄介ごとを引き受けるってんですかね?
寝言も大概にしろって~の!怒
『さよならドビッシー』に続く岬洋介シリーズ。

正直「ミステリー」とジャンルをくくるか「音楽小説」ととるか
それによってかなり評価が違う事は確か。
それでも私は本作の根底には「仕事に対するあり方」があるように感じました。
音楽で食べていくのは難しい。けれどそれは音楽だけ??
なりたい職に就けないのはどの分野でも同じでは?
不景気なのはなるほどその通り。そやけど失業率が高いのは必ずしも不景気だけのせいやない。
給料の八割は我慢代だってことを知らん奴が増えたのもある」

これ、まさに実感中!
と言うのもペットの都合もあり「内職」で探してみるもあまりの単価の低さに
絶句!けれど仕事をしているよりも人間関係に気を使って疲弊するその対価が800円中600円だとしたらそうかも、と。
残り200円が本来「仕事」に対する対価だとしたら内職代と変らないから。
パートに行かなくなって、毎朝の儀式であった「嘔吐」が無くなった
おかげで体重減少が収まり、体重増加で服の処分に拍車がかかっているわけで。

他にも
信用と信頼は似て非なるものよ。
信用はその人の性格に関することで、
信頼は能力に対すること。みんなの演奏技術にはそんなに文句は無い。
けれど性格は別。音楽性が豊かだからと言って清廉潔白とは限らないし、
逆に堅実な人柄だとしても演奏に十全の信頼を置けるとは限らない。
仕事で優先するのは信頼よ。信用じゃない」

こんな風に「大学生」とは思えないセリフがちりばめられていて、
惹きつけられる。まあ、そこに魅力を感じない人には酷評に繋がるタイプでは
あるのでしょうが…

あと、主人公たちが定期演奏会の練習中に指揮者の先生からボロクソ
指導される描写があります。これは最終的にこのメンバーを潰そうとういう
魂胆があるからかもしれませんが、ちょうど先日の卒業式でもこんなことがありました。
講堂に入ると音楽部が最後の調整中でした。メンバーの横を通っていた時
部長さんかな?それともコンマスとでもいうのかな?音楽の事はわかりませんが
女生徒が一人前でみんなの演奏を聞いた後、寸評、評価、アドバイスを発したのですが、その口調のきつい事、きつい事。
「ここはこんな風にしてっっ!!」
「このパートはこうっっ!!」
と言った風に語尾が「っっ!!!」とヒステリック。
確かに保護者がぞろぞろ入ってきて、気がせくのは仕方ないのかそれとも
こんな風にヒステリックにコメントするのが「お約束」の世界なのか…
そしてとどめが
「ここは楽しく演奏してっっ!!




いや~~~~~~~無理でしょう。
ヒステリックに怒った口調で「楽しく」って…
おばちゃんついぼやいちゃいました。
「楽しくって…」
言われた方が全然楽しくならない口調で言う必要あるの?
それよりも「私たち、演奏していたら拍手ができない分、心を籠めて
先輩を送り出そうよ。一人一人の音が先輩の心に届くように。
ありがとうの感謝をこめて」って明るく言ってくれたらと言うより
卒業生の親としてそんな風な演奏で彼らを送り出して欲しい、と。

すると本文中にこんな記述が。P273
「うーん……じゃあ一つだけ。あなた達が一番大切にしている人を思い浮かべてください。」
「今からあなた達一人一人はその大切な人に向けて演奏するです。
その人に聴こえるように。
その人の胸に届くように。その人と話すこと、その人を愉しませること、
そしてその人を慰めること。それが音楽の原点なのだから。」


まさに私が言いたいことでした。
音楽部のメンバーがこの本を読んでくれたらいいのになあ…
第八回「このミス」大賞作品。

ある人物の背景描写が詳細な割にあっさり「死亡フラグ」が立ったので
「この扱いはどうよ?」と不憫に思っていたら最後に繋がったので。
ミステリーなんであいまいにしておきますが。

これを読んでいてさすが40代の書くものと20歳の子が書くものでは
内容に「毒」と言うか「指摘」と言うか作者の考えがここまで反映された
作品に深みを添えるのかあ…と。
ただ楽しい、楽しいそして穏やかで読みやすくいい人ばかりが出てくる作品にどうしてもなりがちな若手の作品に対して、
やはり大学等を出てからちりのように積もっていく社会と言うものに対する
意見を自分の言葉で書いて表現できるのは人生の重みに反映するのか。

例えばP296
果たしてそれだけだろうか、と思う。
人を誉める時の嘘は簡単だが、けなすときの嘘は難しい。
面と向かった相手を口撃する時は 大抵、普段から思っていることが口から
出るものだ。

武器……喧嘩が強い者は腕力で闘う。
能弁な者は言葉で、文才のある者は文章で闘う。
表現方法と言うのは、つまりその人間の闘い方だ。


ピアノの描写と言ったものはちょっと長すぎてうっとうしい反面、
行間に記される何気ない表現の方を私は気に入った。
次男の卒業式の二日前に、卒業にまつわる話を読むこの偶然を何と表現したらいいのだろう。てか、別に意味ないけど。
『桐島、部活やめるってよ』は正直今時の高校生の実態を知らないので
今一つ理解できなかったけど、こちらは主人公が全て女子ということもあって
さ~~っと読めました。
特に、統合の為に卒業式の翌日には学校が無くなってしまうという
タイムリミットの中でせかされるように、切ない感情が上手く書かれていて。

中でも一遍目の『エンドロールが始まる』は私的にストレートど真ん中すぎて…
ああ、痛い。思い出しちゃったじゃね~~かよ~~~。
30年以上前に封印した思い出が。
自分にとってやっぱり学校の思い出に「図書館」は切り離せないし、
そして先生への思いも…
ああそうでした。そうでしたとも!!って感じで。

二日後の卒業式にわが子やそして他の子たちもたくさんの思い出とともに
巣立って行ってください。
みんな、幸せになってね!

めったに見ない「今日帰ってきた本」の棚にあったので「お!」っと
思って借りた。
が、たった200ぺージの薄い本なのに集中力が全く続かず、
3日もかかってしまった。
題名を見たら「なぜ、桐島君が部活を辞めた」のか「理由」が
書いてあるのだと思っていたら本人の事は知らないような関係の子の
目で色々な高校生活を見ている…そんな話で結局なんで辞めたのか
イマイチ良くわからないままに終了。
まあ、アツすぎたのか、人間関係がイマイチだったのか、冷めたのか。

登場人物は今時の子らしい名前で書かれ、スクールカーストにも触れられているが、、おばちゃんからしたら「どこの子も個性無く一緒に思えるんだけど」
と言う印象。
ちょっと目立ってかっこいい、ちょっと目立って可愛い。
けれどそれが一体何の役に立つの?
学生時代限定でしょ?
そんな中身の無い、うわべだけなんてつまらないのに…
そんな風に思えた。
まあ、高校で高校生を演じている時はその場に適した役を黙々と演じるしかないんですが。社会に出たらいかにそれがつまらないか実感してくださいね。


< 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 >