再会 重松清著

2011年8月11日 読書
いや~やっぱりベテランの作品は落ち着いて読めますな。
とは言うものの、この人の作品は読んだ後
「物悲しい、懐かしいけどどこか悲しい、切ない」といった少し負の感情に傾きがちですが。
ただ、完全なる「負」ではなく「そういえば自分の子供のころもそうだった…」と懐かしさと今をつい振り返ってしまうところが。
大成功している人が読んだら感想は全く違うものになるのでしょうが…

短編ですが最初と最後の作品がリンクしてあり、子供のころのエピソードとその20年後の人間のあり方が書かれてあり、季節がお盆なので余計に今と重なり読んだ後、ええ
何とも言えない悲しいようなさびしい気持ちになりました。

大人になってからとか大人の目線で見たら「大したことない」っていう出来事も小学生の目や立場からすると
「ものすご~~~~く大切かつ重要な出来事」だったんだなあ…と。
私にとって小学生時代のことは忘れたい時代なので『チャーリー』の主人公の小学生時代が読んでいて腹立たしい(=同類を見ているようで)反面、そうだったなあ…あの頃(遠い目)となりました。

全体的にはいい話が多かったけど『永遠』の姉の態度がどうしても「常識はずれ」にしか思えなかった。
「この女、ちょ~感じ悪~~」と。
そもそもそれが好意で動いてくれた人間に対してとる態度か?と。
押し付け&強制に近い態度を取ったらたまたま本編の登場人は動いてくれた設定だけどあれ、私がされたら
「あの人の弟、頭おかしい子だったけど、姉も常識無い人間やったわ」と弟が悪く言われるってわからないかな?
で、その姉の仕事が「教師」なので「やっぱり先生って頭おかしい常識無い人が多いねんね」で終わられてしまう。
時間がない、弟のためにと必死になるのは仕方ないとしてもやっぱり、あんた変だよ。結婚できないタイプだよ、と。
う~~ん、なんというかゴシップ記事を読んでいるかのような錯覚にとらわれる。
で、ミスリードに誘うために必要なことを隠しているのと、人物像がどうもいまいちはっきりしない。
表で表現されているのと、その人の現実の顔が全く一致しないというか。要は不透明。
なんかドロドロとしているというかゴチャゴチャしていて
ラストがいまいち。
よくわからなかった、そんな一冊。

その中で気になる描写は
野江はその同僚との友情を断ち切ることはできなかった。話がかみ合わない、女友達。
それでも会話が成り立っていたのは、どちらかが無条件に折れているからだ。
折れている方は相手が納得する答え、相手の気分を損ねない答えを自転車をこぐように絶え間なく探している。
こぐのを止めると途端に自転車は倒れる。
倒れたら倒れたでいいじゃないか。
そう思いながらも倒すタイミングがなかなか見つけられない。縁が切れない。理由は簡単だ。
嫌われるのが怖い。そんな青少年のような気弱な恐怖を
どんな大人でもそっと隠し持っている。
しかし、今は嫌われることは怖くない。
いや、むしろ積極的に嫌われてやる。


「女友達」という題名な割に「気薄な人間関係」しか
持てない危うさが書かれているのに手を広げすぎて
まとまりがなくなってしまった残念な一作。
ボイルドエッグズ新人賞第九回受賞作。
4回からこの9回目まで受賞作がなかったとか。
そりゃ、「鴨川…」みたいな奇想天外かつ文章的にどうよ?な本が受賞したら後に続く人間は「このレベルでOK?」となったら質の悪いのが多数応募するでしょうに。

さらに過去の受賞作は男、しかも大学生と無職と偏っており「夢ばかり食べているようなふわふわした作品」ばかりだったな、とこの本を読んで思った。
女性、しかもあとがきで本人が「底辺を生きてきた」と書いていある通り作品を通じてかなりの力強さ&たくましさを感じる。
圧倒的な迫力と文章の上手さもさることながらこれまで生きてきて感じて考えて血となり肉となった「経験」がこれでもか!!!!!!と投入して書きあげられている。(と感じる)

そもそも設定が日本国は悲しい事に中華人民共和国、日本省特別行政自治区となり、日本人は日本族、最下層の民族となり果て主人公は「娼婦」で食べていっている。
昔、お嬢様で有った「華」ちゃんもしかり。
と、ある日現実の事になってもおかしくないような状況設定。笑えないし。
で、日本族はいまや「神」を捨て、信じる事さえしなくなったと言う…怖すぎるわ。
ただ、国を追われた日本族が「京都」に集まるってのがやっぱり心のどこかでは「神仏」を信じているんじゃないかと思う反面、主人公は「神を信じない。世界を作るのは自分自身だから!」と。
う~~~~ん。
ラストの主人公の決心だけはどうも賛成しかねる。
それはやっぱり私と作者の境遇の違いゆえかもしれないが。
私は誰が何と言おうとも「見えない力で守られている」と信じるタイプだから。

とはいえ、日本古来の「神」同志が戦うのはどうしても受け入れがたいのですが、次の作品を期待してしまいますね。
読書特集ということで購入。
しかし、紹介されている本のほとんどが未読だった為、
どうもセレクト具合が自分と違うようだ。
そもそもこの雑誌、「格差」系を読んでいた時に
階級層別に読む雑誌の分類として「負け犬雑誌 」と紹介されていた。
特集の内容が「読書」「猫(犬)」「スピリチュアル」「痩せる」「結婚」な為。どうも「内向的な人間が読む」と言う風に分類された模様。
「結婚したい女が願を込めに神社参り」とか
「内面を磨く為に一歩踏み込んだ読書」を特集ばっかりしていたらねえ…

むしろ「食べる費用を抑えてでも化粧品、服には金をかけて良い男をゲットして楽な生活を手に入れる!」という野心を持った女が買う雑誌とは言い難い。
こっちは攻めだが、クレア読者は完全守りだよなあ…
アピール力のない女に男は残念ながら気が付かずに通り過ぎる…う~~~ん。負のスパイラルだねえ…

家にこもって自分の内面を磨くよりも、外に出て出会いを見つけた方が楽しいと思うけど。
そんな事を言えばこの読者層は「いいの。自分の好きなようにしたいからほっておいて!」と怒りそうだ。
で、思いやりのない30代が増殖すると…

題名と表紙のイラストで選んだだけの本なのによりによって2冊も続けて「どこかで読んだような…」本を読んだとなると気分のいいものではない。

本作は出版社に勤めていた男が退職しているにもかかわらず担当していた作家が失踪した為手がかりを追って温水町にやってきてそのさびれた商店街の村おこしの為にやっている「ミステリー商店街」の人々と犯人捜しをするという。

ぶっちゃけ、本来は小さい事件にも関わらず大きな事件であるかのように大騒ぎする…と言う展開どこかで…
つかこうへいの「熱海殺人事件」かよ?!って感じ。

で、ご丁寧に作家のプロフィールを見ると「劇団を主宰し劇作家としても活躍」とある。



頼むわな。

ちなみに昨日読んだ「北村薫」氏の作品に似ていると書いた
「水原佐保」もご丁寧に「覆面作家」だとか。呆

本作では(とりあえず)殺人に至った経緯として「ブログなどで作品をけなされた作家がけなした相手に会いに行く」という設定。
こんなネット社会で一人に書かれたところで気にしていたら本なんて書けないのでは?
もっといえば一人に「面白くない」と書かれたところでそれを読んだ人全員が「じゃ、読まないでおこう」と思うのであれば読み手の方にかなり問題があるのでは?
私がここで感想等を書くにあたって他の人の感想はまず読まずに書く。で、たまに気が向いたら読むぐらいである。
他人がその作品をどう感じようとそれは自由だから。
逆に作家本人があれこれ気にするのは「おごり」じゃないですか?「自分の描いた作品は完璧だ!」って思っているからこそ「そんな事はない!」ってなるのでは?
読者の大半がそれこそ「素人」。
プロの「読者」って一体何?
それはちゃんと新聞紙面などで「批評家」として収入を得て書いている人とは別でしょ?
一般人が読んで面白くないからと言われたからと言って「素人のくせに!」と怒るのは間違ってませんか?

むしろ私のように適当に選んで先入観なしに読んだ人間の方が素直な感想を持つのでは?
それよりも「どっかで読んだような話…」と感じられないような作品をプロで有れば書く「義務」が有ると思います。
平成18年出版の割にほかの人が借りた形跡のほとんどない(=折り目がなく、表面を削ったかのようなきれいさ)本だな…とおもいつつも「青春俳句」という言葉に惹かれて借りた。

きれいなわけが分かった。
おもしろくなかったから 斜め読み。

構成は北村薫の落語家と女学生の何気ない日常の謎を解き明かしていくあのパターン。(あれはあれであまり好きではないのだが…)
これは俳人と女子高生が謎を相談するパターン。

どうも時代背景が昭和なんだよねえ…
ノスタルジー感たっぷりで「テレフォンカード」とか「書いた小説を編集部に郵送」といった小道具が。
平成なら「携帯電話」であり「メールで送信」でしょう。
なので、私が高校生の時ぐらい?と思うような時代背景。

最近新人賞受賞作ばっかり読んでいたので文章はかなり書きなれた人かと。もしかしてすでに数冊出版しているのかもしれないが、でも面白くないのである。
文章が上手なのに面白くないってなんなんだろう…

まあ、要は無学な人間に対して興味もない「俳句」について滔々と語られてもあんまりありがたみがないってことで。
まあ、なんといいますかよくある「幸運を呼ぶには!」
「スピリチュアル」「潜在意識に説いてみる」といった一連の本を足して割って飽きないようにお笑いを加味した本。

笑えるんだけど読み終わった時には「あれ、こういう時はどうするんだったっけ…」という感じ。
手元において毎日読めば覚えれるかな?
万城目学著
この本、作者にしてはあまり人気がないのか予約せずとも本棚に3冊も並んでいた。
確かに、雰囲気は大人向けというより小学生向き。

マドレーヌ夫人は猫で旦那さんは犬、と例のごとく「ありえない」設定になっているけれどかのこちゃんが小学1年生という設定にしたので違和感がなくなっている。

ちなみに「かのこ」という名前の由来をお父さんに聞いたら
「鹿がそう名付けろと」というくだりは「鹿男」を連想させる仕組みになっている。
お父さんは「鹿と話せるお父さん」として一躍同級生の間では超人気者になるくだりはそれが好奇心いっぱいの一年生だからかと。
突拍子もない話を作ることを前提として書いていたかのような傾向だったから大風呂敷を広げすぎて収集がついてない、まとまっていない感が大!なためあまり好きではない作家であったが本作のように「普通に」書いた本(人によっては個性がなくなったと感じるかもしれない)にしたらすっきりして良くなったと私は思うんだが…
下手にこねくり回すより素直に書いたほうが読み手も安心できる。下手に笑いを取ろうとかそこでしか通用しない「毒」を盛り込まれても共感できないことのほうが多いのだから。

メルヘン、ファンタジーはやっぱり子供の心を持っている人が楽しめる分野かな。
ラストでマドレーヌ夫人がこの家に残るか旅立つかの結果は子供に宿題として「読書感想文」で続きを作らせたらいいかも。

そういえば、夏休みに入ってから例のごとく検索に本の題名が多数入っている。
みなさん、頑張って自力 で書きましょうね。大人の目から見たらコピペは丸わかりですよ。笑
こちらボイルドエッグズ新人賞の第一回受賞作品。
という流れで読みました。
妹の名前が「ミア」とか音楽室、エレベーターというあたりで「あれ、これ前に読んだことがある…」と気が付いたというお粗末さ。

とはいえ、歴代の受賞作を読み比べているという状況においては比較しやすかったかと。

個人的には3冊のうち一番「よくできていた」と思う。
ただ、題名の「本格推理」という言葉の重さ に耐え切れず、その手のフアンからは酷評を受けるであろうトリックの浅さは否めない。
あと、表紙のイラストでさらに「軽さ」が強調され、読み手の勝手な想像が先行してしまい「なんだあ…」と落胆に繋がると思うのでそこが違っていたら結果的なものが変わっていたのではないかと思う。

トリックや過去の事件などもっと整理してわかりやすくしたらよかったのに。
とはいえ、奇想天外なだけで文章力に超難ありの「鴨川」とオタク文化の紹介で読みやすいが記憶に残らない「コスチューム」の中で一番文章がまともだったと思う。

一番「面白くなかった作家」が今一番売れている作家になってしまっているのは皮肉なことですが…
「鴨川ホルモー」がボイルドエッグ新人賞第4回受賞作品としたらこちらは第3回受賞作品。という、流れでかりた。
ほとんどの人は表紙のイラストで買うなり借りるなりしたのでは?
本作品「コスプレ」を題材にしていて大半がこれのついて説明してくれている。
「で、どういう落ちになるの?」と疲れつつ付き合ったのだけれど、以外にも「コスプレ」」を取り上げることにより
自己のアイディンティティを見つめる話となっている。
コスプレ→自分以外の人になる→平凡な自分ではなく華やかな、もしくは才能のある人間になりたいという願望を衣装にたくし、なりきるという。
若者にありがちな「悩み」かな。
でも、適当に年を取っていくとほとんどの人間が平凡かつ平たく言ったら「つまらん人間」となっていくのだよ。
だから、そんなに悩まずに今しかできないコスプレを楽しみたまえ、とか言って肩を叩いてやりたくなるような…


それよりも(本文の内容そのものよりも)目を引いたのがこれ!
「六甲山はですね、関西随一の心霊スポットなんですよ。
特に日本海側をまわる裏六甲は心霊スポットとして超有名です。(中略)
「その岩って言うのは数ある六甲の怪奇スポットの中でも折り紙付きなんです。
霊山の中でも特に力が集中しているっていうんですか。
そういう「場」らしんですよ。」
「今から行く鷲林寺と神呪寺があるんですけどね、丁度その真ん中に六甲の山頂へと抜ける道が縦貫しているんです。
その道路の途中に件の大岩があるんです。」


ちなみにその岩は「マ×コ岩」(関西三文字)と言われているとか。

知りませんでした。というより、鷲林寺になぜか武田信玄殿のお墓が有ると言う事も。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/japanmystery4989/view/20071112/1195386412
牛女の話も本書に書いてありました。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/japanmystery4989/view/20080107/1210975357

へ~~って感じです。

相変わらず時間軸を意識的にずらしているのでどの話も「そうきたか~」と。
どの話も「実際にどこかで…」有りそうな話ばかりで。

その一方で5話目の「ゴールデンアップル」の文頭にある注釈が非常に気になった。
『ゴールデンアップル伝説』
都市伝説の一つで1970年代に存在したと言う幻の炭酸飲料。発売された形跡も記録も無いのに「ゴールデンアップル」を確かに飲んだ、見た、という証言が後を絶たない為、
集団催眠または集団ヒステリーんによる錯覚、あるいは記憶錯誤ではないかと言われている。
なお、2002年、正式に「ゴールデンアップル」が
発売された。


ので、ちょっと検索したら
http://allabout.co.jp/gm/gc/217940/2/
に確かに歴代の「ファン×」が。
多分この「アップル」がそうだと思う反面、実は私も「見た事ある派」…汗
飲んだ事は無いけど缶の色が「ベージュの様なうすーい緑」だった気が。
「全然おいしそうではない缶の色 」ということで一回も飲まずに終わったけど、道端にこの缶が落ちていた時に「あ~飲んだ人もいるんだ~(その時はもうすでに売っていなかったから)」と「飲んでおけばよかった」と
後悔した記憶が有るので覚えている。
しかし。
そうなるとあれは「集団催眠術」?????
ラピュタの幻のエンディングと言い、怖いやん!
と言う事は今では当たり前の「販売地区限定商品」だったのでは?「先行、試しに販売してみました」系????

う~~~~~、こっちの「真相」の方がきになる~~~~!

追記
さらに調べましたら
http://allabout.co.jp/gm/gc/217993/
「ゴールデングレープ」の事を記憶してました。
缶の色はこっちの方だ!!
「レモン」は懐かしいな~
これは完全に飲んだ記憶が有る。
「グレープ」が着色料問題で発売禁止になったから「ゴールデングレープ」が発売になったとか。
そう言えば小さい時「グレープ」派でした。
「オレンジ」を渡され泣いて「グレープ」と交換してもらった記憶が…(兄のお誕生日会で優しい兄の友人の一人に)

懐かしいなあ~
あの頃は「瓶」でしたねえ~~
面白いといえばおもしろかったけど、途中でダレたのも事実。
先に「ホルモー六景」を読んでいたのであれがここにつながるのか…と思いつつもやっぱり登場人物の心の動きはちゃんと一冊の本の中で説明するのが筋かと。
でないとえらい展開が「急」かつ「ご都合主義」に映るから。

ところである意味「闇」というかうかがい知れない「京大生」の実態を垣間見ることができる本書はそれはそれで意味があるような気もする。
で、あんな時代がかったしゃべり方、例:「失敬な」とか
「話したまえ」とか今の時代でも使っているのかが知りたいな、と。
変わったしゃべり方を小説の中とはいえさせるの好きだよね、京大卒の作家さんたちって。
著者の過去の本とか表紙の雰囲気からドロドロ、怖~~い話を想像していたけどちょっと違ってた。
むしろビジネスマンの悲哀ではないけれど、企業の「売る為には…」的な思惑にからめとられて挙句の果ては何とも言えない結果だけに「お疲れさん…ゆっくり休んで…」と同情すら覚える話だった。

ちょっと中だるみして、テンポも悪く最後の方は斜め読み。
最初に書かれたエピソードが最後どうなるのか…と読み続けるものの派遣先のエピソードとかだらだら感が長く退屈になって、途中斜め飛ばし読み。最後は登場人物が繋がるものの「で?」って感じだった。
先の読んだ2冊の様な「ぞっと感」もなく、イマイチ。

ただ、昔みたいに「良い学校に行って、良い会社に行って」という価値観がここまで来ると通用しないんだなあ…と
やりきれなさというかどうしようもなさが全編を覆っていて
くら~い気持ちと言うか居心地の悪さだけが残る。
先日読んだ「クローズドノート」の作者の本。
もしこの本を先に読んで後に「クローズ…」を読んでいたら感想も大きく変わっていただろう、と思う。
それは「作者が二人いるのでは?と思うぐらいの駄作」と。

それぐらいにこの作品と「クローズ…」の作風に差が有り、
面白さも全く違うものがある。
逆にこれだけ面白いものが書けるのにあんな薄っぺらな
全く共感できないアホ&とろくさい女子大生を主人公にしなければならなかったのはあくまでも「お姉さんの遺作(?)」と言うべき「お手紙」を生かしたかったからとはいえ、「雫井脩介」の名前で「クローズド…」は書くべきではなかったと思う。
別の名前で。そしたらまあ、売れなかったとは思うけど。
売れる売れないの次元ではなく「お姉さんの文」をこの世に追悼として出したかっただけかもしれないけど。
まあ、作者の「汚点」「失敗作」(見方によれば、今までと違った作風と言う綺麗な良い方もあるが)的な位置にならずに済んだのに。

それぐらい、本作は真面目に事件に取り組んだ、複雑な構成も最後にきちんと落ちを付けていてよかった。
ただ、獅子心中の虫が自分の保身や出世とかそんなレベルではなく昔の女を落とす為と言うあまりにも自分勝手な理由には腹が立ったけど。
もともとこの作家さんはこの本を見つけて隣にあった別の本も借りた次第。
この表紙の裏のイラストは中年顔のイラスト。
少女もいずれは老けるんですよ。
これが漫画なら永久に不滅、永遠に少女ですが、読者は老ける んです。当たり前ですが。
しかしこの本では「漫画も不滅、読者も不滅」という見かたによるとグロテスクな構造が描かれてます。

例えて言うならベルばらのオスカル様を心棒する「少女」たちがでっぷりと太った醜い姿を物とせず安物のペラペラのドレスを着て「集会(茶話会)」を嬉々として行う。

自分に自信のないみじめな女やもう底辺の女とかバンバン出てくる様は「40代女ってこんなにみじめ?!」と同世代ゆえに余計にみじめと言うかいらつくと言うか…

自分の中学校時代に熱中した漫画の主人公や登場人物に40代にまでなって「真剣に」入れ込んでるってやっぱり、

とはいえ、「冬ソナ」にはまった奥様方を当てはめたらそのパワーたるもの何も言えません。

推理的に言えば前回読んだ本で「傾向と対策」のコツは掴んだので「不自然なほどそこには触れていない」というのが
全貌をつかむヒントになるかと。

でも、「殺人鬼フジコ」も本書もそうだけど今ならこんなに簡単に「保険金」って降りないのではないだろうか?
金は人を変えるんだなあ…と。

あと、主人公たちがのめりこんでいる漫画の設定が
「貴族の娘が海賊にさらわれ、海賊しかも男の子として育てられ、冒険と友情の旅」ってことらしいけど、なんか自分の小学校時代に似たような話を読んだ気もする。
気のせい???
初めての作家さん。
ミステリー&推理小説&若干ホラー(?)

トリックは「名前、日時」があえて表記されていないので
「これは誰の事?」と疑いながら読み進めていくと真実にぶち当たるパターン。
ただ、最後の最後に「こうきたかあ…やられた~」感はかなりありました。

ただ、話の内容が暗く陰湿で有り底辺その物を舞台にしているだけに人によっては引きずるかも。
殺人を重ねている割には淡々と殺すので殺人そのものには暗さを感じないのに境遇に気がめいる。
まあ、はっきし言って「自慢ですか?」と捉えられてもおかしくないような自慢本です。(笑)
まあ、そこを我慢して 「書いてあるような事を実行したらおかねもちになるのかも?」と素直に実行する人がまあ効果が有るのかもしれません。(笑)

簡単に言えば
3つの生活空間も持て と言うことになり
1、生活の拠点=自宅
  健康で暮らせる場所
  効率的に仕事ができる場所
2、情報収集の拠点=街・都会
  欲望を刺激してくれる場所
  人と交流できる場所
3、精神の拠点=海・山
  人間の自然性を呼び起こしてくれる場所
  創造作業のできる場所


だそうです。
ちなみに著者は1は熱海、2は銀座3は北海道ということで。

3つも拠点を持つのは一般人にはなかなか難しいですが要は「脳が常に活性化される場所に自分を置く事」。
自宅でも模様替えを頻繁にしたら気分転換にもなるし人も呼びたくなる。人と交流したらさらに脳も活性化する。
公園など散歩ができるような場所が有れば意識して出かけると仕事のアイディアが生まれる事もある。
家にもしくは一か所にとどまってばかりいたら脳が活性化しない=老化していく。
ので、2の場所を訪れたら刺激になるし気持ちも前向きなる。まあそういったところ。

私の場合はいかに「一か所にとどまるか」が命題なので、
出歩かず、マイホーム イズ ナンバーワン!と引きこもる事の方が大切なんですが。
人に会わない方が精神衛生上非常によろしいので。
プチ介護中なので出かけたいとも思いませんが。
こんなに暑いと家を空ける事なんか無理ですね。心配で。
最近ファンタジー小説&アニメを見たせいか急にこの手の本を借りてしまった。
60歳で死にたいと思っているのに、こうやって古代遺跡を見ていたら「現物も見てみたい…」と思ったり。
不思議ですよね、これだけの巨大な建造物。
謎が多すぎて。答えは見つからないけど、でも、誰かが作った事には変わりなく。
個人的にはこんな大きな石を上に持ち上げたりしたのは
超能力でうい~~~んと…と言うのが好きです。(笑)

現在ではどちらかと言うと「貧しい」だとか「戦火地域」だったりと環境が良くない地域が昔は文明が発達していたと言うのは逆に今発達している国が衰退していく可能性が大!ってことかなと思ったり。
日本も原発で衰退の一途をたどるのかなあ…
前半の万年筆のうんちくはいらないかと。
正直、この段階で眠たくなり読むのを止めようと思った位。

あと「天然」と「癒し系」は似ても非なるものと再認識。
頭の切れる男は「天然」に惹かれる事は無い。
ので、「あたしって、天然だから~」という女は
「あたしって 超救いようのないばかだから~」と
世間に公表していると思った方が良い。

無駄なエピソードがてんこ盛りなのは作者のお姉さんの文章を挿入し取り上げたいからこそでた「ひずみ」。
伊吹先生のキャラの方が読んでいて楽しいのでそっちをメインにして欲しかった。
と言う事は、言い変えたら作者よりもお姉さんの方が「文才」があったということか。

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