この作者は「40代~」って感じのを結構お書きらしい。
図書館で数冊借りてみました。

さて本書にて
40代には40代なりのペースが有り、楽しみ方が有ります。まずは自分は40代で、50代を目前にしているものだという自覚を持ちましょう。
そのうえであくまでも「人生を楽しむ」と言う姿勢を忘れない事。
そうしたら人生の新たな幕が開け、今まで以上に生きやすく、楽しく暮らせます。

と、まえがきにお書きで。

さらに
気力と体力と言うのは一体で、体力が有れば多少の無理難題は解決できる。
30代まではイヤでもなんとか体が動く。
でも、40代で体力が無くなってくると、体が動かないのだから仕方がない。イヤな事に関しては、まず心が凍りつきやる気がでないから、それから先に進まないのである。
とのこと。

まあ、働きに出たいと思っても気持ちも体もついて来ないのは年齢のせいでもあるわけで。(言いわけかな??)

ただ本書では「働きに出た方がいい」と書いてある。
なぜなら
自分のできる事で社会参加する、それが仕事です。仕事は自分を生かしてくれ、まさに生き生きさせてくれるのです。
もし退屈を感じているなら、新しい事にチャレンジしてもいいし、かつての仕事あるいはかつての夢だった事に再挑戦してみるのも一興です。
そう言う興味が全く無くてただの退屈しのぎと小遣い稼ぎだったとしてもパートでも良いから働いた方がいいです。
なぜなら、退屈は人生の敵だからです。
忙し過ぎても疲れちゃうけど、退屈こそ大変なのです。
いらんことを考えて鬱入っちゃうし、不定愁訴も多くなります。退屈だと、体の具合もどことなく悪くなってくるものなのです。



う~~ん。びみょ~~~に「パート」の大変さを知らないのでは…と引っ掛かるものが有りますが…
でも、まあ、忙しかったら悩む暇も考える暇もババアの動向も(笑)も気にならなくなるとは思うものの(でも、ババアは私の出勤時間になると外に出てきてチェックしてましたけどね。)。
今時「時間つぶしのパート」なんて声に出して言ったらどんな目にあわされるか。
ので、無償のボランティアでも探した方が私みたいなタイプには良いんでしょうね。
ただし、根掘り葉掘り個人情報を聞くような人が大半を占めた会だと、またうんざりして辞めちゃうんだけど。

要はすべきことはきちんとやって、どっちでもいいようなゴシップ系は極力口にせずポジティブな明るい雰囲気の中で活動したいんですよ。

無いですね。でも、各自が極力「愚痴」を言わないように気をつける雰囲気を持ちつつ、でも真面目すぎることなく楽しく生きている事に感謝できるそんなところがあればいいのに、と心から思います。
この作者の作品が気に入ったのでさらに借りてみた。

今回は悩める女子高校生が主人公。
それも第一志望校を落ちて、不本意ながらもしくは経済的な理由など各自それぞれの「もやもや」を秘めたままとりあえずのスクールデイズを送っている。
で、特に有名バイオリニストの娘ながらも音大付属を落ちて普通科しかないこの学校に来た「御木元玲」を中心に全くまとまっていなかったクラスが「ハーモニー」となっていく話。

「本当なら私はあっち側に居たのに…」とどうしても割り切れず今いる環境を受け入れられずに悩み立ち止っている気持ちをきれいな文章でまとめていると思う。
迷いつつもやっぱりこの道を進んで行こう!という一般向けよりも中高生に勧めたい一冊。
6月に予約を入れて、やっと借りれました!

さて、映画を先に見て原作を読んだ者としての感想です。

「全く別の作品」と考えるべきでしょうね。
その顕著な例かと。

映画が「父と子のきずな」をメインとしているなら
原作はもうこの作者の得意な奇想天外あり、
歴史あり、建築学ありと多彩過ぎ!

逆に言えば映画にすることで「世界観がかな~~り狭くなった」、まあ、あれだけ壮大な背景を2時間でまとめるには
「父と子」で絞るってまとめるしかなかったのでしょうね。

もっと言えば「旭」を原作の女から男に変えた時点でもう全く別の作品にならざるを得ない(それぐらい「旭」の立場を無視していると思う)。

原作を先に読んで映画を見た人が「肝心な事が書かれていなかった」と言っていたのをレビューか何かで読んだ気がする。
確かに私もそう思った。

映画を見ていたから場面(街の構成とか建物の構造とか)が想像しやすかったと言う事は確かに言えるので原作はもう少し文章力に力をつけてもらったら
(かなり細かい描写をしているにも関わらず、なぜか頭の中にその情景が想像できないのであった…)
映画VS原作の勝敗は私は「原作」に旗をあげたいと思う。

これを読んで大阪城とお好み焼きが食べたくなった。
(実は大阪城に行った事がない…これ一応関西人としてどうなんだろう…???)

今後「大阪城」の歴史について書かれた本に挑戦してみたいな、とも。

映画では「茶子」の名字にあまり触れなかったけど原作では「橋場(はしば)」=羽柴ってすぐに連想できる。
母は「市子」=「お市の方」とか
おばが「初子」=「お初」とかね。

歴史に詳しい人が見たり読んだりするとその名字から人間関係がより深く理解できるんで「教養」がひじょ~~に関係してくる作品だなあ…と。
ただ、むしろ今まで読んだこの作者の作品の中では比較的まともに書いた方じゃないのかな?と思うんですけどね。
まあ、人それぞれ読む「視点」「環境」が違うと捉え方も変わりますからね。
すみません、超立ち読み斜め読みさせていただきました。
自分の今一番必要だと思うところを参考にさせていただきました。
若いころに比べてやっぱり色々な事に対して「体力が落ちていく」のは私だけじゃないんだ…

必要な時に必要な本に出会う。
これが有るから読書は止められんのですよ!!

題名だけで借りてみた。
題名ののどかさとはちょっと違う、今の自分とよく似た閉塞感を感じた。

東京出身(でも梨畑がたくさんある地域なので名前も「梨々子」(リリコ)と付けられている)の主人公が会社で知り合った男性と結婚するも、旦那が鬱になり彼の故郷に帰る事に。その故郷での出来事が約10年分でまとめられている。

今の自分を反映するかの様な設定にびっくり。
マンションの隣の住人(笑わない人。看護師)に引っ越し早々「地域の運動会に参加して」と言われたり、数年後
「病院でボランティアしない?」と誘われこれがきっかけとなってこの地に根をおろしたり日々の葛藤から逃れたりできるようになる。

隣人がリリコにボランティアに誘うセリフが
「ずっと家にいるより、少しづつ外に出た方がいいと思うけど。」

主人公が
「良いかもしれないですね。家でぼうっとしているより、少しでも人の役に立てるならその方が」

けれど隣人は
「人の役に立とうなんて期待線方がいいかもしれんけど。」
「竜胆(りんどう=リリコの名字)さんの役には立つと思うよ。」

「主役やりたい人は家にいたらつらいやろ。
病院ボランティアは脇役のわき役みたいなもんやで、
どんだけ竜胆さんの好みに合うかわからんけど」



で、ラストにこの街に引っ越してきてリリコが悟ったのは
待ち時間が尽きるまで手ぶらでせっせと暇を潰して過ごすのだ。目的のない編み物をして、いつまでたってもどこを編んでいるのかわからない事にため息をつき、
目がほつれ、目を飛ばしそれでも編み続けて、いつしかいびつな何かが編み上がる。
あるいは編み上がらないまま編み棒を置くことになるかもしれない。それでもただ手を動かして、暇をつぶしを、ただただひたすらに。


作者は私と同じ年の生まれ。
なんかみんなこんな状況にはまるんだなあ…と思ったり。
良い本に出会った、と思える一冊。
珍しく短編。
それもわざわざ「まえがき」があり、「陰のある短編集」を作ることになったいきさつと特に『腹中の恐怖』は妊婦さんにお勧めしないとある。
まあ、確かに。あれはちょっと後味が…

とはいえ、全体に結末に「う~~~ん」と言うものがあるもののこの手の「毒」というか「恐怖」は女性作家の方が数段怖い。
それだけ日常、表裏一体で女性は「悪意や恐怖」にさらされているってことかも。
子供を主人公にした短編。
相変わらず残忍な殺しのシーンてんこ盛り。
加えて前から思っていたが(デビュー作とか)、どうも
兄妹の近親相姦が一つのパターンとしてこの作家には刷り込みが
あるように思う。
大体、この関係が描写されている。特に表題作なんか親が兄妹で関係を持った子が主人公で主人公自身も妹とそうなりそうな関係。(妹の方が積極的。ただし二人とも小学生…汗)

全体を通して子供独特の自己中心的な考えで構成されていて。
と言うより、20歳超えて成人しているといわれる年齢にも
関わらずいつまでも子供じみた自己中心、自分しか見えない
人間の思考とでもいうのか。
例えば、飲食店に入って自分の荷物が置くところがないから
隣に座っていた人を銃で撃って殺し、何事もなく荷物を
置いて全く平然と注文する…みたいな。
「邪魔だから」「何となく…」
確固たる目的もなく感覚だけで殺しをする。平然と。
そんな描写ばかりをこの作家は「好んで」書く。
好んでいるかどうかはわからないけど、傍から見たら好んでいるとしか言いようがない。

この作家の本を読んでいると、欧米を主とする銃社会がちょっとしたことでも「パードンミー」を連呼するのがよくわかる。
だって、ちょっとしたことで「撃たれて殺される」のが
前提なのだからそれを回避する為に「敵意」が無いことを
示すのが一番。
一方、日本では銃が無い=殺される心配が無い、ということから
各自自己中心に生きているから、平気で人にぶつかり、人の進路を妨害するの様な行動が平気で出来る。
「そこにお前がいるから悪い」と言う考え方で。
これが各自銃を持って構えながら歩いてたらどうなるだろう?
常に緊張し、殺されないように気を遣いながら生きる人間が
もう少し増えるのではないだろうか?

と、少し偏った考え方に傾きそうな危険性を含んでいる気がする
のは気のせいだろうか?
あの浅丘るり×さんが「すっぴん」で撮影したという映画の原作がまさかこの作者だったとは…驚愕…てな感じ。

ただ、今まで読んだ本とは違いふつーに一応大衆に向けての「小説」だった。ただし、相変わらずの大量虐殺シーンは健在。
熊VSババア(70歳で山に捨てられ、かつ生き延びた)はうんざりし、さらにひそかな殺人まであって…

現代の姥捨て山って、老人ホームだからあながち小説の話とは言い難く、まあ、寒さ暑さ熊からの脅威からは守られているとはいえ、病院&施設内で爪をはがされたり、拘束されたりと被害は
あるからなあ…
もし、現代にも姥捨て制度復活して、70歳になると一律北海道に捨てに行くとしたらどうなる?(現在北海道に住んでいる人は
強制的に本土に移送)
この本のように熊と戦う体力ある人っているかな?何人生き延びれるだろう?

ラストは読者にお任せタイプだったから、読後感はよくないにしても、この高齢化社会に照らし合わせると「う~~ん」と
考え込んでしまう話だった。
(楢山節考を読んでも見てもいないからどこまでこの本がオリジナル化は不明ですが…)
無難にまとまって終わった。
出来たら、谷口との関係がその後どうなったとか
お兄さんがプロはあきらめても、大学に入って教職でも
取って後輩指導に当たる…みたいな番外編が欲しいところ。
連と別大学になったその後…とかでもOK!
大学編を望むところか。
部長の守屋さんがいい味を出して、主人公の成長に一役買ってます。
一方、主人公の家族ときたら…
陸上特に短距離なんて本当に「一瞬」でタイムが決まるから
精神状態を良くして、冷静にかつ集中してナンボだと思うのに
よりによって初めて見に来た試合で「サッカーの天才」でも
ある兄が交通事故に遭い血相変えるのはわかるけど
何もよりによって試合前にそんな顔で子供に会いに来る?
それこそ知られないうちにこっそり抜け出すのが筋ってもんじゃない??
ちょっと次男の扱いがないがしろ過ぎ!って思った。

小さいころから「天才」が傍にいてどんなに努力しても
足元にも及ばないっていう意識を刷り込まれ、揚句サッカーも
辞めて陸上に転向にしたのに。
で、試合後病院に駆け込んだ本人に浴びせられた「罵声」って…
まあ、そんなショックから精神的に弱ってクラブ休んじゃうんだけど、ふつーなら認められんわな。
どんだけゆるい部活やねん?!って感じ。
病院に看病で詰めるとか、ICUに入って予断を許さないのならまだしも。例え気分が乗らなくても、見学だけにでも来い!と言った発想の世界しか身近に無いだけにちょっとこの描写は受け入れがたかった。

さて、天才のイヤミを言えば「体だけ」が取り柄の兄ちゃんが
いかに復活リハビリを行うかが見もの。
努力せずにその「能力」がいかに人から見たらうらやましいものなのかたぶん自覚せずに18年間生きてきただろう彼がその全てを
失った時どう感じ、行動するのかが注目すべき点。
まあ試合中の怪我ではなく、交通事故ってとこが精神的につらいとこだよな~
「武士道」が剣道をがんばる青少年に捧ぐ本としたら
これは陸上に汗をかく青少年へ捧ぐ本、って感じ。
さわやかで非常によろしいです。
先日まで身の無い本ばかり読んでいたので、より一層さわやか、
前向き、生きてるぞ!って感じがします。

で、中学の時陸上部だった次男に「これいいよ。読む?」と
言うと
「それ、中学の時読んだ。
ま、はっきり言って キレイごとやね。
「武士道」と一緒でさ」
の一言で感想終わり。

青春がとっくの昔に終わった人間が「いいね~若いって」と
ウキウキしながら読む本でも、現役青春ど真ん中、ついでに
クラブで地獄を見ている人間とのこの感想の差ったら…

あと、2巻続きます。

ところで「武士道」は女子を主人公にした男性作家が書き、
これは男子を主人公にした女性作家が書いている。
異性が書く方が何となく主人公もイキイキして動き回って
いるように思うのは「空想&理想」が混ぜ込まれるから?笑


一言で言ったら「だまし」&「禁じ手大量使用」って感じ。

デビュー作で兄に殺された「佐奈」がとりあえずの主人公。
中学校が大地震で崩壊。クラスメイト&教師のほぼ全員が死亡。
死体はぐっちょぐちょのど~ろどろ、と死を冒涜する描写。
加えて怪我で呻いているクラスメイトを「うるさい」と殺したり、死体を辱める行為とか書いてて嫌にならんのかねコイツはってうんざりする描写の羅列で占められている。

で、水に落ちた男子生徒を助ける為に飛び込む佐奈。しかし、死体が絡まって息が…という展開の次が「夢オチ」。
デビュー作は兄に殺された佐奈が実は「スペア」がありまして、殺されたのはスペアというそれされたら何でもありやんと言う展開に次ぐ禁じ手が「夢オチ」かよ…茫然というより、やっぱ、こいつにはまともな展開を期待する方が間違いと言うことがよくわかる。
さらに、夢オチで終わるのかと思いきやまたもや「スペア」の存在を使われ(大どんでん返し、と言えば聞こえがいいが…)
佐奈の話は結局「スペア」で落ち着くのね。(呆

後半はもう読むのが面倒になったので、超斜め飛ばし読み。
だって、どっちにしろ完全な自分の世界観に浸ったモノローグ&
無駄描写の羅列なので適当に文字を拾っていっても十分内容は読み取れる。
一般的な作者に対しては斜め読みは失礼な行為かもしれないが、この作者に関しては元々読者をバカにした感があるので、これぐらいしても問題ない。おあいこですね。


もうあんまりまともにこの作者の本に関して感想を書くのはひじょ~~にバカバカしい行為だと思うからてきとーに。
だから、テキトーに読み流してください。

一言で言えば「読むのが疲れる」。
デビュー作で登場し、死んだ鏡公彦が再度生きて返って(?)同じようなパターンで書かれている。

本文の三分の一は以下のようなウンチク(?)、もしくは
「自分はこれだけ雑学知識が有るんだ。どうだ!」感満載で占められていて正直ついて行けない。

ティータイム
イギリス人もびっくり。
助けてUK。マンチェスター。グラスゴー。
1969年以来スピリットを置いてませんなんてイーグルスみたいなことは、もう云いませんから。
ホテルカリフォルニア!


理解できます?
全編こんな調子で人を馬鹿にした?おちょくった文面でなおかつこちらが「納得」するような展開も無くただ、だらだらと紙面を消費している…そんな感じ。

読んでいて眠たくなるのは大学の講義の様。教授の一方的な持論をだた単位の為に我慢して聞いているだけ、あの感じに似ている。
別に我慢してまで読む必要はないし、時間の無駄だとは自分でもわかっているんだけど、どこまでこの小説本来の「感動」とか「登場人物との同一化、共感」と言った楽しみから極限に遠い良くわからないものを怖いもの見たさ(?)で
目を通しているだけ。
この作者の本に「楽しい」とか「納得できた」と言ったものは一切期待してはいけないと言う事は良くわかった。

何のために、誰の為に書いているんだろう?この人。
中身がここまで無いものを作り上げるってどんな気持ちだろう?これを読んで評価の☆5つとかつけちゃう人って一体どんな性格だろう?
そっちの方が気になるね。うん。
著者が20歳ぐらいに書いたデビュー作。
昨日書いた『1000の小説…』に比べたら、文章は初心者的に荒いし、オタク的な(これは漫画に関することが多かった)知識が満載でちょっと疲れるけど、それでも「小説」としては十分読めるものだった。
まあ、「1000」式にいえば「既存の本を切り貼り引用して、自分がこれは小説だ、と思えば小説である」ってことだけど。
でも、一応は読めた。

内容は…
なんだろ。10代後半から20代ににかけての「無責任さ」が全体を覆っていて私が今まで読んできた本が「起承転結」「原因というものがあって、結果がある」的な一本の道があって話が進んでいるのに対してこれ、「おもいつき」「衝動的」いわば「行きずり殺人」みたいな感じ。
何のポリシーもなく「つい」殺しちゃった…そんな不気味さがあります。理解不能というか。
この作家やっぱり基本は「自分さえよければ」的な思考の持ち主かも。
これを恥ずかしげもなく文章にして他人に「自分はこんな人間ですよ」と公開できるところがある意味「新しい」のかも。
それを受け入れることのできる「同じ種類の人」には「面白い」という評価をもらえ、私のように「頭が固くなった、既存の本で満足している」タイプには「理解できない」という評価をもらうんだろう。
破滅が作家にとって一番の名誉、なんて考えてそう…


こんな人が「芥川賞候補に何回も上がった人の旦那」という「添え物」的な扱いを受けるのが苦痛だからこそ結婚して離婚してまた同じ人間と再婚する羽目に陥ったのかも。
そりゃだれだって「単体」で評価されたいし。
「書くことにより、歴史に残りたい」なんて願望がある人だから。
妻が自分より才能があったら嫉妬して我慢できるわけないもん。
島本理生の旦那、ということで読んでみた。
(だって、あんだけ過去の男の事ばっかり引きずられて作品書いている女の旦那ってどんな神経してるのかな?って野次馬半分興味半分)

感想
読んでいる時になんか美術館にいる気になった。
それも「前衛モダン」とか付いていそうな。
要は「これは××です」と題名が書いてあっても全然それが「××」に見えないオブジェとでも言いましょうか。
他に例えるなら「投げ入れ生け花」とでも。
もしくは題名が「情熱」とか付いてあってもそれはただキャンバスにペンキの入った缶をぶちまけただけの一般人にはちっともさっぱりそれが「どう見ても情熱には見えないんですが…トホホ」状態な作品。

要は作者が「わかる人がわかりゃ~いい。わからん奴は死ね」って感じのスタンスな感じ。
もっと言えば妻同様「私&俺はこんなマイナーな作家の本も読破している。ど~だすごいだろ~」と露出狂。
ええ、ええ、すごいです。恥ずかしいほどにすごいです。
この自信、一体「若さ」という言葉で片付けるには惜しいです。

もっと言えば自分の一部しか受けない作品を正当化の弁明に終始した作品、と言えばいいのかも。
たとえ受けなくても「自分が『小説』だと思って書いたらそれは小説なんだ!」と。

まあ、表には表記できない感想を裏で…
こんな作家でもこんな間違いをするんですね。
P179 
汚名挽回のチャンスに変えていく


さて、「Ⅱ」の感想で心配した通りのラストに…
結果から見るとこのシリーズ3巻もの長編にする必要は全くない。
特にミヤジの過去のヒロコとのからみ=ただのエロ描写を延々としただけ。
少女のレイプシーンや妙に過剰な暴力シーン満載。
一番気分が悪く、読み進めるのに時間がかかったのは現役警察官が同じく現役警察官を殺戮する場面。
しかもただの制服警官とか私服警官など「名もなき登場人物」ならまだしも名前も階級もそして性格まで描写された人物が虫けら同然に殺される…しかも同僚にってのが。
もう、気分悪すぎ~
そのくせ本来被害者の少女がなぜ基子を襲う羽目になったとか必要な背景は省略されているというお粗末さ。
ラストもあれだけ破壊し大がかりな仕掛けをしたというのに、あっけない幕切れ。あほらし、の一言。

もっと必要な部分だけを残して、さらに登場人物の心の動きとかを丁寧に書いたのを追加して新たに書き直して欲しいなあ。
てか、無駄に暴力&エロ描写多すぎな一冊。
肩すかしというよりこれのどこが「新しい警察小説の世界」なんだか。本屋の売らんがためのキャッチコピーに踊らされたらいけませんぜ。

で、初めに戻って
名誉は「挽回」され、汚名は「返上」するのが正解。
う~~ん、正直こんな展開のこんな話とは想像つかなかったな。
もっと言えば、こういう展開にするなら「Ⅰ」のあの膨大な描写は「伏線」?もしかして無駄?って感じ。
「Ⅲ」を今から読むから何とも言えないけど、一体どれをメインに書きたい話なのか?と。

警察組織?
テロ?
「法の番人」が堕ちていく恐怖?

特に基子が「堕天使」になるのか「不良天使」ながらも「天使」の仕事を全うするのか…これが一番興味あるので。


確かに警察、自衛隊と言った開かれているようで閉じている組織が一旦寝返ったら一般人はどうしようもない。
「人を殺してなぜ悪いのか?」という問題も突き詰めていけば
「そういえば理由と言った…」と一旦考え出すと個人の良識、理性に頼ったものであることに気付く。気付かせないためにコントロールされていると言われてもおかしくない。
殺人OKの世界になるとどうなるか。
「北斗×拳」になっちゃうわけで。(笑)
とはいえ、ある日突然このコントロールが利かなくなり、自然的に「殺人Ok思想」が派生することを想像したら…と一種の「ホラー」要素も持ち合わせるわけで。

なら、いっそのこと警察のテロとか近未来風で書いてくれた方が読みやすいのに。
下手に美咲の恋愛感情とか詳細すぎる警察内部組織描写とかダラダラ感があって、読むのに非常に疲れる。

まあ、「Ⅱ」で黒幕っぽいのが出てきたり、警察官僚にも「協力者」がいるみたいだし。
「Ⅲ」にとりかかるとするか。
ここまで大風呂敷広げて、ショボ~っていうのは嫌ですぜ。
2007年発行
本作をもって巻末のプロフィールから「立教大学文学部在学中」の文字が消えた。中退しちゃったのね…
きっと大人の金儲けに利用されちゃったのね。
「史上最年少の芥川賞受賞」という文字の入った帯の付いた本を出版したい大人たちの口車に乗せられて「書け書け、どんどん」状態だったのでは?ちょっと言い寄られたらすぐ寝ちゃう傾向にあるだけに、おだてられて書いた結果が中退…そんなイメージが浮かびますが。

さて本作、やっと10歳以上年上の女子高生に手を出す責任感のちっとも無い高校教師か予備校講師のとの関係を終わらせて次の男に巡り合ったものの、今度はDV男でした…そんな男を見る目が全く無い島本の男性遍歴が透けて見える一冊。

ウイキから引用すると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%9C%AC%E7%90%86%E7%94%9F

ということで島本自身が2006年に佐藤友哉と結婚、後離婚しまた2010年に再婚ということから見て、DV男は佐藤ということか。
DVに耐えかねて一回別れるもののまた、情にほだされましたか?
小説と作家の実生活は別物と考えるのが普通ですが、この作家の場合あまりにも行動範囲が狭いのでモデルは一人だな、と。
似たパターンばかり書くのでどうしても「もっといろんな人物を書けよ」って言いたくなる。
そしてどの本の主人公も「共感できない、魅力のない女ばかり」にうんざり。
どうしてこう魅力が無いのに、芥川賞の候補に数回なりえるのか理解不能。
いっそのこと、審査員の先生と寝ちゃったらすぐ取れますよ、って思うんですが。(超嫌味)
案外審査員が論評で「最近の子はすぐ寝る描写を書く傾向にありますが、いや、実際に体験してその意味がよくわかりました」なんてコメントが出たら「ああ、こいつと寝たんだな」と明白なんですがね。(イヤミ)


なんでこう毎回「ぼー」っとした一見まじめそうに見えるのに大して好きでもない男とすぐ寝ちゃうサセ子の話ばかり書けるんだろう。
いわゆる「隙の多い女」ってことになるんですが。
それはモテるのではなく、単に「すぐさせてくれて簡単」という
人間性を無視された軽く見られた存在であることに作者は気が付いて生きているんだろうか?

と、うんざりした「島本理生」もこの本で一旦読むのを中止。
もっと違うジャンルの話も書ける作家に成長してください。
そして芥川賞を取るのであれば「ヤリマン、サセ子」の描写が無い小説で感動させてくださいね。

というわけで、たぶん私は「島本理生」という作家が嫌いなんだろうな。
2005年発行

読み終わった第一の感想が「アホやな」でした。
以前の作品にも似たパターンがあったので作者の恋愛を形作っているのはこれなんだろうなあ…と。
頭の中が恋愛一色の世代には「感動」とか「ここまで人を好きになれるなんて…」的な感想で埋め尽くされるかもしれないが、恋愛から遠くにいる人間から見たらやっぱり「アホやなあ…」としか思えない一冊。
高校生の時に先生を好きになるなんてよくあるし、実際自分もそうだったからそこまでは理解できる。
でも、自分に好意を持っている女生徒に卒業式にキスをする、教師に腹が立つしキスしてそれっきり放置されて居るのにもかかわらず動けずにいる主人公もどうかと。
さらに妻と離婚もしていないわ、復縁するわって踏んだり蹴ったり。しかも自分に好意を持ってくれている男の子を振り切って
「自分を利用している」男に走るなんて…理解不能。
「自分を必要としてくれている!!」という一見「献身的な愛」だけど、傍から見たら「痛い。利用されているだけなのに…」と。
自分が思うだけで相手に何かを求めているわけではない、と言い切るのは一見素敵だけど、それ以上に自分に好意を持ってくれている人をとことん裏切り、傷つけていることに気が付いてますか?と
問い詰めたくなる。
あんた自分だけ満足して、それはいいかもしれんけど、ちょっとは
他人の事も考えるだけの視野の広さも持ってよね、と。
主人公が高校時代、いじめっぽいのを受けたとあるが、たぶんこんなことが原因かと。このいじめによって教師と距離が近づいたのは
皮肉だが。
相手の「弱さ」に付け込んで自分の弱さを押し付け合っている関係。不毛だがこの主人公&作者にとっては「最高の恋愛」なんでしょう。
主人公と結婚する男性が気の毒である。
「武士道」シリーズ3部作、完結。
はっきり言って「面白くなかった」。
前作2作品であれだけ盛り上がって「え?」って感じ。
また、書き方も前作2作品は香織と早苗の視点を交互に展開していたのでスピードに乗ってノンストップ!という状態から
この本は適度に他の登場人物からの視点を間に挟んだため
前作2作は一気に最後までの「映画」タイプとしたら
今回は盛り上がってきたな…と思ったらCMの入る「テレビ」って感じだった。

前作2作品までは文庫本で買おうかな&男どもに読むように勧めようかな、と思っていたけど、この巻で一気に興味が失せた。

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